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1話「ペットボトルロケット」 

「X、今日は自由研究をしようと思うの」

 ある夏の朝。少女は私にそう語った。


 「自由研究」。私はその言葉に大いなる興味を覚えた。果たしてそれはどういった研究になるだろう。”自由”にまつわる解釈の研究だろうか。すなわち、自由という言葉がもつ多義的な意味を整理し、新たな定義や解釈を提案するのである。もしくは哲学的な視点からの議論かも知れない。「自由意志」や「主体性」、引いては「自己決定」について討論するのである。いや、新たな考察を深めるという可能性もある。人類という種族が歴史上で「自由」をどのように扱い、いかにしてそれを獲得・制限してきたのかを編纂するのだ。二足歩行のこの哺乳類たちは自由を獲得するまでに数々の解放運動、市民革命があったと聞く。

「私はペットボトルロケットを飛ばすの! お空に向かってビューンって!」

 少女は両手をあげ、力強く宣言した。

 今の私にはそれが自由とどのような関係があるのか今の私には理解できない。だが、きっと少女には深い意図があるのだろう。

「どうかな? X?」

 私は体を上下に揺らした。


 少女が暮らすこの島国は季節の変化が豊かである。特に、「夏」と呼ばれる今の時期は、上空から降り注ぐ光がまぶしいほどに強烈だ。そんな中、少女は煉瓦造りの居住空間の間を歩いていく。少女が履いている「サンダル」がパタパタと心地よい音を響かせていた。彼女の背中には、華奢な体には似つかわしくないほど巨大な収納装置「リュック」があった。首からは虫籠をぶら下げている。無論、その中にいるのは私だ。


 少女とすれ違う人類たちは、ちらりと彼女に視線を送るものの、それ以上深く気に留める様子はない。私の存在には気づいていないようだ。

 「町」を抜けると少女の足元は塗装されたコンクリートから、乾いた地面へと変わった。やや傾斜がかかり、周囲には植物群が見えるようになる。少女はもくもくとその坂道を登っていく。空は高く澄み渡っていた。大気中に浮遊する真っ白の凝縮体がゆっくりと青の中を流れている。

 彼女がたどり着いたのは「丘」と呼ばれる緩やかに隆起した地形であった。少女は歩みを止めると大きく息を吸い込む。遠くには先ほど少女が通り抜けてきた居住施設や、人類の移動手段の一つである4輪の機械が行ったり来たりしているのが見える。

 少女は、さっそく背中のリュックを下ろすと、その中からとあるものを取り出し、そして自慢げに私に見せた。

「X、これがペットボトルロケットだよ!」

 その物体は、透明なプラスチックの胴体に、カラフルな羽根のようなフィンが付いていた。水色、赤、黄色と、忙しない配色である。先端には、円錐型のキャップが取り付けられており、全体的に細長い形状をしている。中には液体が入っていた。どうやら少女は、今からそれを飛ばすつもりらしい。


 ロケットという言葉自体には私の中にも馴染みがあった。人類が惑星間を移動する手段の一つである。確か、構造や用途によって大きく3つのパターンに分けられるはずだ。


 まず、一般的なのが単段式ロケット。その名の通り一段構成の推進装置である。燃料や酸化剤を一つの構造にまとめて搭載しており、仕組みは極めて単純だ。製造コストが抑えられ、設計や組み立ても容易であるという利点もある。しかし、全ての推進剤を自重で運ぶため、効率は低く、輸送には向かない。主に短距離の観測として用いられる。この単純さが利点となる場面も多いが、推進力が限られることから、高度なミッションには不向きである。

 次に多段式ロケット。複数の段に分かれて設計され、それぞれが独立した推進システムを持つ。上昇中に不要となった段を切り離すことで、重量を軽減し、効率的な燃料消費を可能にする仕組みだ。製造コストが高い点が欠点ではあるが、大規模に輸送する能力は他に類を見ない。

 最後が再利用型ロケット。ロケットの一部または全体を回収し、整備を施して再び使用することが可能だ。これにより、宇宙開発のコストが大幅に削減され、より頻繁な打ち上げが可能となった。開発には高い技術力と初期コストが必要だが、運用面では効率が高い。


