「あ、はい。えっと……一時間程前にお送りした分が、あ、いえ、それまだ下書きの段階で……もちろん推敲に推敲を重ねましてですね……あ、今、読んでらっしゃる。はいはいはい……」
異様に恐縮した態で、峻は電話越しに誰かを喋っている。松良屋旅館の一室であった。
「一応ですね、今の段階のものを読んでいただいて……ダメな部分など指摘していただければ、と……もしあればなんですけど。ええ。仮にそういう部分がございましたらという……念のためと申しますか」
「ふざけんなよ~。お前~」
スマホのスピーカー部分からどんよりした声が流れ出てくる。
「ど、どう? 大丈夫そう?」
ビクビクしながら、冬絹が峻に訊ねる。今峻は、彼らの所属している文芸部の副部長と会話しているのだ。
「〝我が部に相応しい文芸作品〟っつっただろうがよ~? こんなもん通ると思ってんのかお前~?」
「いえ! 未熟なことは重々承知しているのですが! 気概だけはありますので、そこは汲み取っていただけないものかと。ある種の幻想紀行文学としてお読みいただきたく」
「ダメな感じ?」
再び冬絹は峻の耳元で囁く。峻は黙って掌で〝待て〟の合図をした。
「それにお前、なんだよこの章タイトル。〝畜生の章〟〝阿修羅の章〟〝餓鬼の章〟……」
「はい! その、多少奇を衒ったものとなってしまったことは、認めるにやぶさかではないのですが、旅を通じ我々の人生観、自然感、文学観など、変化がありましたこともまた事実として看過できないものでありまして……悩みに悩み、結局そのような表現でこそ、読者に十二分にこの紀行文の主旨を伝えることが可能なのでは? と……。いや、少し勇み足に過ぎたきらいは、なきにしもあらずですが。ははは」
「ていうかこれ〝暗黒神話〟だろ? 諸星大二郎の。ナメてんのか?」
峻の頬を、一筋の冷や汗が縷々と流れる
「よ、よくご存じですね……」
「そんぐらいのことは存じてるんだよ。こっちもよー」
苛々している副部長の顔が眼前に浮かぶようであった。
「あのですね……引用と申しますかその……き、既存のイメージを利用し再構築を……」
「いいよもう」
電話の向こうから舌打ちが聞こえてくる。
「取り合えず部長には見せとくから。じゃあな」
「えっ? 部会で検討するんですよね?」
自分達の発言する機会も確保したいと思い、食い下がったのだが、
「部長が良いっつったらいいし、ダメっつったら大体ダメだ。部会はあんま関係ないぞ。じゃ」
無情にも、あっさり通話は切られてしまった。
「ほら~! やっぱり章タイトル言われてたじゃん!」
スマホの操作が終わると同時に、冬絹が声を上げる。
「ウケるかと思って……」
「その割には隠してたじゃない!」
「知ってればウケるだろうし、知らなきゃ大丈夫だと思ったんだよ」
話しながら、峻は何事か思いをめぐらせていた。
「ダメだったらどうするんだよ~! も~!」
「その時はまあ……YOUTUBERとしてやっていく道も……」
「僕絶対イヤだからね、そんなの!」
もう明日には斧馬の地を離れるというのに、この二人には静かに旅の余韻に浸る余裕は無さそうであった。