シルクは今、見知らぬ街の道の真ん中に立っている。
空は灰色、空気は冷たく、人通りも全くない。ゴーストタウンに一人だけ取り残されたようだ。
(あれ、ここ……どこ?)
辺りを見回すと、民家の屋根は崩れ落ち壁もなく、瓦礫となって地面に散乱している。
この風景と似た廃墟を少し前に見た。シルクが目覚めた場所、滅んだシーズン国の城だ。
(ここはシーズン国の街?)
そう直感で確信して片足を動かした時に、足の指先に何かが触れた。足元を見ると、地面の土から何かが生えている……いや、埋まっている。
それは固くて白い物で、自然物とも人工物とも違う形をしている。
「ひっ……!? やっ!!」
それが人骨だと認識した瞬間に、シルクは声を上げて一歩後ろへと下がった。
季節も草木も人間も、全ての生命を失い滅びた国。シルクは力なく冷たい地面に座り込んだ。
銀の瞳から溢れ出して落ちた雫が土を湿らせていく。
(私のせいで……私のせいで、シーズン国が滅んでしまった)
シルクを襲うのは、心が壊れそうなほどに痛く突き刺さる悲しみと罪悪感。
なぜ自分のせいで国が滅んだと思ったのか、その経緯は分からない。分かるのは、これは夢で、この前の夢の続きだということ。
……とすれば、これはシルクが失った過去の記憶なのかもしれない。
シルクは目を覚ました。
瞼を開くと同時に頬を伝う涙で意識が一気に戻る。夢と同じように、シルクは眠りながら泣いていた。
(あれは夢なの? 現実なの?)
それとも過去の記憶なのか、女神シルクの伝説を再現しているだけの想像なのか……真実は見えない。
シルクが寝ているこの部屋は、城の一室をシルク用として整えてくれた部屋で、仮眠室とは比べ物にならないほどに豪華で広い。
中庭での一件から、ハルがシルクを本当の女神として扱い始めたのだ。
シルクはベッドの上で上半身だけを起こすが、夢のショックでまだ動悸が激しい。涙も止まらない。
(どうしよう、落ち着かなきゃ……)
涙を止めようと深呼吸をしてみるが効果はない。カーテンから漏れる光と部屋の明るさで時刻は朝だと分かるが、泣き顔で部屋の外には出たくない。
何か気を紛らわそうと思って枕元を見ると、1冊の本が目に入った。それはシルクの唯一の所持品で、記憶を失う前に自分が書いたと思われる日記だ。
(読めないとは思うけど……)
シルクは日記を手に取り、表紙を開いてみる。1ページ目には文章ではなく、手書きで図形が書かれていた。
シンプルな二重丸で、内側には小さめの丸。それを囲む外側の大きい丸は4本の線で均等に区切っている。まるで4枚の花びらのようだ。
中心の小さな丸と、外側の4つの枠の中には単語が書かれているが、シーズン国の文字は読めない。だがシルクは直感で、なんとなく理解できた。
(春、夏、秋、冬、シーズン……)
これは全世界の地図。4つに区切られた外側の丸は春夏秋冬の4国で、その中心に位置する内側の丸がシーズン国を表す。
この図を見ると、円形に繋がって隣り合う4国は同じ陸地なのに、国境の線で完全に区切られているように見える。
例えるなら、穴の空いたドーナツを均等に4つに切り分けたように……。
そのドーナツ状の中心部に位置するシーズン国は、国境を隔ててはいるが4国全てと繋がっている事になる。
シルクはスプリング国に来た時の道のりを思い出す。
(そういえば、厳重な国境の壁だった)
結界魔法で強化された国境の壁は、他国への行き来を完全に拒むかのようであった。
あの国境を通れるのは、サクラのように魔法が使えて、かつ特別な役職の者だけなのだろう。
次のページをめくろうとした時に、寝室のドアがノックされる。シルクは顔を上げるが、返事を返す前にドアが勝手に開かれた。
「シルク様、おはようございます~!」
寝室に足を踏み入れるなり、元気よく挨拶とお辞儀をするのはメイドのチェリーだ。
チェリーには朝に起こしてほしいと時間を指定して頼んだので、ノックだけで入ってくるのは当然であった。
「あっ、もうお目覚めでしたか! シルク様、朝がお早くて驚きました!」
「そうかな? 7時は普通だと思うけど」
「お早いですよ~! ハル様なんて、お昼前まで寝てますよぉ!」
シルクの目は据わっている。そういえば、初めてハルに会った時も昼前で、彼は完全に寝ぼけていた。
春眠暁を覚えず。さすが春を象徴する神様だ。妙に納得する。
シルクは思い立ったように素早くベッドから下りる。
「あ、チェリーさん。これって世界地図で間違いない?」
シルクは日記の最初のページを開いてチェリーに見せた。
