五
『商区』・表通り――。
「あっしとしたことが、見失ったか……」
泡沫は人込みの中で立ち尽くした。
空を見上げると、青かった空は夕日と重なり淡い桃色に変わりつつあった。
薄暗い道を、提灯が照らし始めた――もうすぐ夜が来る合図だ。
「やれやれのやれだね。ちゃんと追いかけておけば良かったか……」
しかし、あの時の小雨は一人であり、心中する相手などいないように見えた。
それに、どこか幸せそうにも見えた。とても今から身投げする娘の顔には――。
――しかし、何だ、この胸騒ぎは……
そんな事を考え、泡沫が立ち止まっていると、後ろから慌ただしい足音が響いた。
「おい、うた!」
「何だい、賀照。忙しないねえ」
「それどころじゃねえんだ。てえへんなことが分かったんだよ」
彼の尋常でない態度に、泡沫は細い目をさらに細くした。
「今回の身投げ騒動なんだが、二件目からは単独での飛び込みなんだが、一件目だけは二人だったんだ」
「二人? それというと、何かい。一件目だけは心中で、二件以降は……」
――そういえば、似たようなことを梅さんが言っていたな。
彼女も一件目は心中だから、連続身投げ事件には関係ないと思っていたようだが。
「まさか……」
そこで、泡沫は目を見開く。
「おい、賀照! 一件目の身投げは、遊女とその客じゃないか!?」
「あ、ああ、そうだけど」
珍しく取り乱した様子の泡沫に、賀照は驚きつつも頷いた。
「一件目の身投げは、遊女の
「それで心中か……」
そういえば、小雨が似たような話をしていたな。
「それが、違うんだよ」
「え?」
「俺も、最初はそうかと思ったんだが……調べてみたら、心中ではなかったらしいんだ」
「どういう意味だい? まさか男が怖じ気づいて……」
「そうじゃないんだ。二人は死ぬつもりじゃなくて、生きるつもりで逃げ出したらしくて」
「駆け落ちだったのかい?」
「ああ、だけど、その途中で、身請け先の男に見つかって、男の方はその場でばっさり斬られて……女も致命傷とまではいかなかったらしいが、その場で切り捨てられたって話だ」
「切り捨てた? じゃあ、二人は……」
「女の方がまだ息があったみたいで、男の身体を抱えて、そのまま川に飛び込んだらしい」
「……どういうこったい。斬り傷があるなら、普通気付く筈だが、何で心中ってことになっているんだ」
「それは、相手の男の家柄のせいじゃないかな」
背中に声がかけられ、泡沫と賀照は同時に振り返った。
「先生!」
町医者の巴が、佇んでいた。
日焼けを知らない白い肌に、白い衣のせいで、夕闇の中で彼は淡く輝いているように見えた。それでも不気味ではなく、妖艶な美しさに見えるのは彼が持つ色気のせいか。
「やあ、泡沫、賀照」
「相変わらず、人が悪いお人だ。その様子だと、何か掴んだんですね」
「うん、彼女が教えてくれたからね」
「彼女?」
泡沫が問いかけると、それに答えるように巴は左に寄って場所を譲った。
「お前さんは……」
巴の背中から、派手な装いをした遊女・雲雀がばつの悪そうな顔で現れた。
「雲雀姉さんじゃねえか。どうして、先生と……」
賀照が問うた。
「ちょうど君達を訪ねに花街に行こうとしていた時に出会ったんだよ。泡沫を探しているって言うから、連れてきたんだが……」
「泡沫様!」
巴の言葉を遮り、雲雀が泡沫に縋り付いた。
「泡沫様、あの子を知らないかい?」
「あの子ってえと、小雨のことかい?」
「ああ、いなくなっちまったんだよ」
「え……」
「店の中にはいないし、『繁華街区』の何処にもいやしない」
よく見ると、雲雀の足下は泥や砂で汚れており、いつも大事そうにしている着物の裾も汚れていた。大胆に開いた胸元も玉のような汗が浮かんでおり、額から頬かけても汗で湿っている。
「きっとアイツだ……」
雲雀が吐き捨てるように言った。
「あの男だ。せせ姉さんの時も、朝霧や千代の時もそうだった……いつもアイツが傍にいた」
「お、おい、雲雀姉さん。落ち着いて話してくれよ。アイツって誰だよ?」
賀照が取り乱している雲雀の肩に手を置いて、落ち着かせながら問うと――彼女は、親の仇の名のように言った。
「厚切鴨ノ助……せせ姉さんを、殺した男だ」