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第2話

 いまだバチバチと火花を散らしにらみ合うふたりの聖女を見やり、ひそひそと令嬢たちがささやき合う。


「私はニナ様が選ばれると思うわ。いくら王子殿下だって、見映えのする方を選ぶに決まってるもの」

「あら、でも聖女としての力はラリエット様の方がはるかに上よ? 何せ始祖の再来って言われてるくらいだもの」

「そうよねぇ。ニナ様はなんたってハリボテ聖女様だもの。国の未来を考えたら、ラリエット様のほうを選ぶのではなくて?」


 年頃の貴族令嬢たちにとっては、やはり結婚には外見や肩書といったものも気になるところだ。


 けれどふたりの聖女はただの平民、それどころか貧しい下町の出でラリエットに至っては孤児院にいたと聞く。

 となれば問題になるのは、聖女としての能力と見た目だった。


 ラリエットは歴代聖女の中でも随一の聖力を持ち、日々の務めにも非常に熱心。聖女としてのありようにも文句のつけようがない。

 けれどラリエットには、大きな欠点があった。それはあまりにも地味過ぎる外見と異質な性質にある。


 ただでさえ重苦しい濃紺色の真っすぐの髪に、冷たさを感じさせる水色の目。それを覆い隠すように重たげに切りそろえられた、分厚い前髪。

 その上感情がまったく顔に表れないために、何を考えているのかさっぱり読めず気味が悪い。

 ついたあだ名は『不機嫌聖女』。


 対してニナは聖女としての資質はお世辞にも優れているとは言えず、小さな切り傷を治すのがやっと。聖女としてよくぞ認められたといぶかしむ声が上がるほど、能力は低かった。

 けれどそれを補って余りあるのが、外見のすばらしさだった。


 淡い薄桃色のふわりと波打つ肩口までの髪に、トロリとしたあたたかみのある蜂蜜色の目。実に可憐で愛らしい相貌に加え愛嬌もたっぷりで、身にまとう雰囲気は明朗快活そのもの。

