その翌日、聖女棟にドスの効いたニナの怒声が響きわたった。
「そこっ、なんでそんなに弱々なのっ! もっと毅然とした態度でお腹から声出してっ。ドスを効かせるのよ、ドスを‼」
「はいぃぃぃぃぃっ‼ ごめんなさいぃぃぃぃっ!」
その怒声に、ラリエットは今にも泣き出しそうな顔で身をすくませた。
ニナの手には、『ふたりの聖女の対立 第一弾』と書かれた一冊の本が握りしめられていた。それをぎゅっと力強く丸め、ニナはラリエットにもう一度大声を張り上げた。
「さぁ! もう一回やり直すわよっ。ラリエット」
「はいぃぃぃぃっ! 頑張りますっ!」
その日の聖女棟には、いつもとは明らかに様相の違う熱気が立ち込めていた。
ニナとラリエットが真剣な表情でにらみ合う姿を、三つ子メイドがハラハラと手に汗握りながら見つめていた。
その隣には、なぜかリュイジアが鋭い眼差しで仁王立ちしていた。
「さぁ! ではニナ様、ラリエット様。もう一度頭から、ニナ様にラリエット様が近づくところからはじめましょう!」
リュイジアの凛とした声に、ふたりはもとの立ち位置に戻り手の中にある本に視線を落とした。
「ええっと……、『ニ……、ニナ! あなたにはもううんざりよっ。いつもいつも務めを私に押しつけて、一体どういうつもりっ!?』」
精一杯の大声を張り上げているつもりのラリエットではあるが、その声はどこか頼りない。
「ゴホンッ! 『あら! ラリエットじゃないの。仕方がないでしょう? だって私は殿下に呼ばれてるんだもの。務めはあなたがひとりでやればいいじゃない』」
対するニナはと言えば、その声と態度からにじむ圧といい強さといい実に見事なものだった。
あまりの圧にラリエットの顔が泣きそうに歪む。
けれどどうにか堪え、ラリエットが必死の形相で次の台詞を口にした。
「つ、次は……えーと……。『で、でもこの国の聖女は私とあなたのふたりなのよ⁉ あなたはその役目を果たしているとは言えないわ! 聖女として恥ずかしくないの!?』」
「『ふんっ! だって殿下が私に会いたいっておっしゃるんだもの。あなたは殿下に声もかけてもらえなくて、暇でしょう? ふふっ』」
鼻を鳴らし小さく笑ってのけるニナの顔はなんとも挑発的で、今度こそラリエットはべそをかいた。
ふたりのやりとりをそばで見ていた三つ子たちまで、思わず抱き合い震えあがったほど。
恐怖からかカチリと固まったままのラリエットに、リュイジアの指導が飛ぶ。
「さぁ、ラリエット様! そこでうんとニナ様を強くにらみつけるのですっ。世界中で一番ニナ様のことが憎くてたまらないといった心持ちで、強く!」
リュイジアの声にはっとしたように、ラリエットがニナをじっとりと見やった。
が、その様子は憎々しげににらみつけるというよりどこか怯えているようにしか見えない。
そんなラリエットに、ニナが大きく嘆息した。
「違ーうっ‼ そうじゃないっ。ラリエットったら!」
「うっ……!」
「そんな怯えた目つきじゃ、その辺の犬猫にだって馬鹿にされるわよっ。もっとあたしを射殺しそうな勢いでにらんできなさいよっ!」
「こ……これでも精一杯にらんでるつもり、なんだけど……。うぅっ……」
ラリエットが顔を両手で覆い、その場に崩れ落ちた。
どうにも進歩が見られないその様子に、ニナと三つ子たち、リュイジアが肩を落とし顔を見合わせた。
「仕方ありませんね。……ここはひとまず、一旦休憩にいたしましょう。お茶の用意をしてまいります」
リュイジアがお茶の用意のために下がり、三つ子たちがニナとラリエットにかけ寄った。
「おふたりとも、お疲れ様でした! ラリエット様、そうお力を落とされずに!」
