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第3話


「ふたりとも、そのくらいにするんだ。陛下の御前だ」


 無言のままにらみ合うふたりの間に、見目のいい凛とした姿の青年が割って入った。


 ざわり……!


 デジレ王子の登場に、観衆もはっと息をのみどよめいた。

 いよいよこれで、このドロドロとした三角関係の役者はそろったらしい。


「殿下!」

「デジレ殿下……!」 


 ぱっと弾かれたように振り返ったふたりの聖女に、デジレの視線が向いた。 


 その瞬間、ラリエットとニナそれぞれに向けられた視線に違いがあったのを観衆は見逃さなかった。ラリエットに向けられたものより、ニナに向けられた視線にトロリとした甘さがにじんでいたのだ。


 それをニナ自身も感じ取ったのだろう。ニナの顔に甘ったるい色が浮かんだ。


「殿下……、お見苦しいところをお見せしてしまってごめんなさい。でもラリエットがいけないんです。場も考えず、あんなことを言い出すから……」


 ニナの少し拗ねたような上目遣いに、デジレの眉がだらしなく下がった。


「わかっているよ。ニナ。けれど君たちはこの国の聖女だからね。もう少し振る舞いには気をつけてもらわなくては……。だが、ラリエット」


 デジレの視線がちらとラリエットに向いた。

 その冷たさに、ラリエットがひるんだ。


「……はい。殿下」

「ラリエット。君は少しニナにきつく当たり過ぎではないか?」

「え……、でも……」

「聖女同士、もう少しうまくやってもらいたい。皆のいる前で諫めるなど、ニナがかわいそうではないか」

「し、しかし……、私はただ……」


 物静かながら有無を言わさぬ力を持ったデジレの言葉にラリエットは息をのみ、押し黙った。


「申し訳……ございません……。殿下。以後気を付けます……」


 一礼し一歩後ずさったラリエットから視線を外し、デジレは甘やかな微笑みをニナに向けた。


「ニナ、今日も君は美しいね。夜会が一層華やぐよ」

「まぁ……殿下ったら。ふふっ」

「そう言えば、この間君にあげた髪飾りを着けてきてくれたんだね。よく似あっている」

「ありがとうございます。嬉しいです」


 うっとりと微笑みを浮かべ見つめ合うデジレとニナ。もはやデジレの視界に、ラリエットの姿など入っていなかった。

 それに気がついたのだろう。ラリエットは見つめ合うふたりから視線をそらし、うつむいた。


「……っ!」


 ラリエットの分厚い前髪の隙間から、水色の目がギラリとのぞいた。

 偶然それを目にした令嬢が、「ひいぃっ!」と叫び声を上げた。


「今の……見た?」

「え? どうしたの?」

「今……ラリエット様が、とても恐ろしい形相でニナ様をにらんでいて……」


 令嬢は蒼白な顔で、隣にいた令嬢にしがみついた。よほど恐ろしい形相だったのか、ぶるぶると体を震わせている。


「きっとラリエット様はニナ様を心から憎んでいらっしゃるに違いないわ。あの目……、まるでニナ様を射殺しそうなくらい、冷たかったもの……!」

「まぁ……! なんて恐ろしい……」


 これまでラリエットがニナにしてきたという陰湿な数々の嫌がらせの噂が、さぞかしラリエットはニナを憎んでいるのだろうと皆を信じ込ませた。


「ラリエット様のお気持ちもわかるけど……、でも殿下がお決めになることだもの。引き下がるしか……」

「でもラリエット様は、すごい聖力をお持ちなんだもの。ニナ様をひどい目にあわせて、殿下を奪い取ったりしないかしら……」

「まさか……! 聖力には誰かを傷つける力はないわ。それにいくら嫉妬しているからって、まさかそんなことラリエット様がするはずないわ」

「だといいんだけど……、なんだか私嫌な予感がするのよ。この先何事かが起きないといいのだけれど……」

「何事かって……何よ……」

「それは……わからないけど……」


 ひそひそと声をひそめ、不穏な予感に震えている令嬢たちの視線の先で、ラリエットは前髪の隙間からデジレと熱く見つめ合うニナをじっとりと見つめていた。

 そして大きく顔を歪め、会場をかけ出していったのだった。


 一方、デジレとニナはと言えば。


「せっかくの夜会だ。今夜は楽しもう。ニナ」


 ラリエットが立ち去ったことなど気づいてもいないのだろう。デジレの手がニナに差し出された。

 ニナもまた、デジレを熱く見つめたままそれにそっと自分の手を重ね微笑み合う。


 観衆はそれを複雑な思いで見やり、そしてうなずいた。


 とにもかくにも、答えは出たらしい。デジレはニナを選んだのだ。

 内面ではどうかは別として、きっと表面上はこの先聖女同士が対立することはなくなるだろう。


 なんと言っても正式にニナが婚約者として発表されれば、これまでとは立場が変わるのだ。王子の婚約者に何かしたとなれば、ラリエットの首が飛びかねない。そんな真似をするほど、ラリエットも愚かではないだろう。


 皆がそう思い、ようやくこのみにくい対立も終わるのだ、とほっと胸をなで下ろしていた。


 そんな心中を知ってか知らずか、デジレとニナは流れるような動きで大広間の中央へと滑り出た。

 ふたりを見た楽隊の指揮者が慌てて楽隊へと向き直り、そして音楽が奏で出す。


 止まっていた夜会会場の時間が、軽やかな調べとともに動き出した。つられるように観衆ももとのにぎやかさを取り戻し、夜会会場はおしゃべりと衣擦れの音で包まれたのだった。


 きっと近日中に、ニナを婚約者に選ぶとの正式発表がなされるに違いない。いよいよデジレ王子と聖女ニナが守る御代がやってくるのだ。


 そう誰もがはっきりと確信していた。

 けれど、それからしばらくしてもなぜかデジレは何の発表もすることなく時は過ぎた。


 なぜデジレは一向に答えを出そうとしないのか。

 もしかすると、いまだデジレはニナを選ぶと心に決めていないのか。


 そんな噂が流れはじめた頃、国中を揺るがす恐るべき事態が起こった。



「大変ですっ! ラリエット様の乗った馬車が事故にあい、安否不明との知らせです……!」

「な……何だとっ!?」

「血濡れの聖衣の切れ端が残されていることから察するに、恐らくは……」


 その日、ラリエットはニナの代わりに急遽北方にあるリグリット神殿へと向かっていた。その道中、馬車が何らかの理由で激しく横転し崖下へと転落しているのが見つかったのだ。


 ラリエットの姿は見えなかったものの、馬車の損傷具合と荷や馬が急流に流された形跡があったことから、恐らくは命はないものと推測された。

 と同時に、馬車の車輪が外れるよう細工をした形跡が見つかったのだ。


 対立していたふたりの聖女の一方に起きた、作為的な痕跡の残る受難。

 果たしてこれは偶然か、それとも――。


 国中がざわついたのは自然の流れだった。

 この騒ぎにより、婚約者選定は宙に浮くことになったのだった。



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