 ニナがにっこりと微笑むだけで、皆心が晴れやかになる。


 聖女と呼ぶにはあまりにも少なすぎる聖力とやる気のなさから『ハリボテ聖女』などと揶揄する者もいたが、ラリエットが陰ならニナは光だった。


 ふたりは、実に正反対の見た目と中身を持つ聖女だったのだ。


 そんなふたりが、未来の国王と目されているデジレ王子の婚約者候補となってしばらくがたった頃。

 国中が、ふたりの聖女の動静を噂するようになっていた。


 たとえば――。


『聞いたか? ラリエット様がニナ様に嫌がらせを繰り返してるって話!』

『あぁ、あれだろ? ニナ様ばっかりデジレ殿下に呼び出されてるからって、嫉妬のあまり聖衣に針を仕込んだってやつ!』

『え? 俺は靴にガラス片を仕込んだって聞いたけど。どっちにしても、おっかないよなぁ』


 また、別の場所では。


『ねぇ、またラリエット様がニナ様とやり合ったらしいわよ?』

『あぁ、あれでしょ? 立ち上がろうとしたニナ様の聖衣の裾を踏んづけて、転ばせようとしたっていう……』

『あら、でもニナ様が察知して、逆にラリエット様を突き飛ばしたらしいわよ。おかげでラリエット様ったら、頭っから水たまりに突っ込んとか』

『日に日におふたりの仲が険悪になっていくわねぇ……』

『以前は仲睦まじいとまでは言えなかったけどそれなりだったのに、今じゃ……』


 女官たちは眉をひそめ、聖女たちの変わりようを嘆いた。


 城下でもまた、同じような噂で持ち切りだった。 

 噂は色々だったけれど、どれも婚約者の座に一歩抜きんでたニナにラリエットが嫉妬して嫌がらせ行為に及んでいるらしい、という意味では一致していた。

 ニナはニナでそれにまったくひるむ様子もなく、涼しい顔で倍返ししているとか。


 ふたりの聖女が日々対立を深めているすべての根源は、デジレ王子の煮え切らない行動にあった。


『殿下ったら、ニナ様と頻繁に会ってはイチャイチャしてるんでしょう? そりゃラリエット様もおもしろくないわよ』

『そのくせ、ラリエット様にも花とかお菓子とかを贈ってるって聞いたわ。どれもそう高価なものじゃないらしいけど……』

『毎回気を持たせるようなカードをつけてるそうよ? 君が必要だ、とか君なしにこの国の平穏はない、とか』

『でもそれって、ラリエット様が優れた聖女様だからでしょ? 国のために利用したいだけじゃない!』


 本来公平に進められるべき選定の慣例を無視して、デジレはニナと度々逢瀬を繰り返し、ラリエットにも気をもたせるような行動を繰り返していた。

 当然ニナは自分こそがデジレに愛されているのだ、と思い込んだ。半面、まめに贈り物をされているラリエットもまた、自分にもまだ可能性があると信じていた。


 結果、ふたりの聖女はどちらもがデジレの婚約者として選ばれるのは自分だ、と一歩も譲らず対立を深める羽目になったのだ。


『見損なったわ。デジレ殿下は、もっとましな男性かと思ってたのに!』

『本当よねっ! 女性の敵よっ。ふたりの聖女をもてあそぶようなこと、しちゃってさ』


 ――とまぁこんなふうに、国中のあちらこちらでふたりの聖女にまつわる真偽不明の噂が飛び交うようになっていた。


 そしてこの夜会に集った観衆はついに、ふたりの亀裂を決定づける髪飾りを目にして深く嘆息したのだった。


 次代の国王として資質も十分、見た目も実によく三人いる王子のうちデジレこそが未来の国王にもっともふさわしい。

 そう信じてやまなかった貴族たちや民も、次第にデジレに冷ややかな視線を向けるようになっていた。


 こうもふたりの聖女が対立を深めていては、国の安寧も繁栄もあったものではない。

 こうなったら、そろそろ結論を出してもいい頃合いではないのか。

 そうすれば、聖女同士がこんなにみにくいののしり合いを公衆の面前で繰り広げる必要もなくなる。


「しかしなぜ陛下も側妃様も、こんな騒ぎを黙って見ておられるのか……。さっさとデジレ殿下をせっついて結論を出させればよいものを……」


 玉座をちらと見やり、困惑したようにある紳士がつぶやいた。


 本来ならば王家主催の夜会でこんな騒ぎを起こした咎で、即刻退場させられてもおかしくないはずなのだが。デジレの決断にすべて任せている、ということか。


 その声に、令嬢たちのうちのひとりが首を傾げた。


「ねぇ……? 気のせいかしら。側妃様、笑っていらっしゃらない?」


 令嬢の視線の先で、国王の隣に座する側妃が扇で口元を隠していた。扇からのぞくその目は、確かに愉快でたまらないとばかりに笑っているようにも見える。


「まさか……。いくら聖女嫌いで有名な側妃様だって、聖女同士の対立を喜ぶはずないわ。一応は聖女様がこの国の平穏を守ってくださっているんだし……」

「そう……よねぇ? 見間違い……かしら」


 自分にちっとも心を向けてくれない国王に愛憎を抱き、結果聖女だった王妃はもちろん聖女そのものを側妃が嫌っていることは、国中の知るところだった。けれど、こんな騒ぎを楽しんで眺めるなんてことはまさかないだろう。


「きっと側妃様も、あきれ返って笑うしかないのだろう。ともかくも、あの髪飾りを見れば殿下の答えが出たと見ていいようだな」

「うむ。これでようやく聖女たちの対立も見ずに済むか……。やれやれだ」

「国の安寧を考えれば優れたラリエット様一択だろうが、もうこの国に恐ろしい魔獣なんて現れないんだからな。ならば、力のないニナ様でも問題なかろう」


 レイグランド国には、大型の恐ろしい魔獣がたびたび出現し国を壊滅の危機に追い込んだという記録が残っていた。その危機を、聖女とその使いである聖獣が救った、と。

 けれどそんな恐ろしい魔獣の出現は、百年前にぱたりと止んでいた。とともに、なぜか時を同じくして聖獣も姿を消してしまっていたが。


 皆が同意するようにうなずく中、ひとりの紳士が心配そうな表情をちらと浮かべつぶやいた。


「しかし最近、国中あちこちで小さな魔獣が暴れ回っていると聞くが……。もし何かあってもニナ様ではまともに癒しすら……」

「ふん。あんな小物の魔獣くらい、兵力でどうとでもなるだろう。聖女と聖獣の出る幕などないさ」


 確かにここ半年ほどの間、急に国のあちらこちらで小型の魔獣たちが畑を荒らしたり、荷馬車を襲ったりする騒ぎが続いていた。とは言えどれも人を傷つけたりするほどのことはなく、ある程度威嚇すれば追い払える程度だった。


 笑い飛ばすような言葉に、周囲の者もうなずいた。


「聖獣ってのはあれだろう? 聖女と一心同体で、空を飛んで魔獣と戦ったとかいう……。ははっ! そんなものきっとただの伝承さ」

「きっと国を滅ぼしかけたっていう魔獣だって、ちょっとばかり大きな魔獣を昔の人間が大げさに書き残しただけだ」

「何事かなんて、起きるはずはないさ。他国との争いごとの方がよほど現実味があるというものだ」


 人は平穏に慣れるものだ。百年何事もなかったせいか、貴族も民も皆すっかりこの国にそんな脅威が訪れるなど考えてもいなかった。

 それよりも、他国との外交の方がよほど大事だ。よって王子の結婚も、それに役立つものでなければならない。


 その結論が出る時は、いよいよ近いらしい。

 ふたりの聖女のやりとりから、皆は確信を深めていたのだった。



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