 だが、少女の言う「ペットボトルロケット」は、これらと比べると随分シンプルは造りのように見えた。

「空気の圧力で飛ぶんだよ」

 “ペットボトルロケット”の仕組みについて少女は説明をしてくれたが、私にはいまいちピンと来なかった。高次元の存在である私には、三次元的な物理法則は飲み込めない部分も多いのだ。

「これで空気を送るの」

 少女はリュックサックから金属製の縦長の筒を取り出した。先端には取手がついており全体はTの形をしている。筒の下端には広がった台座があり、側面にはゴム製のホースが伸びていた。「空気入れ」と呼ばれるものらしい。

「ホントはもっと大きいのが良かったんだけどね。勝手に使うと叔母さんに怒られるから」

 少女が用意した空気入れは、彼女の腰の高さほどだ。つまりは子供用ということなのだろう。


 さて、次に少女はペットボトルロケットへ空気を供給し始めたのだが、その様子は中々に興味深いものだった。

 まず、少女は空気入れを地面の上に置いた。膝を折り、少し背を丸めながら慎重にホースの先をペットボトルロケットの底へと取り付ける。なかなかに慣れた手つきでつけ終わると、T型の取手を両手で掴み、それを上下に動かし始めた。ポンプが押されるたびに、かすかな「プシュプシュ」という音が響く。その音に合わせて少女のカールされた黒髪が揺れる。時折、額にかかる髪を煩わしそうに払いながらも、眼鏡の奥の目は空気入れに集中していた。

 やがて、十分な圧力を加えることができたのか、少女はポンプを動かす手を止めた。肩で息をしながら、慎重にペットボトルロケットと空気入れの結合部分を手に取った。なるほど。そこを強く押し込むことで栓が抜け、外へと排出される空気圧でペットボトルが飛ぶわけだ。シンプルだが理にかなった仕組みである。私は大いに感心した。故郷へと帰ったら際には仲間に伝えることにしよう。無論、我々のような重力操作に長けた生命体には必要のない装置ではあるが、遊戯としての価値はある。


「飛ばすよ……」

 少女が私の方をちらりと見た。その表情には緊張感と高揚感が滲んでいる。彼女は深呼吸を一つすると、声を張り上げた。

「3……2……1……発射!」

 その言葉に合わせて、少女は結束部分を強く押し込む。その瞬間、ロケットが大空へと飛び出していく。そんな期待感が彼女の表情に広がった。しかし――

「……あれ?」

 少女の表情は渋いものだった。それもそのはず、ペットボトルロケットは微動だにせず、空気入れとしっかりと繋がったままなのである。噴射音もなければ、飛び上がる気配すらない。

 どうやら失敗したらしい。彼女はロケットの結束部分を手で触り、耳を近づける。

「空気が抜けちゃったのかな」

 なるほど。空気が抜けちゃうとダメらしい。仲間にはそのことも伝えることとしよう。


 それから少女はあれやこれやと工夫を繰り返した。ペットボトルの中の水の量を変えてみたり、結合部分をテープで補強してみたり。ノートに自分の観察や考えを書き込んでは、すぐに実験を繰り返す。

「トライアンドエラーは科学者の基本なの」

 少女は得意げにそう語った。

「『失敗とは進行中の成功である』。これはアルベルト・アインシュタインの言葉。Xはアインシュタインって知っている?」

 もちろん知らない。

「アインシュタインは相対性理論を見つけた人だよ。『私は失敗したことがない。 ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ』。これはエジソン。蓄音機とか電球を発明した人!」 


 それからしばらく時間が過ぎた。空に浮かぶ銀河系の恒星、人類が「太陽」と呼んでいるそれは少しずつ沈み始めている。

 少女は相変わらずペットボトルロケットと格闘している。


 西の空が茜色に染まり始め、我々がいるこの丘の上にも涼やかな風が吹き渡り始めた。私はこの星の出身ではないが、どことなく寂しげな雰囲気が漂い始めていることを感じる。「失敗は成功のもと」と意気込んでいた少女の顔にも、ほんの少しばかり暗い影が落ちていた。

「なんで飛ばないの?」

 少女の表情は険しい。私は少女の周りを飛び回り、「そろそろ帰った方が良いのではないか」と伝えようとした。以前、『不死蝶』を捕まえようとして帰宅が遅くなった時などは叔母にひどく怒られていた。

