シルクがスプリング国に来た日から、確かに気候は春らしく安定している。
それを女神の力の恩恵だと信じているハルは、日に日にシルクと接する時間を増やしていった。
もはや、それは女神の扱いというよりも、王妃の扱いに見えてくるほどであった。
その日も朝から春らしい温かさの晴れた日だったので、ハルとシルクは中庭で朝食を取っている。
白くて丸い小さなテーブルに向かい合って座り、この広い中庭を二人で独占している。
今も中庭は枯れ木や枯れ草が大部分を占めている。生き生きとした春の風景は、シルクが蘇らせた桜の木の周辺だけであった。
「どう? シルクちゃん。今日の朝食は口に合う?」
「うん。このサンドイッチもすごく美味しい」
二人が食べている朝食は、イチゴのフルーツサンド。ティーカップには桜の葉をブレンドした紅茶。
春の国の食事は、当然ながら全てが春の味覚なのだ。シンプルな白米よりも、たけのこご飯、山菜ご飯をメインに食べる。
神だからと言って贅沢をする訳ではなく、一般市民と同じ食生活をしている。
だが長く続く異常気象のせいで、野菜も果物もパンも貴重なものになりつつある。
それでもハルの温かみのある笑顔は、そんな深刻さを一切感じさせない。
「ふふ、良かった。シルクちゃんは食べ物の好き嫌いはないの?」
「ないと思う」
「じゃあ、どの季節が一番好き?」
ハルは当然、シルクが『春』と答えてくれる事を期待している。この流れで聞くのは誘導尋問だ。
だがシルクの答えは、ハルの期待通りではなかった。
「うーん……全部、同じくらい、かな」
「全部同じくらい好きなの?」
「全部同じくらい普通」
「…………」
ハルはガッカリよりも驚いて黙ってしまった。シルクは基本的に無感情で冷めているが、ここまでとは思わなかった。
無関心というよりは、シルクには好き嫌いが全くない。それは食べ物でも人でも同じ。
「シルクちゃんは、何ていうか……本当に真っ白だよね」
それは色白の肌に銀色の髪と瞳を持つシルクの外見、そして記憶喪失にも当てはまる。
好き嫌いがなく、全てが普通。だからこそハルは、シルクの特別な存在になりたい。純白のシルクを春色に染めたいという独占欲と支配欲が同時に生まれる。
そんなハルの心を知らないシルクが何気なく問いかける。
「他の季節の国の神様たちって、どんな人なの?」
このタイミングでそれを聞くシルクも罪深い。
当然、ハルはつまらなさそうな顔……いや、この顔の歪め方は不快を通り越して嫌悪だ。イケメン顔からの振り幅が凄まじい。
「三人とも男だよ。夏の国・サマーの『ナツ』は暑苦しいし、秋の国・オータムの『アキ』は陰気だし、冬の国・ウィンターの『フユ』は気弱だし、付き合い辛いよ、まったく。まぁ、ほとんど会わないし国交断絶してるけどね」
「……ちょっと待って、情報量が多すぎる」
女性の神はシーズン国の女神シルクだけで、他の4国の神は個性的な男たちという事だけは分かった。ハルも含めて。
それにしても、ハルが他の神について語る時だけ毒舌になるのが意外で驚いた。もはや愚痴と悪口にしか聞こえない。
ふと気付けば、快晴だった空がいつの間にか曇っている。今にも雨が降りそうだ。この天気の急変は、もしかして……と、シルクは勘付いた。
「でも私、スプリング国は素敵だと思う。すごく居心地がいいし、春が好きになりそう」
「え、やっぱりそう思う? そうだよね、春が一番だよね!」
少年のように目を輝かせて喜ぶハルは、なんと単純なのだろうか。そして思った通り、ハルの機嫌が良くなると日が射してきた。
国の気象は、神の心に影響される。シルクが『季節の安定』の能力で国を救っても、ハルが『季節の不安定』を引き起こせば国は滅びる。
つまり、この国の運命はハルの心次第でもある。
(あまりハルくんを怒らせない方がいいのかも)
シルクが冷静にそんな事を考えていると、二人のテーブルの横にいつの間にかサクラが立っていた。
「お食事中、申し訳ありません。ハル様、そろそろ報告会議のお時間です。お急ぎ下さい」
ハルの側近であるサクラは、今日も黒のスーツを身に纏ってクールに用件を伝える。しかし、なぜかハルは乗り気ではない。
「今日の相手はサマー国でしょ? やだなぁ、ナツは短気だし暑苦しいし、面倒くさいなぁ」
またしてもハルの愚痴が始まった。だが、それを聞いて乗り気になったのは、なぜかシルクの方だ。
「会議って、もしかして夏の国の神様に会うの?」
「あ、うん。直接会う訳じゃないけどね。映像の通信でね」
つまりリモート会議だ。シルクはこの時、衝動的に心と口が同時に動いた。
「お願い、ハルくん。私も行っていい? その会議を見てみたい」
「え、いいけど……見ても面白くないと思うよ」
女神のお願いをハルが拒めるはずもない。快く……という顔ではないが、ハルは了承してくれた。
(夏の国の神様、どんな人だろう……)
シルクは今、自分がすべき事として、まずは全世界の事情を知ろうと思った。なぜそう思ったのかは分からない。
きっと、世界を知る事が自分を知る事に繋がるから……という漠然とした動機に動かされていた。