見たこともないニナの悲しげで辛そうな顔に、思わず足が前に出た。
「そ……それ以上、……ニナに近づかないでっ!」
震える声で、ふたりからニナを隠すように立ちはだかった。
母親のじろりとした鋭い目がこちらを向いた。
「……あん? なんだい、不機嫌聖女様に用はないんだよ。あたしはちょっと娘に助けを求めてるだけなんだ。他人がしゃしゃり出てくるんじゃないよっ!」
父親がじり、とこちらににじり寄る。
「どうせこいつは見た目がいいだけのハリボテだ。……くくっ! お前が昔していたことを皆にバラしたら、とんだ笑いものだろうさ。なぁ、ニナ?」
「え……?」
「何せ未来の国母様なんだ。あたしたちの酒代くらい、どうとでもなるだろ? 聖女としても娘としても役立たずな分、そのくらいしてもらわないとねぇ」
「なっ……なんてこと……! 実の娘をそんなふうに……」
あまりの言い様に、ぐっと唇を噛み締めた。
子を愛する親ばかりじゃないことは、自分自身が一番よく知ってる。でも面と向かってこんなことを言うなんて、あまりにひどい。
昔ニナが何をしていたかなんて、知らない。そんなこと、どうでもいい。
震える声で、ふたりをきっとにらみつけた。
「や……やめて……! ニナを傷つけるようなこと言わないで! じゃないと、私……」
母親が一瞬目を見開き、ぷっと噴き出した。
「あぁんっ!? なら何だって言うんだい? まったく陰気で気味の悪い聖女様だねぇ。呪われているって噂は本当かもねぇ?」
あざ笑うように母親が言い放てば、父親もげらげらとおかしそうに笑った。
「ぶわぁっはっはっはっはっ! まったくだ。どうにもジメジメしてかなわねぇ。いいからお前はすっこんでろ! 不機嫌聖女さんよぉ?」
ぶるぶると握りしめた拳が震えた。
立ち向かう恐怖からなんかじゃない。ただ、隣でうつむくニナの姿が痛々しくて悔しくてたまらなかった。
気がつけば、一歩踏み出していた。
「……撤回して」
「……あん?」
よく聞こえなかったのか、ふたりのいぶかしげな視線が向いた。
「え……? え、ちょっと、ラリエット!? 何する気……? ねぇ、ちょっと!」
ニナが慌てたように、肩をつかんだ。けれど、どうにもこのままでは腹の虫が収まらなかった。
「撤回してください……っ!」
「は?」
「なんだと?」
じっとりと下からすくい上げるように、ふたりをまっすぐに見やった。
分厚い前髪の向こうで、ふたりがわずかにたじろぐのが見えた。
「な、なんだい……」
「な……こっちにくるんじゃねぇよ……」
「……撤回して。今すぐに」
じり……。じり……。
「は? だから一体何のこと……?」
「き、気味が悪いったらねぇ……。何なんだ、あの目はよぉ……」
「今すぐ……、ニナにあやまって。そして撤回して」
じり……。じり……。
その瞬間びゅう、と強い風が吹いた。
偶然風が分厚い前髪をふわりと浮かび上がらせ、水色の目が露わになった。
「ひっ……!」
母親の口から小さな悲鳴が上がった。
巷では、この水色の目でにらまれると呪われるなんて噂もあるのだ。
そんなのはただの迷信だとわかってはいても、多少脅かすくらいの効果はあるだろう。
さらにふたりをにらみつけながら、追い詰めていく。
けれどふたりもしつこく食い下がる。
「くっ……! む、娘に金を融通してもらって何が悪いんだい……」
「い、いいからさっさと金を寄越せ! このハリボテがっ!」
ふつふつとお腹の底からわき上がる怒りをどうにか抑え、真っすぐにふたりを見すえ、ずずい、と大きく踏み出した。
「黙りなさいっ! ニナはハリボテなんかじゃないし、あなたたちの金儲けの道具じゃない! これ以上ニナを悪くいったら、私が許しませんっ!」
「く、くっ……!」
「なんだってんだよ……」
じり……。じり……。
じり……。じり……。
「ニナはハリボテなんかじゃない。撤回して。謝って」
「「……」」
「そして二度と、ニナに近づかないで」
「「……」」
ひたすらに同じ言葉を繰り返しながら、表情ひとつ変えずににじり寄る姿が気味が悪いのだろう。ふたりはとうとう逃げ出した。
その隙にニナの手を取った。
「さぁっ! 今のうちに馬車にっ!」
「え!? あ、う、うんっ!」
ニナの手を握ったまま、思い切り走った。そして馬車にかけ込み、御者に告げた。
「出してくださいっ! 急いで聖女宮に戻ってっ」
「は、はいっ!」
馬車は、聖女宮へと向け全速力で走り出した。