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第4話


 ふたりの聖女の運命を決定づけることになった夜会から、時をさかのぼること半年前――。


「聖なる白き光よ。その清き力で、この地に豊穣と平穏を与えたまえ。聖女と聖獣の力をもって、この願いを聞き届けたまえ」


 朝昼晩と日に三度、一日も欠かすことなく繰り返される祈りの儀式。


 ラリエットの朗々とした祈りの言葉が、塔の中に響き渡った。いつものように祭壇に祀られた聖石に向かい差し出した手から、神々しいまでの仄白い光が放たれていく。


 聖堂内に満ちていくそのまぶしいばかりの光に、その場にいた皆が思わず感嘆の声をもらした。


「……おぉ!」

「なんと美しい光だ……。あたたかで神々しくて……」

「これほど豊かな聖力、見たことがない……」

「さすがは始祖の再来といわれるラリエット様だ……」


 神聖な光とともに、ラリエットの深藍色の髪と聖女の白く長い衣の裾が風もないのにふわりと波打った。


 聖女の力とはなんと神々しく美しいものか。我が国を護りし聖女、ラリエット様の祈りはなんと清らかなのか。

 目の前に広がる豊かな聖力の光に、皆目を奪われていた。


 陰のようなラリエットが唯一人々の心をつかむ時、それは聖力を放つ瞬間だった。この時ばかりはその神々しいまでの美しさに、皆うっとりと心奪われる。


 光はしばらく聖堂内にとどまり、おだやかで清浄な空気で満たした。

 それを見届け、祈りの言葉をすべて口にし終えたラリエットが淡々と告げた。


「……これにて朝の祈りは終わりました。ではまたのちほど昼に参ります。失礼します」


 その無機質な声と不愛想な表情に、皆はっと我に返った。

 あぁ、やはりさっきの美しさは錯覚だった。やはりいつものラリエット様だ。呼び名の通り、どこから見ても地味で不愛想で機嫌が悪そうでとっつきにくくて、と。


 笑みひとつ浮かべることなく去っていくラリエットの後ろ姿を見送り、皆がっかりしたように肩を落とした。そしてさっきまでの興味などすっかり忘れ、粛々と自分たちの仕事に戻っていくのだった。


 祈りを終えたラリエットはひとり王城内の回廊を歩きながら、ふと外の景色に目をやった。


(雨はすっかり上がったわね。こんな陽気なら地面もすっかり乾きそう)


