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第35話 ナツの行く末

 聖樹の花びらをポシェットに詰めて、シルクはサクラと共に城を出る。

 時刻は深夜を過ぎて明け方に近いが、立ち止まっている暇はない。

 サクラはシルクを抱いて空を飛んで行こうとしたが、いつの間にかシルクの背には桜の羽が生えている。


「シルク様、春魔法が使えるのですか!?」

「うん。サクラさん、急ごう」


 アラシの時と同じようにサクラが驚くが、シルクはすでに前だけを向いている。

 そうして二人は桜の羽を羽ばたかせて飛び立つと、まずはシーズン国を目指す。


 スプリング国の国境を越えてシーズン国に入ると、次はサマー国への国境を目指して飛んでいく。

 国境の壁に辿り着くと、その前ではアラシが壁に寄りかかって顔を伏せて立っていた。

 前方からシルクとサクラが駆け寄ってきた事に気付くと、顔を上げて明るく笑う。


「シルクちゃん! サクラちゃん! 待ってたぜ!」


 サクラは心配そうにしてアラシの顔色を確かめるが、いつも通りの笑顔で安心する。


「アラシ、お前、ずっと待ってたのか?」

「当然だろ、オレ一人でサマー国に帰れるかよ!」


 たとえアラシがいなくても、シルクは一人でサマー国へと行ける。でも今はアラシの気遣いが嬉しくて心強い。

 シルクはアラシの正面に立って微笑み返す。


「アラシさん、ありがとう。聖樹の花びらをもらったから、急いで行こう」


 アラシが魔法で国境の壁に光の出入り口を作る。そしてシルクと共に国境を越えようとした時に、ふとアラシが振り返る。

 その目線の先には、二人を見送るサクラの姿。


「なぁ、サクラちゃん……またデートしてくれるか?」


 いつも陽気なアラシらしくない弱気な口調が、クールなはずのサクラの乙女心をくすぐってしまう。これがギャップ萌えだろうか。

 アラシを真っ直ぐ見つめるサクラの表情はいつもと変わらず凛々しい。ただ少しだけ頬が赤い気がする。


「……デートではない。調査なら、いつでも」


 サクラの言い回しは素直ではない。表向きはシーズン国の歴史の手掛かりを探す『調査』として、アラシと行動を共にする。

 それでもアラシは、それが了承の意だと理解している。


「よっしゃ! サクラちゃん、また今度な!」


 満足そうな笑顔でガッツポーズをしてから、アラシは改めて国境の壁の方を向いた。

 そんなアラシとサクラを見て、シルクは思った。今はシーズン国でしか会えない二人のためにも、世界を救おうと。

 全世界の季節を取り戻して、国境の壁をなくして、季節の干渉など気にせずに、どこでも自由に行き来できる世界にしたい。

 そしてシーズン国の四季を取り戻し、そこに種族関係なく人が住む未来を夢見ていた。


 シルクとアラシがサマー国の城に着いた時には朝方。すでに日が昇って視界は明るくなっていた。

 朝の訪れと共に聖海の潮が引いていたので、城の1階から中に入る事ができた。

 二人は急いで階段を駆け上がり、2階のナツの部屋へと向かう。

 そして部屋に入ると、ナツのベッドを目にしたシルクが呆然と立ち尽くす。


「え……ナツくん……?」


 ベッドの上には誰もいない。ナツはずっと昏睡状態で、目が覚めたとしても出歩けるとは思えない。

 シルクの後ろでそれを見たアラシは、ナツが目覚めた喜びではなく胸騒ぎを感じていた。


「ナツ様、あんな体で、一体どこへ……」


 ハッと何かを思い出したシルクが目を見開く。同時にドクンと心臓が不穏に弾ける。

 命の期限が近い神が、最後にどういう行動を取るのか。スプリング国の時……ハルは、どうしていたのか。


(まさか、ナツくん!?)


