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第33話

「パパが自慢気に置いたんですよ。朝、キッチンに泥だらけで」

「僕もいた所だね。ログハウスの」

「はい。私、機嫌悪かったの覚えてますか? あなたを見てじゃなくて、テーブルが汚れたことに怒ってたんです」

「確か僕が訪れた時にはなかったよね。ママが片付けたのかい?」

「私です。お客さんが来るので」

 少女の言ったことは正しいと思った。地中から出たガラクタを食卓に置く。そのままにする。土が残るくらいなら没収だ。

「女神像に行けばいいって。朝、そう聞きました。それで皆さんがここに」  

 団長の美人はどこか腑に落ちない。まさかアイドルが先に持っていたなんて。

「私の負け。見つからなきゃやめるつもりだったの。人を借りた罰」

「待ってください。奪ったのは私です」

「外からの女には重すぎたわね。あなたの勝ち」

「そんなことないです。美沙団長、最高です」

「へんな同情、やめてくれる? これも戦いなのよ」

「……すみません」

 俺たちは門の前。立往生どころか、好んで突っ立ってる。女の子が通り過ぎるにはうるさすぎる。

「麟が森に入ったきりなんです……メンバー置いて学校になんか行けないですよ」

「もなこ」

 李子さんが言う。

「森にはいなかったのよ。あの子、駆け足でもっと向こうに行ったんじゃないかな」

「僕は麟ちゃんと話してるけど」

 旅人が言う。

「広場でライブがあるって告知してくれたんだ。ブロンズの人魚が笑ってた」

「森から呼びかけてると思うんです」

「君一人で向かわせるわけにいかないよ。僕はこの耳で麟ちゃんの声を聞いてるし、部屋でも会ってる。夜は過ぎたけど」

「……カナは、たぶん学校だと思います。私と違って」

「さっき広場で会ったんだよ。ルイーズも一緒だった。それにメンバーへの信頼も」

「どういうことですか。私たち、ステージから降りてるんですよ。麟がいない。だから三人じゃない。カナは言わないだけで、麟を嫌ってると思います」

「僕たちは伝言を預かってる」

「いい? 〈また放課後に踊ろう〉って、そう聞いてるわよ」

 太陽は容赦なく像の乳房に当たっている。絶好の石日和だ。あのライブ会場と何も変わらない。

 俺も観客席にいた。唖然とした李子さんが目に焼き付いてる。

 あんせるめ解散について、俺が知ってること。

 それはメンバーの一人がステージを奪って、勝手に抜けてしまったことが原因だ。今も行方は知らない。あの森の中、俺とジローが歩いた道をさまよってる。

「皆さん、麟を探してくれますか。お願いです」

「解散、してないよね?」

 旅人は言った。

 もなこちゃんは、その問に黙っている。李子さんと辰さん、二人とも旅人を警戒の眼差しだ。

「こんなこと聞くのは何だけどさ。でも僕だって、麟ちゃんの本音を聞いてる。あんせるめは、続いていると思うよ」

「もなこ」

 李子さんだ。

「何か言いなよ。私たち、麟を見捨てると思う?」

 もなこちゃんは何も言えず佇んでいた。

 そこにいた誰もが、少女の願いを受け止めた。

 だってこれ以上、アイドルを泣かせるわけにいかないからだ。

 晴れた門を裂く声がした。まさか。

 機械から、DJが何かほざいている。

「僕の声が聞こえる人。どうか塔の方角に目を向けて。澄んだ空にそびえる、あの塔に」 

 声の主が誰かわかった。俺も、ラジオを手にした少女も、その他の大人も、みんなマルクの声に耳を傾けた。必然だった。

「てっぺんから放送してるなんて信じないかもね。村を発った頃から塔の印象は変わっていない。老人たちは誰も口にしないし、子供たちにも見上げるなというくらいだから。でもそんな塔を愛しているんだ。僕の家族は何往復もしてるし、僕もいつかは上るだろうって思ってた。〈グールド〉には手紙を書いたよ。調査団の様子を知りたかったのさ。もし埋めたラジオが見つかったら、すぐ知らせてくれと美沙に頼んだ。地図の隠し場所として、そのあと使いたいことも」

 美沙さんを見た。目を閉じてマルクの声を聞いていた。

「実はこれから重要な任務が待っているんだ。僕がみんなに呼びかける理由、わかってもらえるかな」

 少女が顔を上げた。気付いた様子だった。DJとは面識がないはず。

「ここK地区にはご存知、塔の他に倉庫がある。そしてその隣には真っ白なシェルターがある。今から職員として潜入しようって思ってる。大丈夫、この放送は違法だから。村で海賊ラジオ知ってるのは僕が知る限り美沙だけさ」

