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第19話 繋がる瞬間

 今日は車の一年点検の日だった。

 数日前にそれを思い出し、南月は休暇届を出していた。

 保育園に双子を送った後、ディーラーに車を持ち込む。仕上がりは夕方だ。護が懇意にしていた営業マンに頭を下げてから、南月はバスに乗った。

 乗り慣れない車であちこち走るのは怖いので、今日は一日バス。行き先は亡き夫、護の墓だ。

「久しぶりです……」

 墓石の前に立つと、大切な者が人の形を失った現実を否が応でも知らされる。悲しみを心に上塗りするような気がして、墓参りはあまり気が進まなかった。

 だが、今日は行かねばならない。護という存在に直接語りかけなければならない。そんな思いが南月を突き動かしていた。

 手桶に柄杓、榊、そして黄色い花束と菓子を持ち、霊園前でバスを降りた。駐車場とは全く違う場所に着くので、見える風景が新鮮だった。周囲を見回してから、霊園に続く遊歩道を歩き出した時だった。

「……あ!」

 小さな店が見えた。その暖簾を見た南月の時間が止まった。

「源六……、……名物・黒饅頭?」

 看板に貼られた写真を南月は見たことがあった。

「……」

 胸が騒いだ。

 何かに背を強く押さるように早足で遊歩道を進んだ。手桶に水を汲むのも忘れて護の墓へ向かった。

「!」

 線香の香りが漂っていた。

 墓前に、ミニヒマワリの花束とハーゲンダッツ、そして黒饅頭が供えられていた。


 大切な親友との約束

 ハーゲンダッツ

 ひまわり畑

 源六

 頭の中を整理するために行く場所


 全てが繋がった。

 手に持っていた物を投げ捨て、周囲を見回した。

 居ない。

 だが、墓石はまだ濡れている。ハーゲンダッツも硬いまま。線香も十分、長い。

 南月はミニヒマワリの花束を掴んだ。

「社長!」

 全力で駆けた。

 きっと、まだ間に合う。駐車場へ行けば会えるはずだ。

 石畳の上を走り、生け垣の中を抜け、駐車場を横切る。そして、一台の車に向かって全力で駆けた。

「待って!」

 黒いセンチュリーに乗り込もうとした男が振り返った。

「……」

 夏の日差しの下、男がサングラスを外す。

 居た。

 天黒だ。

 求めていた人を前に、南月は一度足を止めた。

 じっとその姿を見詰める。そして、一歩前に出た。

「いつからですか? ……いつから……僕のことに気付いていたんですか?」

 ミニヒマワリの花束を差し出しながら尋ねた。天黒の視線が花と南月を往復する。

「……初めてこの腕に君を抱いた時だ」

 サァッと風が吹いていった。

「さ、最初から……」

 天黒は小さく頷き、真っ直ぐに見詰めてきた。

「護とやり取りしていたメールの中の『大切な人』を腕に抱いた時……」

 天黒の目が青の輝きを宿した。

「護に『事情があってアルファに会わせるのは気が引ける。でも、いつか必ず紹介する』と言われていた君をこの腕に抱いた時……」

 真っ直ぐに見詰めてくる視線は、陽光さえ霞むほど鮮やかで美しかった。

「俺が君を守る、と心に決めた」

 天黒の告白に、南月の胸から一気に熱が溢れた。

「僕は……僕は……」

 そんな想いに気付かず、今日まで来た。

 でも、南月は今、ここに居る。

 今日、護の墓に来たのは……。

 その理由は――。

「僕は『好きな人ができました』って、護さんに報告に来ました」

 ザンッと一陣の風が吹き抜けた。

 黄色い花びらが舞い上がる。

 天黒の青が鮮やかさを増す。

 南月の胸がドクンと鳴った。

「……俺も同じだ。親友に『生涯を共にしたい人ができた』と報告に来た」

 天黒が両手を広げた。

 南月の足が自然に前に出る。

 そして――、ふたつの影がひとつに重なった。

「もう、何度も護に報告して……君の気持ちを待っていた」

 優しい抱擁に目を閉じた。南月の心が満たされていく。

「はい……」

 全てを肯定する言葉を短く返した。

 見詰め合いながら、お互いの言葉を噛み締め合った後……。

 唇が触れ合った。

 言葉以上のものが熱に混じって伝わり合う。

 お互いの熱がひとつに溶け合い、の体の奥へ染み渡るまで、二人は動かなかった。

 やがて――。

 黄色い花びらが舞う風の中、天黒の手が南月の背をそっと押した。

 ドアが閉まる音にエンジン音が続いた。

 滑り出した車を追うように、何枚もの花びらが長く舞い続けていた。

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