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第17話 黄色いパパと青いパパ

 夕方――。

 終業時間直前に飛び込みの相談が入ったせいでお迎えが遅くなってしまい、園の門を駆け足でくぐった。

「申し訳ありません!」

 夕方の延長保育ギリギリの時間だった。南月は肩で息をしながら何度も保育士に向かって頭を下げた。

「お仕事大変ですね」

 保育士が労いの言葉をかけてくれる。いつもと変わらない笑顔を見ると、余計に申し訳ない気持ちになった。

「早紀、早保、お待たせ」

 教室に残っていたのは二人だけだった。二人はクレヨンを両手に一本ずつ持ち、大きな紙に夢中で絵を描いていた。

「上手に描いてるね」

 南月の声に応えず、一心不乱に描き続ける二人の代わりに保育士が答えてくれた。

「今日は遊びの時間中、ずっとお絵かきしていたんです。黄色と青がお気に入りみたいで」

「黄色と青?」

 南月は改めて二人の絵を見た。以前の保育園では黒かグレーしか使わないと言われたが、今日は明るい色が画用紙の上に広がっていた。

「早紀、早保、とってもきれいに描けているよ。黄色はパパが大好きな色だったね」

 南月の言葉に早紀が大きく頷き、顔を上げてニコッと笑った。

「パパ!」

「え?」

「パパなの」

「パパ? ……黄色いのがパパ?」

「パパなの」

 早紀は自信満々に答えると、再び黄色で描き始めた。たくさんの丸が画用紙の上に広がっていく。

「パパって……。さ、早紀が、早紀が今……喋った」

「こっちもパパ!」

「え?」

「青のパパ!」

「さ、早保も……喋った……」

 二人は「パパなの」と言いながら黄と青で次々と丸を描いていく。

「い、今……早紀と、早保が……パパって」

 心理発達相談員というプレートを胸に付けた保育士の顔を見た。保育士は柔らかな笑みを浮かべた顔で、全てを肯定するようにゆっくりと頷いた。

「今日の午後から急にお喋りが始まったんです。一度話し始めると正に言葉の洪水。息をするのを忘れていないかな、って心配になるくらいでした。夕方になると、ちょっと疲れたのかな? 静かになりましたが、言葉のキャッチボールがとても上手ですよ」

「午後から……急に……」

「えぇ。よくあることなんです。子どもって、喋らなくても周りの人が助けてくれますよね。特に母親は子どもの考えを察し、先回りして手を差し伸べます。それに、双子は一緒に居るだけで気持ちや考えが通じ合うそうですしね」

「喋る必要が……なかった?」

「えぇ。でも、喋ってその楽しさに気付いたのでしょう。上手な二語文を喋っていますよ」

「二人で、お喋り……、二語文を……」

「黄色いパパ、青いパパ。ずっとパパを描いています」

「黄色いパパと……青のパパ?」

「二人で笑い合ったり、遊具を指差したりしながら、楽しそうに何枚も描きましたよ。さぁ、早紀ちゃん、早保ちゃん、おしまいにしようね。今日の絵は持って帰っておうちに飾ってもらいましょう」

 保育士に促されて二人は素直にクレヨンを置いた。

 絵を見詰めながら南月が呆気に取られていると、二人が腕に抱きついてきた。そこからかわいいお喋りが始まる。

「ママ、こおっけ!」

「ママ、こおっけたべたい」

「コロッケ?」

「たべたいの!」

「たべたいの!」

 驚きのあまり返事ができずに居ると、保育士がフフフと笑った。

「今日、ちょっとトラブルがあって給食のおかずが足りなかったんです。裏のお惣菜屋さんにおかずを分けてもらえないかお願いしたら、山盛りのコロッケを持って来てくれて、それがまた美味しくて。みんな『おかわり!』『もっと食べたい!』って大喜び。早紀ちゃんと早保ちゃんも、満面の笑みで頬張っていました」

「そ、そうですか」

 保育士と話している間にも二人は「食べたい」とせがんでくる。結局、そのまま惣菜屋へ寄ることになってしまった。

「こんばんは……」

 一見すると普通の家のように見える店の入口を開けると、中はおいしい匂いに満ちていた。

 店内には壁に沿って台が据えられていて、パック詰めされたお惣菜が並べられている。もう遅い時間だからだろうか。残りは少なく、レジの横にあるショーケースの中も、コロッケが数個残っているだけだった。ドアベルを聞いて奥から老婆が出て来た。

「いらっしゃい。あらあら、保育園の双子ちゃん! 来てくれたんだね」

「きたよ」

「きたよ。ママにいったよ」

「まぁ、えらい! ちゃんと言えたんだね。賢いねぇ」

「あ、あの……ちゃんと言えたって、どういうことでしょうか?」

 二人がショーケースに駆け寄って「こおっけ」と連呼する中、南月は恐る恐る尋ねた。

「あぁ、今日、園にお邪魔して、みんなと一緒にお昼を食べたの。その時にちょっとお話をしたのよ。『いただきます』『ごちそうさま』『美味しい』『もっと食べたい』を大きな声で言おうね、って。口に出して言えば相手に気持ちが伝わる。そうすれば、みんなが嬉しくなるんだよ、ってねぇ」

「気持ちが……伝わる?」

「気持ちが伝われば、みんなが幸せになれる。だから、おうちで言おうね。いっぱい食べようね、ってお話したの。えらいねぇ。ちゃんとママに言えたんだね」

 老婆は顔の皺を更に深く刻みながら早紀と早保を見た。二人は目をキラキラさせながらコロッケを指差している。

「こおっけ、たべたいの!」

「こおっけ、おいしいの!」

「はいはい、コロッケだね。婆ちゃんの特製コロッケはとっても美味しいよ」

 早紀と早保、そして老婆の三人で会話が成り立っているのを見ながら、南月は胸が熱くなるのを感じた。なにか分からないが、とにかく込み上げてくるものを抑えられなかった。

「ありがとう……ございます!」

「はい、ありがとう。もう、今日は店を閉めるから、どれでも好きなのを持って行っていいよ。ほら、どれが食べたい?」

 老婆が双子に尋ねた。コロッケ入りの袋を手にした双子は、指差ししながらひとつずつお惣菜パックを見ていく。

「これ、なに?」

「これ、おいしい?」

「それは、かぼちゃさんだ。おいしいよ」

 双子の「なに?」に丁寧に答える老婆。そんな微笑ましい遣り取りを見ながら目元を抑えていると、食べきれないほどのおかずを持たされた。

「こ、こんなに! ありがとうございます」

「遅くまでお仕事ご苦労様。今夜は婆ちゃんのおかずを食べて、ゆっくり休んでね」

「は、はい! いただきます」

「いただきます」

「いただきます」

 早紀と早保がパチンと手を合わせて頭を下げた。その様子が可愛くて、涙を浮かべた目のまま笑ってしまった。店の中に明るい笑い声が響いた。

「さぁ、帰って食べようか」

「たべたい!」

「たべたい!」

 可愛い声を聞きながら、南月はほっこり温かな心でハンドルを握った。

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