夏の暑さの勢いが元気になるとともに、欣怡様の悪阻が悪化し始めた。
なにが食べられて、なにがダメなのかがその日によって変わるという悪阻であった。
昨日食べられた柑橘が今日はダメになったり、今日飲んだお茶が明日にはダメになったりと本当に大変な状況で日々探っては食べられるものを食べるという日々を過ごしている。
「ごめんなさいね。これなら大丈夫っていうものが定まらなくて。皆にも迷惑をかけているわね」
いつもはしゃきっとした欣怡様も日々変わる食の嗜好に振り回されており、疲れ気味だ。
そんな欣怡様を現在お支えするのが女官長で、女官長は出産経験者。
「大丈夫でございますよ。これだけ嗜好が変わられるのであれば御子はきっとなんでも大好きになるお方に違いありませんわ」
微笑んで、なんでもござれと言わんばかりに様々なフルーツの盛られた籠を部屋に用意し、今日の大丈夫を探すのが定番となってきている。
「確かに、露露から聞いた話だと星宇兄さまの時に母様が食べられたのは蜜柑だったそうですし、私の時は桃饅だったそうですよ。どちらも兄妹の好物になっています。母様は悪阻の期間本当にそれしか食べられなかったらしいですが」
私がそんな話を披露すると、欣怡様の表情が少し綻んだ。
「それでは女官長の言う通り、なんでも食べる子になりそうね。私のこれもそのためと思えば耐えられる気がするわ。今日はなにが良いのかしらね?」
まだ目立たぬお腹をさすりながら、欣怡様は今日食べられそうなものの選定に入り始めた。
何かしらは日々食べられているため暑さに倒れることもなく、なんとか過ごせているが油断はできない。
悪阻は重症化すると、妊婦が弱って衰弱してしまうのだ。
そうならないために、なにが食べられるか模索しつつ過ごせるこの後宮のありがたみ。
食べ物に困らない環境のすばらしさを実感する。
私も、その日の気分に合わせた組み合わせのお茶を作って水分補給の手助けをしている。
基本のお茶は麦茶かほうじ茶なのだが、そこに妊婦が飲んでも平気な薬草や香草を入れて気分がすぐれるようにと提供しているのだ。
「今日は梨なら大丈夫そうだわ」
そんな欣怡様の言葉に合わせてお茶もアッサリした感じにしてみる。
「梨が平気なら、今日はお茶にも梨の香りを入れましょうね」
剥いた梨の皮を入れてお茶を入れると麦茶にさわやかな香りが加わる。
「えぇ、いい香りで大丈夫そうだわ。ありがとう。梓涵」
悪阻が始まってから、私は寝るとき以外は基本金華宮に詰めることとなった。
もしもの体調不良に備えて薬師の調合箱と共に、金華宮で過ごしている。
今のところ、調合箱の出番が来ていないのはいいことだ。
そうして今日の食べられるものが定まる頃には、日々陛下も金華宮へ様子伺いにやって来る。
「欣怡、今日の具合はどうだ? あまり無理するでないそ」
欣怡様と陛下は陛下の朝儀の前に顔を合わせて体調確認をする日々。
陛下自身も皇宮を開ける用事は入れないように調整しているらしい。
この夏は避暑にも行かなかったことで、逆に欣怡様の懐妊がささやかに皇宮にも広まり始めている。
確信は持てないまでも、そんな話が広がれば面白くないのは各貴妃である。
そのせいで、絶賛金華宮に様々なお客様が来ており暑いさなかでも雪や黒、蒼が頑張って犯人検挙に勤しんでくれている。
先ほども二人ほどの怪しい男を黒と蒼が誇らしげに持ってきたので速やかに武官へと引き渡した。
しっかりと怪しさの証拠となる暗器を見つけて取り上げて渡したので、今回の二人も速やかに鉱山行となるだろう。
「えぇ、陛下ありがとうございます。今日もなんとか梨なら大丈夫そうで、お茶もその香りにして梓涵が入れてくれました」
そんな会話をしているのを見ながら、私は次のお茶も作っておく。
暑いので水分補給はこまめにしてほしいからだ。
「梓涵も日々こちらに詰めてくれて感謝する。雪に黒に蒼もいい仕事そしているらしいな」
そう、豹の親子は昼間にしっかり護衛として入ってくれるので、武官は現在夜勤が主となっている。
外の木陰に控えていた雪は会話が聞こえていたらしく、ガウと返事をした。
「えぇ、今度良いお肉をあげないといけませんね。かなりいい仕事していますので」