 ナツの意志を感じ取ったシルクは、衝動的に窓へと駆け寄る。開いたままの窓からバルコニーに出ると眼下を確認する。

 目の前に広がる景色は、朝焼けの赤色に染められた聖海。ナツの赤髪を思わせるその色は、美しくも儚い哀愁を感じる。

 その海岸に、ゆっくりと真っ直ぐ海に向かって歩く赤髪の人を見付けた。


「ナツくん、だめっ!!」


 両手で手すりに掴まり、身を乗り出して叫ぶが、その声はナツに届かない。

 シルクの左手からピンク色の魔力が溢れ出ると、それは背中に集まり桜の羽を形成する。

 迷わずにシルクはバルコニーから飛び降りた。……いや、飛び立った。砂浜を歩くナツの元へ向かって。

 バルコニーに出たアラシはシルクの背中を見ても追わなかった。ナツを助けられるのはシルクしかいない……そんな予感が足を止めた。


 よろけながらも足を踏みしめて歩くナツの片足が、波打ち際の海水に浸かろうとした。

 その背後に降り立ったシルクは、ナツの背中に駆け寄ると力いっぱい抱きついた。


「ナツくん、待って! 行かないで!」


 シルクはナツを引き止めようとしたのだが、シルクに抱擁されたと思ったナツは驚いて足を止める。

 力なく振り返った弱々しいナツの瞳は、燃え尽きた太陽のようで……それでも最後の力で強い意志だけは曲げない。


「シルク……カッコ悪い姿を見られたな……情けねえ」


 シルクは目に涙を溜めて激しく顔を左右に振る。ナツが何を言いたいのか分かる。だからこそシルクは引き止めたい。


「ねえ、他に方法はないの!? なんでナツくんが犠牲になるの!?」

「力がない神なんて、もう生きる意味がないんだよ」


 ナツはその身を海に沈めて、聖海と同化しようとしている。そうすれば聖海を制御して異常な満ち潮くらいは防げる。

 だが、それはサマー国の寿命を少し延ばすだけ。神を失った国はいずれ滅びる。それでもナツは最後の手を尽くそうとする。

 ナツ自身が力を取り戻さない限りは、サマー国の未来はない。その方法を考えた時にシルクは思い出した。


(そうだ、聖樹の花びらを……!)


 シルクはナツから手を離して、ポシェットの中から畳まれた白いハンカチを取り出す。

 それを片手に乗せて広げると、中には聖樹の花びらが数枚……あるはずだった。

 そこには、萎れて原型を留めていない花びらの残骸しかなかった。


(そんな……枯れてる……)


 人も植物も同じ。サマー国の環境に適応できずに瞬時に枯れてしまった。季節の干渉は許されず、他国の生命は持ち込めない。

 生気を失った花びらでは、神を生かす万能薬にはならない。ナツを救う手段はもうない。

 ナツは最後の力を振り絞って微笑むと、シルクの頭にポンと優しく片手を置いた。


「……夏祭り、一緒に行きたかったぞ」


 どうして、そんな最後の別れのような願望を告げるのだろうか。

 どうして、そんなに優しく微笑みながら諦めるのだろうか。

 シルクに沸き起こった感情は悲しみではない。生きるという道を見付け出さないナツに対しての『怒り』だった。


「もういい加減にして!! どうして神様ってみんな自虐的なの!? 生きる方法を考えてよ! 私はナツくんに生きてほしいの!!」


 それは悲しみの訴えというよりは怒声。勢いよく顔を上げて飛び散った涙が、今にもナツに届きそうなほどに力強い。

 自虐的な神とは、女神も含まれる。前世の女神シルクは来世で世界を救うために、自ら命を絶ったのだから。

 しかし今のシルクは人間。そしてナツの命はもう限界であった。海まであと数歩で足が届かずに、ナツはその場に崩れ落ちた。


「ナツくん!!」


 波打ち際に倒れたナツを支えようとして、シルクはナツごと砂浜に座り込んだ。ナツの頭を膝の上に乗せて膝枕の形になる。

 波が寄せる度に、ナツとシルクの体を冷たい海水が濡らしていく。


(……絶対にナツくんを助けるから)


 シルクは片手でポシェットから聖樹の花びらを数枚取り出すと、それを一気に自分の口の中へと入れた。

 花びらを飲み込まずに噛み砕きながら、波が寄せてきた時に両手で海水を掬う。その海水を少量、口に流し込んで含む。

 そのまま顔を伏せると、膝の上に置かれた仰向けのナツの顔に近付いて、躊躇いなく唇を重ねる。

 ……それは『口移し』という名の『口付け』であった。

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