「いやあ、まあ、そりゃ別に言わなくても、かまわねーけどよぉ」
乙女の声質が心なしか低くなる。
「黙ってあたしの血ィ吸っちゃう、ってぇのは、違うんじゃあねーの?」
「っ……べっ、べっ、別にいいでしょ。少し血を貰うくらい……。そんな……ケチケチしなくたって……」
「お前が血ィ吸っても、あたしにはなんの影響もないわけ?」
「た、たいしたことないわ。ちょっと吸血鬼っぽくなって……。ちょっと私の眷属になるだけだもん……」
「ふざけんな!」
乙女が怒鳴ると、ミラはビクッと身を竦めた。
「なんか最近あたしの身体おかしくなってんだよ! 力めっちゃ強くなってるし、明るい間は調子悪いし。不便だろ!」
「力強くなるのは別にいいじゃない。身体も丈夫になってるわよ」
「朝とか昼とかどうすんだよ? 普通の社会生活送れなくなっちゃうだろ! 夜間の仕事しか出来なくなったら、どうしてくれんだよ」
ミラはブスっとして視線をズラす。
「それは……まあ、そこまでなるにはもっと時間かかるから……。すぐにそうはならないわ」
「このままお前に血吸わせてたら、いずれはそうなるんだろ!」
「うるさい!」
ミラは感情が決壊したような大声を出した。
「なにさ! 細かいことグチグチ言って!」
「こ、細かくはないだろ」
「私とお友達になってくれるっ、て言ったでしょ、オトメ!」
乙女の表情はますます困惑の度を深める。
「いや、ダチにはなるよ。そこは否定してねーだろ」
「だって人間のままだったら、いつか歳取って死んじゃうじゃない!」
ミラの声のトーンが一際高くなった。
「そんなの私認めない! 本当の友達はずーっと一緒なんだから!」
気付くと、ミラは大粒の涙をボロボロと零している。
「いや、言いたいことはわかるけどよ……。ずーっと一緒なんて難しいぞ?」
「私は不死なの。私の眷属になれば、オトメもずっと死なないもん!」
乙女は〝うーん〟とくぐもった声を発し、黙ってしまう。過去の想いの中に沈んでいるようだ。
「あのさ、いくらダチっつっても、ケンカ別れとかもあるし……。死なねーからずっと一緒にいられる、ってのは、あたしは違うと思うぞ」
「そんなの、やってみなきゃわかんないじゃでしょ!」
「気軽に言うなよ、お前」
乙女は深いため息をついた。
「その……派手にケンカとかしなくてもさ、気持ちがすれ違っちゃったり、行く道が別れちゃったりとか、色々あんだよ。生きてるってのはお前……ただ生きてるだけじゃすまねーんだから」
乙女としては、精一杯心を込めて話したつもりだったのだが、ミラの纏うオーラは一段とドス黒い殺伐としたものに変化していく。
「……もういい」
「おっ!」
一瞬わかってくれたか、と思ったのだが。
「これ以上話しても無駄みたい。今! この場所で! オトメを完全に私の眷属にする!」
乙女の希望は無残に打ち砕かれた。
「折角優しくしてあげようと思ったのに!」
「いや、ちょっと……」
反論の声を上げかけた乙女だったが、胸の辺りに思い切りミラの飛び蹴りを喰らって後方へ吹っ飛んだ。
『やべえっ』
呼吸が出来ない。不意打ちだったこともあり、乙女のダメージは深刻である。ミラの眷属にされかけ、強化されていなければ死んでいたかもしれない。
「くっそ……」
やっとのことで立ちあがった乙女だったが、すぐにミラの猛攻に晒される。拳や足が縦横無尽に襲い掛かってくるのだ。華奢なのに滅法力が強い。
さっきの飛び蹴りは空中から放たれたものだけに、超能力のような力だろうが、現在のミラの攻撃はおそらく単純な怪力によるものである。
乙女は背中でドアを開け、素早く玄関ホールに逃げた。
「すごいねっ! まだそんなに動けるんだ!」
哄笑とともに、ミラは空中を滑るように移動して追ってくる。
『これマジでやべえ。力はおんなじくらいかもしれないけど、向こうは空飛べるしな』
乙女が舌打ちし、物陰に隠れ何とか態勢を立て直そうとしていると、上空から
「さっさと気を失っちゃったほうが楽だよ」
と、ミラの声が聞こえてきた。
「あたしをボコして気絶してる間に血ぃ吸うつもりかよ!」
「ウィル・オー・ウィスプ」
乙女の呼びかけには答えず、ミラは何やら呪文のような文句を唱える。
すると、拳二個分くらいの光球が複数出現し、ふよふよと空中をさまよい始めた。
『さっきのやつか?』
脳裏に学生達の前で乱舞していた光がよぎった瞬間、乙女の方へ素早くそれが飛んでくる。
「あつっ! あだだだ! なんだこれ!?」
乙女の頭や腕等に光球が命中した。当たった箇所が痺れている。よくはわからないが、電気の塊のようなものらしい。
「あははっ! 隠れたって無駄なんだから」
ミラは階段周辺の宙に浮かび、高笑いしている。
『ちっきしょー! 飛べるからっていい気になりやがって!』
乙女の頭は瞬間的に沸騰した。
『こっちの力だって強くなってんだからな!』
乙女は、床を踏みしめている足に、ぐっと力を込める。
「こなくそ!」
乙女は、木製の床を思い切り蹴ってジャンプした。脚力が増大しているせいで、人間とは思えない強烈な跳躍である。
びっくりしているミラを足を掴み、地べたに引きずり降ろした。
「おとなしくしろ!」
乙女は馬乗りの体勢で、がっちりミラを足で抑え込み拳を振り上げる。
「っ!」
必死で肘を上げ顔をガードするミラを見て、乙女は我に返った。
「……?」
当然くると思っていた衝撃がいつまで経ってもこないので、ミラは不思議そうな目で腕の隙間からチラッと乙女の様子を窺う。
「いだだだ! 痛い痛い!」
次の瞬間、乙女の背中に先程の光球が二、三発命中する。重心が崩れた隙を狙ってミラはすばしっこく脱出した。
『クソッ! やっぱ子供は殴れねー……。多分ホントはもっと歳いってんだろうけど』
手を出す事を躊躇した自分に乙女が舌打ちしていると、ミラの勝ち誇った高笑いが聞こえてくる。
「甘い。甘いわねえオトメ」
ミラはもう空中に浮いてはいない。乙女が自分を打擲出来ない以上、距離を取る必要はないと判断したのだろう。
「でも、あなたのそういうところ好きよ」
言うが早いか、ミラは笑みがこぼれる口元から、尖った八重歯を覗かせて突進してきた。