私の言葉に、龍安様も一つ頷いて良いお肉とこちらによこすと約束してくれた。
「雪も黒も蒼もとても頼もしい護衛です。しかも優秀で取り逃しは無いのですもの。とっても安心できます」
雪は穏やかなので、欣怡様にも懐いた。
自分も二人の子を産んだ母豹だからか、同じようにこれから子を産む欣怡様にも頑張れというように接している。
欣怡様もそんな雪の様子に気づいており、たまに雪が支えになって横になったりしているのですっかり仲良しだ。
「雪は思いやりもあって、いい豹だな。梓涵に懐くだけあって従順で、良き仲間となった」
そんな和やかな空気をブチっとするように異質な気配が舞い込んだ。
まったく、飽きもせずよく来ること。
今回は天井裏に居るので、雪たちの管轄外であるが私が中から引きずり出しさえすればあとは雪か黒がやってくれるだろう。
私はニコッと微笑むとスッと音を立てずに天井裏へ移動し気配の主に暗器のかんざしを突きつけて差し上げた。
「まったく、両陛下の朝のお時間を邪魔するなんて。馬に蹴られておしましなさい」
天井裏から、一気に移動して厩舎に前に来ると私は曲者を欣怡様の馬である、光花の前に差し出した。
「光花、こいつ欣怡様と龍安様の朝の時間を邪魔しに来たから文字通り馬に蹴られると良いと思って連れて来たよ」
私の言葉に光花は、フンと鼻息荒くするとクルっと器用に馬房の中で回り、後ろ足を向けてくれる。
やる気満々の姿に、私は楽しくなって言った。
「そうよね、主人の貴重な夫婦の時間を邪魔するやつは光花が蹴っ飛ばすよね! さぁ、やっておしまい」
にこにこと私が言い切った時の暗殺者の顔は、終わったって感じだった。
そこに浩然様がやって来た。
「うん、うん。相変わらず梓涵様は過激ですねぇ。これでは証拠が隠滅できないでしょう? 手はずは私が居たしましょうか?」
にこにことこの行動をこのままやってもいいよって言う浩然様がいれば万事問題ないのではと思いつつ、でも、たしか今送っているのとは別の鉱山も働き手欲しがっていたなと思って私は聞いてみた。
「確か東の鉱山も人を欲しがっていましたよね? これ送りましょうか?早々に送るためには無傷のほうが良いですよね?」
なんて私が言うと、暗殺者には一縷の望みが見えたのか表情が明るくなった。
目に見えて、変わるので本当に面白いがそんな風に万事は進みません。
「なに、腕やあばらの一~二本、折れても働けるので何の問題もありませんよ」
なんて言ってしまう宰相補佐官さま。
その単語で、暗殺者はとうとうフッと意識を手放してしまいましたとさ。
弱いなぁ、もっと骨のあるやつはいないのかね?
なんて思っていると浩然様が私を見て言う。
「梓涵様、なかなかの策士ですね? もとから、馬に蹴らせる気もないのにお仕置きに私と光花を使いましたね」
光花はふうと鼻息で仕方ないみたいにしている。
ここ何回かはこんな感じで、暗殺者を鉱山送り前にお仕置きしているのでとうとう浩然様が出て来た様子。
「お仕置きがいけないとは言いませんが、光花もちょっとお疲れのようですから、あとで乗ってあげると良いのではないですか?欣怡様はしばらく乗馬は出来ませんし」
そんな浩然様の言葉に、フンスと同意の鼻息を出した光花に私は撫でながら謝った。
「そうね。欣怡様はしばらく光花には乗れないから。定期的に私で我慢してもらおうかな?どう?」
光花は欣怡様が大好きな子で、他の人を乗せるのは嫌がる子だった。
お世話位はさせてくれるけれど、騎乗は欣怡様にしか許さない。そんな気位の高い子なのだ。
しかし、動かなさすぎるのも馬には悪い。
私で我慢してくれるだろうかと伺えば、光花は仕方ないって顔で私の頬に鼻先を寄せてくれた。
この子も欣怡様に大事な子が出来たことを察しているのだろう。賢い子だから。
そうでなければ二日と開けずに日々ブラシ掛けに来てくれた欣怡様の不在を不安に思うはずだから。
「御子が産まれて少し経つまでは、欣怡様は光花に乗れないからね。私で我慢するんだよ」
そう言うと、光花はフンと強めに鼻息を吐くともう一度鼻先を私の頬にこつんと付けたのだった。