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第21話苦悩の魔女アデール 5

「私の心がレシファーに乗っ取られることなんてあり得ないわ。それはない」


 私は心の底から断言する。


 一度たりとも彼女を疑ったことなどない。


「それに、安心しなさい……私が心を乗っ取られるのを貴女が目撃することはないわ」


「断言できるほど、レシファーを信用していると言いたいのかしら?」


「それもあるけれど……その前に貴女には退場してもらうから!」


 私はそう強く宣言する。


 これは覚悟の宣言だ。


 あきらめの宣言だ。


 説得してもキテラの呪いによってアデールは死ぬ。そうなると私達が殺されるか、彼女が殺されるかの二択……


 悪いけど私には守るべき人がいる。


 ここで死んであげることはできない!


「大きく出たわね、アレシア。その小屋がいくら頑丈でも、攻略法なんていくらでもあるのよ?」


 アデールは相変わらずエリックを狙うつもりらしい。


「小屋を壊さずとも、小屋ごと沈めてしまえばどうということもないわ!」


 マズイ! 


 私は一気に速度を上げ、小屋に向かって急降下する。


 彼女はここら一体の地形を変えるつもりだ!


「水よ、侵入者にノアの箱舟を!」


 私が小屋に到着するのと、アデールの詠唱が終わるのはほぼ同時だった。


「エリック!」


 エリックはいつでも動けるように準備していたらしく、盾を持って小屋の入り口付近に屈んでいた。


「行くわよ!」


 私はエリックを抱きかかえ、宙に浮かぶが、前方から凄まじい量の水が押し寄せる!


 彼女の詠唱にもあった、ノアの箱舟の神話のような大洪水を引き起こす魔法……


 目前に迫った濁流の高さはおよそ五メートル。


 とても間に合いそうにない!


「命よ、我に従い、その名を示せ!」



 レシファーも呪文で地中から大規模な壁を作り出し、少しでも濁流の到着を遅らせる。


 私は懸命に上を目指す。


 はるか上空、レシファーの待つ空へ向かって。



「助かったわ」


 なんとか濁流から逃れた私とエリックは、レシファーと並んで、アデールを見る。


「小賢しい!」


 アデールは苦悩に満ち溢れた眼で、私を睨む。


「どっちがよ! エリックばっかり狙って、魔女としてのプライドはないの?」


「ふん。私が悪魔を理解していないのと同じように、貴女も魔女のことを理解できていないようね、アレシア」


「どういう意味よ」


「私は、魔女の誇りにかけてそこの人間を狙っているのよ! 魔女同士の果たし合いに、人間なんて下賤な生き物はいるべきじゃないのよ!」


 私は一瞬耳が遠くなったように感じた。


 下賤な生き物?


 誰が? 人間が? エリックが?


 分からない分からない分からない!!


 アデールが言っている意味が理解できない!


 あの女の考えが魔女の定義であるなら、魔女のことなどどうでもいいのかもしれない。


 彼女たちの考え方が理解できないなら、私はすでに魔女ではないのかもしれない!


