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第11話

 ノートPCをシャットダウンすると、部屋の中は真っ暗になる。電気は一応来ているのだが、点ける気にはならなかった。疲れているのもあるが、乙女はもう少しこの闇を楽しみたい気分になっていたのだ。


 乙女は軽く伸びをして立ち上がる。外に出てみようと思ったのだ。


 真っ暗闇で何も見えなかったが、室内には躓くような物は無かったのでそれほど困らなかった。


 ホールに出て、重い扉を開く。夜気がさっと流れ込んできた。


「おお、外は結構風があるな」


 萩森が標高が高い、と言っていただけあって、夜になるとだいぶ涼しい。待宵屋敷が山の中腹のようなところに建っているので、余計にそう感じるのかもしれない。


 眼下には町明かりがともし火のようにまたたいている。田舎町なので、地上の星のようだ、というわけにはいかなかった。あきらかに夜空の星の方が明るい。


 町の明かりが闇に融ける、ちょうど狭間のような部分を、夜汽車が通り過ぎて行く。乙女もあれに乗って来たのだ。


 あの、暗い海の底のような斧馬盆地をガタゴト走っていく列車の音を聞いていると、乙女は地の果てに来たような、なんとも侘しい気持ちになった。


 ふと、目線を上に向けると、遠くの山の上に何か光っている。


『山の上……いや、ちげえ。もっと高いな』


 どうも山の上に塔か何かが複数建っていて、その上方にライトが点いているらしい。チカチカと点滅している。


『そういや。風力発電かなんかの風車があの辺に建ってるんだっけ……』


 昼間、市役所で萩森か誰かがそのようなことを言っていた気がする。


『明日確認してみっか』


 乙女は、斜面に落ちないようにと設けられている木の柵にぐっ、と体重を預け身を乗り出した。深い意味はない。強いて言うなら、もう一度、これから自分が住む事になる斧馬の空気を身体いっぱいで感じたかったのだ。


「やっぱ東京とは全然違うな……」


 柄にもなくセンチメントな気持ちを吐露したその時、乙女は背後から何かの視線を感じた。


 少しも躊躇せず乙女は振り向いたが、誰の姿も見えない。


『建物ん中か……?』


 乙女は、自分の〝他人の視線を感じる力〟には絶対の自信がある。アイドル時代に培った能力の内の一つだ。


 昼間、待宵屋敷の中の部屋は全て見て回ったが、誰も居なかった。その後も乙女の知る限り、誰かが訪ねて来た、ということもない。


「ま、様子見だな……」


 乙女は呟き、屋敷の中へ戻って行った。


 翌日の朝、寝袋から起き出した乙女は、嬉しさのあまり、思わず口笛を吹いてしまった。


 窓にペタペタと手の跡がついている。乙女が自分でつけたものではなさそうで、それは小さな子供の手のもののように見えた。


 これだけ見ればただの悪戯かとも思うが、跡は窓のにあるのだ。建物の戸締りはきちんとしているはずである。窓にも、この部屋にもちゃんと鍵はかかっていた。


 跡は複数ある。左右の違いはあれど、全て同一人物のもののように見えた。


『ふむ』


 乙女は注意深く床を見てみる。自分と萩森のもの以外足跡はついていない。うっすら埃が積っているのでよくわかった。


『幽霊なら足はない……のかな?』


 怪談じみた想像も、乙女にとっては楽しいレクリエーションだった。


「ヘヘっ。しばらく退屈せずにすみそうだ」


 昨夜少し罹患しかかったホームシックも一気に吹き飛んでしまった。


「……んっ?」


 窓に薄く映った自分の姿に、乙女は違和感を抱く。首筋に何かある。赤いぽっちのようなものだ。手をやってみても取れない。すぐにそれは小さい傷跡だと乙女は気付いた。


「でかいヤブ蚊がいたからなあ……。蚊取り線香がいるな」


 乙女は両掌を組み、身体の前で小さく伸びをした。

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