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第7話 女神シルクの能力

 入浴と着替えを済ませたシルクが、チェリーと共に仮眠室から出ようとした、その時。

 外から仮眠室のドアがノックされた。それに素早く反応したのはチェリー。


「あれぇ? 誰でしょうか。私が出ますね!」


 チェリーが一人で早足でドアに向かうと、シルクはドアとは反対側にある大きな窓に視線を向けた。

 この仮眠室は城の1階にあって、中庭に面している。

 シルクは窓の前に立って、閉じられたピンク色のカーテンを少し開けてみる。

 窓の外は中庭に面したテラスになっているが、薄暗く強風で外に出られそうにない。


(本来は美しい中庭なんだろうなぁ……見てみたかったな)


 中庭の地面に草は生えておらず土のみ。点々と生えている木々に葉はなく枝のみ。神の城の中庭にしては殺風景だ。

 春の国は、ずっと異常気象なのだとサクラが言っていた。この国の人々の生活を思うと胸が痛む。

 何かの衝動に動かされて、シルクは窓を開けた。すると同時に、外で吹き荒れる強風がピタリと止んだ。


(風が……止んだ?)


 シルクは不思議に思いながらも、そのまま外へ出るとテラスを抜けて中庭へと歩いていく。


 一方、仮眠室のドアを開けたチェリーは、その意外な訪問者に驚きの声を上げた。


「きゃあっ、ハル様っ!?」

「あ、驚かせてごめんね。入っても大丈夫?」


 まるで友達の部屋に入るような軽いノリでハルは微笑んだ。ここは女性用の仮眠室だが、本人は全く気にしていない。

 そしてチェリーが大げさに驚いたのも、単にハルに対してのミーハー精神であった。


「はい、どうぞ。シルク様のご入浴とお着替え、完了しました!」

「ありがとう、チェリーちゃん」

「はい! それでは私は、これで失礼いたしますっ!」


 空気を読んだチェリーは、ハルを部屋に通すとお辞儀をして退室する。

 ハルは部屋を見回すが、シルクの姿はない。そう広くはない部屋なので、すぐに正面の窓に目が行った。

 ピンク色のカーテンが少し開かれて、テラスへと続く窓ガラスが開いている。


(シルクちゃん、外に出たの!?)


 ハルは窓に駆け寄ると、開いた窓から顔を出して外のテラスを確認する。そこにもシルクの姿はない。

 強風で外に出るのは危険だと心配したのに、その風も今は止んで穏やかな風に変わっている。

 不思議に思ったハルはテラスに出て中庭を見渡すと、正面にシルクの姿を見付けた。

 シルクは中庭の真ん中に佇んで、枯れた木を見上げている。その横顔にハルは息を呑んだ。


(美しい……)