「うん、わかってるけど」

 諦めきれないのか、少女はもう一度だけ空気入れに手を伸ばした。T型の取手を何度か上下に動かし、ペットボトルロケットと空気入れの結合部分を握る。

 結果は同じだった。彼女は大きく息をつくと、しゅんとした表情で道具をまとめ始める。そっと虫籠を拾い上げると、ゆっくり歩調を落として丘を下っていった。


 帰宅した後も少女は心ここに在らずであった。声をかけてきた叔母に対しても、生返事しか返さず、夕食と入浴を済ませるとすぐにベッドに潜り込んでしまった。

 風呂から出てきても、その顔は晴れない。失敗したペットボトルロケットの残像が頭の中に残っているようだ。


――私が力を貸すべきだろうか


 実際のところ、私にはあのロケットを飛ばす手段がある。空気圧や水の量など関係ない。私にとって、三次元の重力をわずかに曲げることなど造作もないことなのだ。少女のペットボトルロケットはあっという間に空高く、彼女が目指す以上の高度へと運ばれていくだろう。明日も明後日も同じ実験を繰り返すとしたら、私としても見応えがない。さっさとペットボトルケットは成功してもらい、次の研究へと移ってもらうのが良いだろう。


 そんなことを考えていると、少女がむくりと起き出した。時刻はこの星の時刻で0時。こんな時間に少女が目を覚ますことは滅多にない。少女はパジャマ姿のまま部屋を抜け出していった。なにをするのだろうか。私は、プラスチック製の虫籠をすり抜けて彼女の後を追う。今更だが、こんな檻など私にはなんら意味を持たない。


 部屋を出た少女は、廊下を歩いていた。彼女の足音は、廊下の古い木の床に吸い込まれるようにかすかである。廊下は薄暗く、壁にかかる写真立てが月明かりを受けて微かに光っている程度だ。人類は闇を恐れると聞いていたが、少女は特に怯むことなくスタスタと歩いている。玄関にたどり着くと、靴に履き替えた彼女はそっと家の扉を開けた。蝶番がかすかに軋む音を立てるが、彼女はそれを気に留めることなく外へ滑り出る。

 外は生暖かい空気に包まれていた。「冬」という季節になると一気に冷え込むと以前、少女が語っていた。空を見上げれば、夜空には星々が点々と散らばっている。私の故郷がこの星から見えないのが残念だ。リリリ、高い音が聞こえる。昆虫綱に属するこの星の生物のようだ。


 少女はと言うと、庭をぐるっと回り、家の裏手へと歩みを進めていた。ゆらりと浮かび、私はそのあとをついていく。やってきたのは小さな物置だ。昼間には見過ごしてしまうほどひっそりと建てられており、夜の闇の中ではその輪郭が古びた灰色の影となり、不思議な雰囲気を増している。少女は慎重に扉を引く。軋むような金属的な音が響いた。

 物置の中はひんやりとした空気に包まれていた。こう見えて、私には人類でいう嗅覚に相当するものが備わっている。それ故、湿気を含んだ木材の匂いや工具と呼ばれる道具たちの金属が混ざり合った匂いを感じ取ることができた。


 少女は棚の上段に置かれた木箱を開け、中を覗き込む。こっそりと私も少女の背中越しにその中を見る。錆びついた「ドライバー」や使い古された「スパナ」が入っていた。しかし、どれも彼女の目的とは合わないらしい。「違う……」と小さくつぶやきながら、さらに奥を探る。箱の中で金属がカチカチとぶつかり合う音が小さく響いていた。視線を下へ移し、少女は床近くに置かれた丸い金属製の缶を引き出す。すると、その隣に彼女の目当ての物があったらしい。

「あった!」

 彼女は思わず声を漏らし、慌てて両手で口を閉ざした。それからにんまりと笑顔を作り、目当ての物体に手を伸ばす。それは、少女の目線ほどの背丈を持つ「空気入れ」だった。彼女はそれをしっかりと抱きしめると物置の外へと急いだ。深夜の物置で見つけた戦利品を抱え、彼女の表情にはほんの少しだけ光が戻っていた。


 自分の部屋に戻ると、少女は机の上の明かりを付け、再びペットボトルロケットの部品を取り出した。手に入れたばかりの空気入れをそっと床に置き、次に本棚から何冊か本を取り出す。折り目のついたページを開き、熱心に目を通していた。作り方を改めて確認しているらしい。