 ラリエットが正式に聖女として王城に上がってから、一年が過ぎようとしていた。


 ラリエットのこれまでの人生は、あまりあたたかなものではなかった。

 凍えるような冬の日に孤児院の庭に捨てられていたのを当時の院長に拾われ、孤児として育った。


 院長はなぜかラリエットをひどく嫌った。いや、憎んでいたと言った方が正しいかもしれない。


『この呪われた子め! お前なんてこの世界に存在していてはいけないのよっ。なぜお前のような子がこの世に生を受けたの……!』

『やめて……! 痛いのっ。お願いですから……!』

『うるさいぃっ! その汚らわしい口を閉じなさいっ。ラリエット!』

『きゃあぁぁぁっ!』


 暗く冷たい地下室に閉じ込められてはよく折檻された。鞭や火かき棒で背中を打たれたり、理由もわからず叱責され罵倒されて。

 食事を抜かれたり、自分ひとりにだけ厳しい仕事を押しつけられることなんて当たり前の日常だった。


 なぜこんなにも、自分ひとりにだけ院長がきつく当たるのか。


 そんなにもうとましいのなら、庭にうち捨てられたまま放っておけばよかったのに。生まれたばかりの赤子なんて、きっとすぐに凍えて死んだに違いない。

 なのになぜ拾っておいて、こんなにもひどい仕打ちを繰り返すのか。


 なぜこんな目にあうのかの理由も、どうすれば許してもらえるのかもわからない。そのうち他の子どもたちまで院長に命じられるがまま、一緒になって虐げはじめた。


 もはや足の感覚も失われ、青くなった爪先。ぶたれた傷が痛み、満足に座ることも横になることもできない。

 これ以上院長の怒りを買わないよう隅っこに隠れ、小さく縮こまるのが精いっぱいだった。


 真っ暗なろうそくひとつない地下室に閉じ込められ、換気用に開けられた格子つきの小窓からよく夜空を見上げていた。


 自分の髪色と同じ濃紺の夜空は、とても陰鬱に映った。格子越しに見る小窓からのぞく夜空はあまりにもちっぽけで、星も月も見えない。ただ暗く静かにそこにあるだけ――。


『体中が痛いの……。暗くて寒いの……。誰か助けて……。ここから出して……』


 誰か助けてはくれないかと声を上げてみたこともあるけれど、孤児の自分に手を差し伸べてくれる人なんていない。

 だって自分は両親にすらいらないと捨てられた孤児なのだ。皆にうとましがられ、虐げられるような存在なのだ。


 呪われた子。院長はいつもそう呼んだ。名前で呼ばれることよりもそう呼ばれることの方が多かった気がする。


『お前は誰からも愛されない子なんだ。お前を愛してくれる人間なんて、この世界にひとりもいないんだよっ!』


 それが院長の口癖だった。誰からも愛されず、求められない子。皆にうとまれ、必要とする存在などいない。いつもそう言って、罵倒した。

 その度に、濃紺の陰鬱な髪色も水色の目も、感情が表に現れないこの性質も皆、呪われているせいだと信じるようになった。


 けれど一度だけ、奇妙なことがあった。

 それは孤児院に子を亡くしたばかりだという年若い夫婦が、養子を探しにやってきた時のこと。


 若夫婦が帰ったあと、なぜか院長はこんなことを口にしたのだ。


『なんであの女だけが、あの人に愛されたの……。私だってあの人を……。こんな冷たい色をした呪われた子、この世にいてはいけないのよ……!』


 そう言って、いつも以上に憎しみを宿らせた目でひどく折檻したのだ。


『その目で私を見るんじゃないっ! その水色の目……、なんて憎たらしいの……! あの女と同じ……!』

『痛いっ……! やめて……。……きゃあああっ!』


 あの女、というのが若夫婦の妻の方を指しているのではないことはわかった。けれど院長は、その女性に誰かを重ねて見ているようだった。

 院長が嫌いな水色の目をしたその女性に、誰かを――。


 院長の言葉の意味はわからない。誰と重ね合わせていたのかも。

 けれどその時の院長の顔がどこか悲痛で苦しげで、なぜか今もはっきりと覚えている。


 それからしばらくが過ぎた、ある日のこと――。


『どうやら君には、聖女としてのとんでもない資質が備わっているようだ』


 そう声をかけてくれたのは、たまたま孤児院に視察に訪れていたひとりの神官だった。


『聖女……? 私が?』


 声をかけられる直前、不思議なことが起きた。

 庭で巣から落ちた、瀕死の小鳥の雛を見つけたのだ。もうすぐ巣立ちの日を迎えられたであろう雛は、今にも命の火を消そうとしていた。


 その雛が、なぜか自分と重なった。親にもいらないと捨てられ、拾われた院長にも呪われた子だと憎まれうとましがられている自分と。


 たまらなく悲しかった。誰かに助けてもらいたい。誰かに必要とされたい。この世界にいてもいいんだと、こんな自分にだっている場所はきっとどこかにあるんだって思いたかった。


 だから祈ったのだ。どうかこの雛を助けて、と。どうかこの子にも空を自由に飛びまわる力とチャンスを与えてほしい、と。


 その時だった。両手から仄白い光があふれ出て、雛を包み込んだ。体の中をあたたかなものがかけ巡る、不思議な感覚だった。


 気がつけば雛は息を吹き返し、巣に戻るどころか羽を羽ばたかせて空へと飛んでいった。それを神官が偶然に目にしていたのだった。


『君が望むのなら、その力でこの国と民を助け平穏に導くこともできる。……一緒にくるかい?』


 自分に聖力が発現するなんて、思いもしなかった。


 別に聖女になりたかったわけじゃない。自分にそんなすごい力が備わっているだなんて、想像もつかなかったし。

 でもたったひとりの味方もいないこんな冷たい世界から、逃げ出したかった。

 あの雛のように、明るく晴れた空を自由に羽ばたいてみたかった。


 だから――。


『私……行きます! なります……。聖女様になれるよう頑張るから、連れて行ってください……!』


 けれどその翌日、運命をさらに大きく変える出会いが待ち受けていた。



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