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第6話 描いてくれ

三度目の登桜はそれから約1ヶ月後だった

 懲りればいいものを凪との会話を忘れられなかった僕はまた大門をくぐっていた

「……はぁ」

 大門をくぐってすぐに大きく僕はため息を吐き出す

 だって、確かに僕と凪は同じ賭けをしている

 僕が庵花魁を買えれば僕にとっては利しかないしそれを伝に売れっ子になれば凪は儲けられるし、どちらにも悪いことはない

 それでも僕がこの賭けを一方的に破棄してもこの大門を潜れない凪は文句の一つもつけに来ることは出来さえしない

 つまりは僕は簡単に逃げ仰せるし、もし庵花魁に行き着けなくても凪をただで買って絵の練習にあてられるというこの状況すら僕には利しかなくて、この賭けは考えれば考えるほどに本当に僕にばかり利があるのだ

「夢の入り口でため息なんて、そんな粋じゃないことをするもんじゃない」

 低い、男らしい声がしたかと思うと後ろからふわりと肩を抱かれて慌てて振り返る

「え、あっ……え……!?」

 そこにいたのは、深く被った帽子に眼鏡をかけていて仕事用の厚い化粧無しでもなお分かるほどの美丈夫、それは見粉ごうことなくあの日見た庵花魁その人だった

「おっと、待ってくれ、バレないように折角変装しているんだ騒ぎは起こしたくない、君は……凪の元へ向かうところだろう、ついておいで、一緒に行こう」

 そんなあの日一目惚れして夢にまで見た色男に肩を抱かれて混乱しそうになる僕の唇に自身の人差し指を押し付けて静かに囁く

「あ、え、その……な、何で……」

 何で凪に会いに行くのに一緒に行くことになるのか、そう聞きたいだけなのにいつも以上に言葉が出てこない

「何でって、ずいぶんなことを言ってくれる、お前じゃないか、あの日この私に情熱的な視線を向けてくれたのは」

 庵花魁は言いながら鼻先が掠めるほど近くに顔を寄せる

 僕は身長の高いほうだが僕までとはいかずも彼もまた背が高い

 それでも僕のほうが高いのに、すっかり萎縮した僕ではまるで僕のほうが小さく思える程に堂々としていた

「っ……! そ、それは……」

 あの日目が合った、そう僕は思った

 それがただの勘違いやまやかしではなく現実である、そう突きつけられただけで心臓が早鐘を打つ

「私は覚えているぞ、ちゃんと目が合ったことを、それともお前は覚えていてくれないのか? この私のことを」

 言いながら、一瞬だけ寂しそうに眉根にシワを寄せる

 それすらも全て計算され尽くした行動であると分かるのに、その一挙手一同から目を離せなくなる

「お、覚えてっ……いるけど……いや、でも、いきなりすぎて……」

 あの日、一目見て溺れた彼が目の前にいて、こうして僕に話しかけている、それだけのことがどうしようもなく現実味がなくて言葉を発するという行動だけにただただ緊張した

「ははっ、お前はうぶで可愛いな、つい……からかいたくなる」

「っ……」

 庵花魁は吐き出すように笑うと僕から顔を離して前を先導して歩き出す

 からかわれたのだ、という分かりきったことが分かって顔が一気に熱くなる

「なんてな、ただ私の目的の場所が同じ方向にあるから途中まで一緒に行こうというだけの話だ、なぁ、名前を教えてくれないか?」

 庵花魁は歩くスピードを僕に合わせて隣を歩きながら何の気なしに聞いてくる

「い、絃……夜見……」

 僕はつっかえながら何とか名乗る

 そして慌てて自身の口を押さえた

 それはつい、緊張して名字まで名乗ってしまったからだ

 僕は焦りながら庵花魁の様子を伺う

「夜見……絃、か、夜見、ねぇ……私は庵、知っているとは思うが、それ以外でも以上でもない、言いたいことは分かるな?……で、絃?」

「な、何……?」

 庵花魁……庵が言いたいことは分かった

 彼は自分を呼ぶ時に花魁をつけるなと言っているのだろう

 それが今周りにバレると困るからなのか、はたまたそういうことではないのか、そこまでは分からない

 それからもう一つ、僕の名字をしげしげともう一度呼んだことからもよく分かる

 彼は僕の実家に気づいて、そのうえでそれもまた気にせず一人の絃として話をしろと、二つの意味を込めて言っているのだろう

「お前は絵描きなのだろう? どうだろう、私にも絵をくれないか?」

 そんな庵は聞き返した僕にキラキラと瞳を輝かせてそんな提案をしてくる

「えっ……!? ぼ、僕の……絵を?」

 あの日僕を魅了した庵が、欲しがっている、というのか

「この流れでお前以外に何がある? ああ、心配しなくていい、しっかり支払いは出来るからな」

「そ、それは……心配してないけど……い、今は……凪にあげるこれしか持ってなくて……」

 おそらく冗談で支払い云々は言っているのだろうと分かるがそういう問題ではない

 それにそもそも今日持ってきているのは凪にあげる分だけだ

「そうか、それもそうだな……道具は……持っているようだから今から描かせても問題ないが……いや、凪が怒りそうだな、そうだな、それでは次に登桜した時に持ってきてくれ」

 庵は暫く自問自答した後に名案というようにそう言ってのけた

「え……?」

 僕はつい、間の抜けた返事を返す

「え、じゃないぞ、これは依頼だ、次回登桜する時に私に一枚絵を描いてきてくれというな、勿論相応の金は払うし、構図含めてどんな絵でも良い、君の技量が見てみたい」

「そ、そんな、僕なんかの技量なんて……っ……」

 技量云々の話の辺りで顔から血の気が引く

 僕の技量など、言ってしまえば試すまでもなく、そう、伝えたかったのに

 自分の顔の前でブンブンと振っていた手を庵は優しく掴んで止めるとまた距離を詰めて真剣な瞳で僕の目を覗き込む

「技量が良いか悪いかを決めるのはお前じゃない、私だ、分かるか?」

「……わ、わ、分かった」

 そして、どんな言い訳を並べようと決して通じないというような、そんな表情でまんまと僕を言いくるめて、僕が頷けば満足したように手を離して僕を解放した

「よし、従順な奴は嫌いじゃない、それじゃあ次登桜した時に桜屋まで絵を届けてくれ、庵花魁宛て、と言えば私がいなくても話が通るようにしておこう、さて、私の目的地はこっちだ、それじゃあ今宵の夢を楽しむといい」

「……あ、ありがとう」

 そして十字路まで差し掛かると庵はヒラヒラと手を振りながら曲がっていった

 僕は何とかその後ろ姿に聞こえるか聞こえないかのお礼を述べる

 そして、しっかりと人混みに消えていったのを確認してから

「行った、かな……え、僕……あれを買おうとしてるの……ははっ……いやいや、あり得ないって」

 道の端に寄って頭を抱えてしゃがみこむ

 身体中から溢れ出す絶対的な一位である自分への自信

 行動の一つ一つが洗練され、見たもの全てを虜にするようなその所作に、自分が求めたものがどれほどまでに高値の華だったのかを再度よく、理解する

「あ、で、でも知り合いにはなれたし、早く凪にも伝えないと……いけない……」

 だがハプニングとはいえ今のところ凪の作戦が上手く行っていることを混乱した頭で何とか理解すると僕は慌てて藤屋を目指すために立ち上がった

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