 日中に得た失敗のデータを元に水の量を調整し、ゴム栓を改めてしっかりと固定する。倉庫には少女が持っていたものおりも粘着性の高いテープが置いてあったようで、ちゃっかりそれも彼女は拝借していた。そして、例の空気入れを使ってロケットの中の圧力を高めていく。


「できた……!」


 少女がそう呟いた時にはすでに時刻は4時を回っていた。私の記憶が正しければまもなく日が昇る時刻である。「ふわあ」と少女が口を開ける。さすがの彼女も眠いらしい。人類が心身健やかに生存していくためには睡眠という作業が不可欠なのだ。

 ゴシゴシと少女が目をこする。瞼が重そうだ。「飛行テストは明日にした方が良いのでは?」。私はそう伝えようと彼女に近づく。しかしその一瞬前に、少女の眠気がピークに達したらしい。ふらっと少女が体勢を崩した。右足が床を滑り、やや前方へとつんのめる。そしてその勢いのまま彼女はペットボトルと空気入れの結合部分を押し込んだ。

 ごうっ――と水の噴射音が鳴り、そして、少女が持っていたペットボトルロケットがまっすぐ窓のほうへと飛び出した。夕方の失敗が嘘のような凄まじい勢いで、あっという前に窓の外に。少女は開け放していた窓の外へ目をやり、そのまま呆然。

 そして一拍遅れて、

「わあああっ!」

 歓喜の声が部屋じゅうに響き渡った。

 ロケットは夜風に乗り、随分向こうへと飛んでいったらしい。少女はそのまま窓辺に駆け寄り、勢いあまって壁に体をぶつけながらも、遠ざかるロケットの影を追いかける。

「やった! やったぁあああ!」

 その時、廊下を足早に歩く音が聞こえた。少女の部屋の扉が勢いよく開かれる。立っていたのは少女の叔母だ。短い黒髪に不機嫌そうな鋭い目をしている女性である。

「なにこれ……?」

 部屋の様子を見て叔母は目を丸くした。それもそのはず。叔母の視界が捉えたのは水浸しになったカーペット、散乱するペットボトルの切れ端、転がったままのハサミにカッターなのだ。

「えっと」

 少女がうまく言い訳を考える時間もなく、叔母の顔に怒りが浮かび上がる。

「何時だと思ってるのっ!」


 それから小一時間ほど、叔母の説教となった。


「自分で片付けること、良いわね!」

 そう言い終えると叔母はピシャリと扉を閉めた。「あれ?」少女はどこか拍子抜けしたような表情をする。

「ねえ、X」

 少女がこっそりと私に話しかける。

「叔母さん、もっと怒るかと思った。だって、Xも知ってるでしょ? 前にこっそり物置に入った時はもっと怒ってたじゃない?」

 そのことは私もよく覚えていた。怒りくる叔母の前で、少女はこの世の終わりかのように怯えていた。

「なんでだろうね。だって私……」

 途端、少女が先ほどよりもさらに大きなあくびをした。実験成功と叔母の説教で保たれていた緊張感もついには切れてしまったらしい。わずかに残った気力でベッドへと近づき、そのまま倒れ込む。すぐにスヤスヤと寝息を立て始めた。 


 少女の寝息を聞きながら私は視線を上へと移す。天井には、少女が物置から持ってきた例の空気入れがピタッと張り付いていた。叔母が部屋に入ってくる直前に私が浮かせておき、彼女に発見されないようにと画策したのだ。私にとって、三次元の重力をわずかに曲げることなど造作もないことである。


 しかし、結局、”自由研究”とはなんだったのだろう。

 私は少女の寝顔を見ながら改めて考える。「自由意志」や「主体性」にまつわる議論はしておらず、解放運動、市民革命に関する研究とは随分とかけ離れていた。まあ、深くは考えまい。私と彼らでは文化が違うのだ。分かり合える思う方がおこがましい。


「次はもっと遠くに飛ばそう……」

 少女が寝言を漏らした。どうやら、彼女は夢の中で次の実験に着手しているらしい。

「今度は宇宙まで……」

 それは無理だ。ペットボトルの材質では大気圏を抜けることはできない。しかし、それを指摘するのは野暮というものだろう。

 夢世界で何を想像するのか、それは個人の”自由”なのだから。


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