 辰さんの顔は変わらなかった。忠がいる場所。そこに単身乗り込もうとしている。

「村には帰るよ。最後まで聞いてくれて、ありがとう。次は白い屋根から出た時かな。子供たちと手をつないで、笑って、君たちがいる場所に戻るつもりさ。また会おう」

 声は消えた。

 彼方のDJを描く。監視の赦しを受けて、森を超えて、発掘したばかりのがらくたへ見事届けた。

「私、パパのこと嫌いでした」

 少女は言った。DJを一番近くで受け止めた子だ。

「朝、いつも学校に行く時間に帰ってきてさ。泥だらけで、べとべとして、なぜか笑ってる。すごく嫌だったんです……友達も、調査団やってること、知ってたので」

 旅人が歩み寄った。

「もなこちゃん。君のパパはすごいよ」

 少女は黙り込んでいる。

「みんなそのラジオ探してたんだから。虫を採集する人もいた。すごく、すごく長い夜だったよ。はっきり覚えている」

「……パパが持ち帰った土の臭い、嫌だったんです。でも、ラジオだけ自分の手で持って行きたくて。私、それくらいしかできないので」

 絞り出したような声だった。 

「……美沙さん。これ、かっこいい団員から」

 もなこちゃんはラジオを渡した。土だらけのトランジスタラジオ。一体、あの広場にいつ埋めたのか俺は知らない。ここにいるすべての人間が必要としてる。

「K地区に向かいましょう。マルクと、忠君がいるところ」

「あの、美沙さん」

 声を出したことに後悔はない。

 忠とジローのこと、知ってるのは俺だけだ。

 決意表明。

 女神様をもう一度犯します。

「俺が先頭でいいですか」

 美沙さんのプライドは理解してたつもりだ。

 きっと女団長として、本当は先に並びたかったのかもしれない。十代の俺を否定しなかった人だ。助けたかった。今度は俺の口から、森に行くと伝えたかった。

「いいわ。もし振り返ることがあるなら、蹴飛ばすわよ」

 旅人はその台詞を聞いて笑った。女神像は変わらずだ。

 正直、広場から出たラジオなんてどうでもよかったんだ。早く森を抜けたかった。



 ここから話すことは信じてもらえないと思う。十歳当時、初めて門を潜り抜けた頃だって、ほとんどの大人は疑っていた。ガキが何言ってる。あんなところ、無事帰ってくるわけない。そばにいたジローも、俺たちだけ知っていればいい。そう思っていた。

 魚籠との別れは唐突で、言葉なんかどこにもなかった。拾えなかった。

「この森でいなくなっているんだ。鬼のせいじゃない。鬼を食う女がいるとは聞いてるけどな。子分消されて、じっとしてるわけにいかなかったのさ。相手がバケモンでもな」

 魚籠は池から去った。

 その間、塔と周辺について聞かせてくれた。

「お前ら、ジジイどもに入るなって言われてるだろ。本当は塔から遠ざけるためなんだよ。K地区は村のお荷物なんだ。今じゃ、うちだけが使ってる。でもよ、若者を送り出さない限り繁栄なんかない。俺たちにも、言い分はあるんだ」

 池を眺めた男とは思えなかった。

 森を出れば二度と村には帰れなくなる。黒板も、チョークも、馬鹿みたいにたくさんの宿題も、クラスで笑った 女の子の顔も。二度と、見ることはできない。ずっと、長い間そう信じていた。 

「鬼食いの女はどこだ。とっちめるまで俺は残る」 

 俺たちは元の道を歩いた。裸の女神像はちゃんと現れた。もちろん、像を見上げた。四つ、綺麗なおっぱいが見えた。

 それから、十二年。

 女神像は、今でも俺より背が高い。 

 もなこちゃんは門の前で送ってくれた。ラジオ片手に、調査団の立派なパパがいるログハウスに帰った。

 李子さんとは握手をした。チカチーロ再結成に向けて、自分も微力ながらサポートできた気がした。そう、握手すらできないままだった。大好きなバンドなのに、いつも遠くにいる気がしたからだ。

 辰さん。きっと忠を迎えに来いと言っている。

 ドラムを叩いたその手に、手紙があったんだ。ウィンクした。この爺さん、目尻の皺がほんとにすごい。これで俺も後戻りはできなくなった。

 最高だと思う。一人の少女を見るまでは。



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