「レシファー。エリックを頼むわよ」


「アレシア様?」


「アレシア?」


 私の感情を失ったかのような冷たい声に、レシファーとエリックは不思議そうに私の顔を凝視する。


「片づけてくるから、良い子にね」


 私はそんなエリックの頬に口づけをして、ゆっくりとアデールに向かって飛行する。


「もういいかしら? 今度こそ仕留めてあげるわよ、アレシア!」


 アデールはそう叫ぶと、無詠唱で水の弾丸を無数に私達全員に当たるように飛ばす。


「まかせて!」


 エリックは盾を構えると、レシファーとエリックに飛んでいった水の弾丸は、見事に跳ね返り、アデールに向かう。彼女はそれに新たな水の弾丸をぶつけて相殺する。


 私はなんの防御策も取らず、ただ前に進むのみ。


 この程度の攻撃、私が何かしなくても森から伸びたツタが叩き落とす。


 久しぶりに本気で怒っているのを自覚している。


 内臓が熱い。血液が滾る。心臓の鼓動が速くなる。しかし頭は妙に冷静で、彼女が操る水よりも冷たいだろう。


「命よ、罪人に非業の死を! 血の災いを!」


 今度はこちらの番。


 自身の魔力が高まっているのを感じる。


 最盛期とまではいかないが、それに近い魔力が戻ってきている。


 やはりこの結界の中では感情が増大する。


 魔力とは、自身から湧き出る物……肉体もそうだが、対をなす精神は魔力量に直結する。


 私が詠唱を終えるが、なにも起きなかった。否、何か起きたと認識できなかった。


「大層な詠唱だと思えば、失敗? ハハハハハ! 裏切りの魔女にはぴったりな結末ね!」


 アデールは私の魔法が失敗したと思っているのだろう。私をバカにしたように笑い、私に杖を向ける。


「水よ、侵入者に!!」


 しかし彼女の詠唱はそこで止まった。


 正確には止められた、私に。


「……なん、で!?」


 アデールは信じられないように私を見る。


 彼女は口から言葉の代わりに血を飛ばす。


 血を吐き出しながら、ゆっくりと地上へ落ちていく。


「まだ分からないのかしら?」


 私も徐々に高度を下げ、地上に落ちていったアデールに近づいていく。


 私は地面に着地し、しゃがみ込む。


 そして地面にうずくまり、もがき苦しむ彼女の顎に手をやり、引き上げる。


「私の魔法が失敗するわけないでしょ?」


 私は、そう彼女の目を見て告げる。


 魔法は失敗していない。


 私の本気……見えない攻撃、見えない破壊……


「花粉って知ってる?」


「……花粉?」


「そうよ。ここに生えている木々からあふれ出ている花粉……貴女だけでなく、私達も全員無意識に吸っている花粉。さっきの魔法はね、アデール。体内に残留した花粉が魔力に反応するようにする魔法なの」


「魔力に反応? そんなの……魔女か悪魔にしか効かないじゃない!」


 アデールは大声を出したせいか、むせてさらに苦しむ。


「それの何が問題なのかしら? 人間をバカにしている魔女の死に際には、うってつけの魔法だと思わない? さっきの私の詠唱ちゃんと聞いてた? 血の災いをって言ってたでしょう? 最初から魔女一点狙いの魔法よ」


 私はそう言って、立ち上がる。


「魔力さえなければ死なずに済んだのにねえ?」


 私の言葉に反応はない。


 もうアデールは体をピクリとも動かさない。


 私はそんな彼女を見て、自然と涙が流れてきた。


「えっ!?」


 自分でも理解できない感情……さっきまで怒りが支配していたかと思えば、今は何とも言えない虚しさが胸に広がる。


 コントロールの効かない感情が自身の中でグルグルまわる。


 一つ確かなことは、苦悩の魔女アデールを殺したということだけだった。


 それだけだった。


 私はまたも同胞を殺したのだ。


 彼女とは考え方は違っていても、それでも三〇〇年来の知り合いを殺すというのは、やっぱり慣れない……


 慣れなくちゃいけないのは分かっている。


 分かってはいるけれど、それでも……心は痛む。


 この気持ちに、この感情に名前はない。あるのかも知れないが、私はそれを知らない。


 ただただ心が痛く、心が寒い……


「アレシア」


 気づくと、エリックとレシファーは私の目の前にたっていた。


 声をかけられるまで気づかなかった。


 どれだけ私は動揺していたのだろう。


 情けないな……


 エリックは、自分がかけた声に反応が無い私を、優しく抱きしめる。


 久しぶりと錯覚する温度、匂い……そのどれもが私を正気に戻させる。


「ありがとうエリック……」


「えっ!? 僕なんかしたっけ?」


 私を抱きしめながら驚くエリックに、少し笑った。


 彼はどうしてお礼を言われたのか分かっていない。


 理解しないままで、きっちり私を包み込んでくれる。欲しい時にそばにいてくれる……


 本当に彼がいてくれて助かった。


 レシファーは私達に気をつかってか、少し距離をとり優しい眼差しを向ける。


「本当に……ありがとう」


 私は二人に向けて、ただひたすらに感謝の気持ちを吐き出した。


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