「そうですよ! 特訓はまだはじまったばかりですし……。さ、まずはおふたりとも座ってお休みください!」
「あまり根を詰めるとよくありませんからね! 今おいしいお茶と甘いものをお持ちしますから! リュイジア様が」
自分の情けなさに落ち込むラリエットを三つ子たちが懸命に励ます横で、ニナはソファにどっかりと腰を下ろした。
「ごめんなさい……。私、ちっともうまくできなくて……」
ラリエットが今にも泣き出しそうな顔でうなだれた。
「……しょうがないわよ。あんたに喧嘩の適性がないことくらい、はじめっからわかってたし。まぁまだ時間はあるわ。練習あるのみよ」
「うん……」
目下聖女棟で行われているのは、側妃とラグドルの悪意に立ち向かうための芝居の練習だった。
どうしてこんなことをふたりがしているのかと言えば――。
先日の三人での顔合わせでデジレにこれまでのことを洗いざらいぶちまけたニナは、側妃のもとへとスパイとして入り込むことになった。
側妃とラグドルが今後どんな企みを仕掛けてくるつもりなのか、ニナに側妃側についたと見せかけて探らせようという腹である。
が、それはあまりにも危険だ。もしニナがこちら側に通じているとバレれば、一貫の終わりなのだし。
そこでデジレが考えたのが、この芝居だった。
ふたりの聖女が王子の婚約者の座を巡り、激しく対立し憎しみ合っている。
なんならこの世から消えてくれないか、と願うほどに。
そんな筋書きの芝居をニナとラリエットが皆に見せつければ、側妃はきっとニナを利用しにかかるに違いないと考えたのだ。
『そうだな……。まずは王城の目立つ場所で派手にののしり合いを皆に見せつけるとしようか』
『ののしり合い……?』
『あぁ。できるだけ口汚く互いを罵倒し合うんだ。とても聖女とは思えないような物言いでね』
『……』
まずは聖女ふたりが、王城のあちこち、特に人の往来の多い場所で激しいののしり合いを繰り広げる。
言葉の応酬はもちろん、なんなら取っ組み合いするくらい派手に。
あっという間にふたりの対立は噂となって広まり、いずれ側妃の耳にも入るだろう。
同時にニナは側妃に、あの不機嫌聖女がどうしても邪魔で消してしまいたいほどに憎たらしい、と訴えるのだ。
『いずれ側妃は、ニナにラリエットを殺させるつもりだろう。そうすれば自身の手は汚さずに済むし、安全だ』
そのためには、絶対に自分に疑いがかからないよう留意する必要がある。
少なくとも聖女ふたりに注目が集まっている間は、うかつに動けないだろう。
つまりは、噂がニナとラリエットふたりの身を守る時間稼ぎになると考えたのだ。
『なるほど……。確かにそれならニナも側妃に疑われずに懐に入り込めるし、しばらくは私たちも安全なんですね……』
デジレはうなずいた。そしてすぐさま、側近のベルドに芝居の台本を用意するよう命じたというわけだ。
なぜかノリノリでベルドが作ってくれた台本は、実に見事な出来だった。
デジレ王子の婚約者の座を巡ってふたりの聖女が嫉妬の炎を燃え上がらせ、互いを蹴落とそうと口汚くののしり合う。
時に相手を突き飛ばし、踏みつけにしながら。
なんとも臨場感あふれる見事な台本を何冊も書き上げたベルドの目は、キラキラと輝いていた。
『いやぁ、芝居の台本を考えるのって楽しいねぇ! こんな命を削るようなブラックな仕事なんてやめて、脚本家に転向しようかなぁ!』
ベルドの意外な才能が花開いたらしい。
それを見たデジレは、満足げな顔で告げた。
『期待しているよ。ラリエット、ニナ。君たちがひどく対立し憎しみ合っているとわかれば、側妃の狙い通り聖女の権威は失墜する。きっと側妃も信じるさ』と。
その時のデジレの笑みは、見たこともないほど黒い気がした。