 草木が枯れ果てた中庭は、お世辞にも美しい景色とは言えない。だが、シルクが立つその場所だけが別世界のように輝いて見える。

 桜色のドレスを纏って銀色の長い髪を靡かせているシルクは、色のない世界に咲く一輪の花のように美しさを際立たせている。

 気付けばハルは、木を見上げるシルクの背後から抱きしめていた。


「あっ……?」


 突然、背後から抱かれたシルクは小さな声を上げた。だが振り向かなくても、それが誰だか分かる。ついさっきも正面から抱かれたばかりだ。


「ハルくん……?」

「あっ、ごめん、また……」


 慌てたのは抱きついたハルの方で、すぐにシルクの体から離れた。ハルの方を向いたシルクの表情は、驚きでも怒りでもなく無表情。


「……また私を見たら抱きしめたくなったの?」

「えっと、あ、うん……そのドレス似合うなぁって。もしかして僕、嫌われた?」

「ハルくんって変な神様ね。なんか神様っぽくない……ふふ」


 無感情のシルクが微笑んだのでハルは少し安心するが、その言葉に少し眉を下げた。

 ハルはシルクの横に並び、先ほどシルクが見上げていた木に片手で触れる。枯れた木に生気は感じられない。


「うん。神様らしくないよね。季節の神なのに、僕には何の力もなくて」


 木の幹に触れながら呟くハルの赤い瞳は、憂いを帯びて揺らいでいる。


「この庭も殺風景でしょ? 僕はスプリング国を……この木すらも救えない」


 これは桜の木で、高さは5メートルほどの巨木。幹の太さは人の肩幅よりも広い。

 枯れてはいるが、中庭の主のように堂々と真ん中に立つ姿は凛々しく圧巻だ。

 シルクはハルの横で、彼の切ない横顔を見つめる。


「ハルくんの力でも異常気象は止められないの?」

「僕の力はどんどん弱くなっていて、季節をコントロールできないんだ」


 季節を司る神は、季節の象徴。神の力が弱まれば、季節は乱れて異常気象を引き起こす。

 さらに、その力は神の心に影響される。ハルの心が落ち込み、乱れれば状況は悪化する。

 スプリング国は今、近い将来に迎えるであろう滅亡の危機にあった。

 シルクは失くした自分の過去よりも、無くなるかもしれないスプリング国の未来を案じる。


「どうしてなの? 何が原因で、こんな事になったの?」

「女神シルクが死んだからだよ」

「!?」


 ハルが急に真剣な眼差しで顔を向けたので、シルクは思わず言葉を失う。

 シルクという名を言われると、まるで自分の事を言われたように錯覚する。

 ハルは視線を木に戻して独り言のように語り続ける。


「女神シルクの能力はね、季節を安定させる力。女神が死んだら全世界の季節は乱れるんだよ」


 まるで自分のせいだと言われているように感じたシルクは眉をひそめた。

 全世界という事は、この国だけでなく春夏秋冬の4国全てが異常気象なのだろう。

 そして第5の国であるシーズン国も、女神の死によって遠い昔に滅亡したのだと。

 それを認めたくない気がしたシルクは、今回もまた反論する。


「……本当にそうなの? それも伝説なんでしょ?」

「うん、そうだね。女神のせいじゃない。結局は僕の力不足だよ」


 神としての責任を全て一人で背負うハルの心の痛みが、シルクにも同じ痛みとなって心に刺さる。

 同時にシルクの中に生まれた強い願望が、漲る力となって心を熱くさせる。


(ハルくんを救いたい、この国を救いたい。スプリング国に春を取り戻したい)


 そう願いながら、シルクは木の幹に触れているハルの手の甲に、自らの手の平を重ねた。


「シルクちゃん……?」


 ハルが横のシルクの顔を見ると、目を閉じて口を閉ざし、静かに祈っているように見えた。

 その美しく凛とした姿は、まるで女神の祈りのようで……神聖な光を纏っているように見える。

 シルクに見とれていたハルは、手の甲が温かい熱に包まれていく感覚に気付いた。

 それはシルクの手の体温だけではない。神聖な魔力が手の甲から伝わり、ハルの全身を巡っていく。

 その力は光となり、木の幹を伝って無数の枝の先まで輝かせる。さらに光は二人の周囲を取り囲むように広がる。


「シルクちゃん、シルクちゃん! 目開けて、見て!!」


 目を閉じて無意識に祈りに没頭していたシルクは、ハルの呼び声で意識が現実に戻る。

 目を開けると、目の前にピンク色の小さな花びらが舞い落ちてきた。それを目で追うと、地面に落ちたのは桜の花びらだと分かった。


「え……?」


 信じられない気持ちで、シルクは木の幹から後ずさる。数歩だけ離れると改めて木を見上げる。

 その視線の先は、ピンク色の花で埋め尽くされている。溢れんばかりの花びらが優しいシャワーのように二人に降り注いでいる。

 シルクの銀色の瞳が満開の花を反射して桜色に染まる。

 完全に生き返った桜の木を見上げるシルクの正面にハルが歩み寄る。少し興奮気味のようだ。


「すごいよ、シルクちゃんの力! この木は僕でも蘇生できなかったんだよ!」

「え、私の力……?」

「それに、周り見て! ほら!」


 ハルに言われた通りに、シルクは自分の周囲を見回す。

 すると、何も生えていなかった土だけの地面に緑色の草が生い茂っている。差し色のように、所々にタンポポの黄色い花が咲いているのも見える。

 二人が立っている桜の木を丸く取り囲むように数メートル、そこだけが美しい春の風景を取り戻していた。

 ハルは優しい春の風にピンクの髪を揺らしながら愛しそうに草花を眺める。


「強風も止んだし、草木も生き返った。これは間違いなく女神の力だよ」

「今のはハルくんの力だと思うけど……」

「そうだとしても、僕に力を与えてくれたのはシルクちゃんだよ」


 シルクは自分が女神シルクだと名乗った割には、それを事実として受け止めようとしない。

 その矛盾がどこから来るのか、記憶の全てを失っているシルクには定かではない。

 それに今の能力だってシルクが意図したものではなく、完全に無意識であった。

 不確かで曖昧な女神の力にシルクは戸惑うが、ハルは確信に変わり始めていた。


「シルクちゃんは本物の女神かもしれないね」

「でも、女神は遠い昔に死んだって……」

「それは伝説だよ」


 今度はハルに言い返されてしまった。

 シーズン国が滅んだのは確かな事実であるから、女神が死んだという伝説も事実である可能性は高い。

 だとすれば、今ここにいるシルクが『当時の』女神シルク本人である可能性は低い。だが別の可能性ならある。

 ハルは急に地面に片膝を突いてシルクに跪いた。驚いて目を見開くシルクをハルが見上げる。


「シルク様。春の国・スプリングへ、ようこそお越しくださいました」

「え……ハルくん、どうしたの急に?」



「女神シルク様。僕はずっと、あなた様の転生をお待ちしておりました」



 それは、シルクが女神の『生まれ変わり』であるという可能性であった。

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