「はい。この文字は読めませんけど、この形は確かに世界地図ですね」
「ありがとう」
それだけを確認すると、シルクは日記を閉じた。この日記に書かれている事は、おそらく真実で史実の記録だろう。
そしてシルクは、さらに質問をもう1つ。
「ハルくんの部屋って、どこ?」
シルクは今日も桜のようなピンク色のドレスに着替える。
そして自室を出ると、チェリーに教えてもらったハルの部屋へと向かって早足で歩く。
……が、すぐに着いてしまった。ハルの部屋はシルクの部屋と同じ階で、すぐ近くにあった。
あきらかに他の部屋のドアとは装飾が違う。宝石箱の蓋のようなドアの取っ手を躊躇いもなく握る。
そして一気にドアを開けて、シルクは堂々と室内に入った。まるで強制捜査の突入だ。優雅なソファや美しいガラステーブルを横目に通り過ぎる。
(女子の部屋みたい)
家具やカーテンなど全てがピンク色で統一されていて、乙女の部屋にしか見えない。春をイメージした色なのは分かる。
リビングを通り過ぎて、一番奥の部屋のドアもノックなしに開ける。
ここはハルの寝室であるが、彼はシルクの足音にもドアの開く音にも気付かずに熟睡している。
「ハルくんっ!!」
シルクはベッドの前に立って大声で呼びかける。
「ハルくん、起きてっ!!」
次にハルの掛けている布団を掴むと、足元が見えるくらいにまで一気にめくり上げた。
急に寒さに曝されたハルは、寝ぼける事なく一気に覚醒した。寝間着までピンク色という徹底ぶりだが、似合い過ぎて笑えない。
ハルはキョロキョロと首を動かした後に、ようやく目の前に立つシルクの仏頂面に気付く。
「え、なに、なにっ!? シルクちゃんっ!? 何事!? 夜這い!?」
神の口から、とんでもない単語が飛び出した。やはり寝ぼけているのか、単に天然なのか。
それに、この狼狽え様も、一国の神とは思えない。
「何言ってるの、今は朝!! ほら、しっかりして、ちゃんと起きて!!」
布団を掴んだまま叱りつけるシルクは、もはや子供を起こす母親の剣幕だ。頼りないハルを見ていると母性本能が無意識に目覚める。
さらにシルクは基本的に無感情なので、真顔で叱ると凄みがある。ハルも恐怖の女神には逆らえない。
「ええっ!? だってまだ8時だよ!? 起きるには早すぎるよ!!」
「早くない! そんなだから、ハルくんの力が弱まるの! これじゃ国を救えないよ」
「うっ……痛いところを突くね……」
国の危機の最中に神が寝坊をしている場合ではない。早起きをしたところで変わる訳でもないが。
ハルは見た目は20歳くらいだが、神なので実際は何千歳かもしれない。どちらにしても、いい大人なのに世話が焼ける。
シルクは布団から手を離すと、ピンク色のカーテンで閉じられた窓を指差す。
「今日はいい天気だから、ハルくんも朝日を浴びた方がいいよ」
「え? いい天気だって?」
それを聞いたハルは驚いて一気に飛び起きた。
そしてシルクが指差した窓に駆け寄ると、カーテンの左右を持って一気に開いた。すぐに目に入った眩しい光に目を細める。
「本当だ、風も穏やかで、いい天気だ……!」
「そんなに珍しい天気なの?」
「ほとんどないよ。すごいよ、これもシルクちゃんの力だね」
今のスプリング国は毎日が異常気象で、穏やかな快晴の日は珍しいらしい。
ハルが色白なのは春の種族の特徴だと思っていたが、日に当たる機会が少ないからかもしれない。
しかし、なんでもかんでも女神の力だと言われたらキリがない。そもそも自分が本当に女神なのかも分からない。
ハルがシルクを女神として敬えば敬うほど、それは不確かな自分の存在に対しての不安になる。
「あの……素敵な部屋を貸してくれてありがとう。私、いつまでここにいていいの?」
いつの間にか窓際のハルの横にはシルクが立っていて、一緒に並んで外を眺めていた。
ハルは驚いたような顔をしてシルクを見る。そしてすぐに穏やかな笑顔に変わった。
「いつまでも。ずっとスプリング国にいてくれたら嬉しいな」
なぜかシルクは素直に喜べなかった。それは国にとって女神の力が必要だという意味なのだろうか。
確かに、記憶も家も家族もないシルクには帰る場所がない。おそらくシーズン国が故郷なのだろうが、今は滅びた廃墟の国。
この先、自分はどうしたらいいのか。どこへ向かうべきなのか。
何か、やるべき事……大切な使命があるような気がした。
全ては、過去の記憶である『夢』と、過去の記録である『日記』に答えが隠されているような気がした。