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   第三話 新しい家

「紗希、さーき!」

「……ああ、社長」

「もう。僕のことは社長じゃなくて陽介でいいって。ほら、期間限定の結婚でもさ、夫婦は夫婦なんだから」

「……そうでしたね」

 有名な外国の車メーカーの車に乗りながら、紗希はそう答えた。

 運転席には陽介、その隣に紗希は座っていた。

(どうしてこんなことになってしまったのだろう)

 紗希は考えても、よくわからない。

 自分が大きな財閥の秘書をしていることは努力の上に成り立っているから理解出来るにしても、この結婚は普通ならばありえない。

 どこに、そんな大きなチャンスが転がっているのか。

(もっとも……、私にとってはチャンスではないかもしれないけれど)

 目を細めながら、外の景色を眺める。

 ビルの群れや、切り取られたような夜空、そして月明りが見えていた。

「家はいろいろと便利だろうから、都会に置いておこうと思ったんだけど、やっぱりある程度年齢を重ねると静けさも欲しくなるんだよね。紗希にはまだ早かった?」

「……セクハラ、パワハラで訴えますよ」

「ごめん、ごめん。でも急ごしらえにしてはいい家だったから、よかったよ」

「そんなにぽんぽんと家を買えるくらい、お金があるのはやはり財閥の力、というものですね」

 嫌味を言いたいわけではないのに、なぜか紗希の口からは、嫌味のような言葉しか出てこない。そんな自分が、紗希は少しばかり嫌だった。

 でも、陽介は笑いながらこう言うのだ。

「そうそう! 財閥の力! いいんだよ。いつも利用されてるんだから、こういう時くらい、利用してやって。いっつも親父の言う通りだと、僕だって肩がこっちゃうし、紗希だってあの偏屈親父のせいで今大変な目に遭ってるんだから、少しくらいわがまま言ってもいいんだからね」

「……特にないです」

「そう? あ、じゃあぬいぐるみでも買ってあげようか! 紗希って小物、可愛いものでまとめてるよね。いいと思うよ。もしよければ、心の拠り所にでもしてほしいな」

「心の拠り所、ですか……」

 確かに、これからそういうものは必要かもしれない。

 それだけ、危険と隣り合わせの結婚かもしれないのだから。

 ましてや、財閥のお嫁さんともなると、露出する機会も増える。

 下手なことが出来ない。これまで通りの、普通の暮らしは出来なくなるだろう。

「……じゃあ、そのぬいぐるみ、買ってください」

「うん。いいよ。どんなのがいい? クマ? うさぎ? それともネコ?」

「……うさぎ」

「いいよ。ちょっと大きめの子にしようか。ぎゅって抱き着けるような、そんな子を選んであげる」

「ありがとうございます」

 それから十分もすると、車はある家の前で止まった。

「ここが、僕達の新しい家だよ。和モダンとでも言えばいいかな。デザインが気に入ってね。それに、畑もあるし」

「はあ、暗くてよく見えませんが」

 足元を照らすライトはあるが、足元だけで、上の方はあまり照らされていないから見えない。

「あ! そうだね! じゃあ、また明日明るくなったら一緒に外観をよく見よう」

「……」

 こういう天然っぽいところは計算しているのだろうかと紗希はぼんやりと思った。

「ほら、中に入って」

 玄関のドアを開け、そして紗希が中に入ると陽介は灯りを着けた。

 木の匂いがして、まだ新しく建てられたばかりだということがわかる。

 玄関の土間、また靴箱のところがスロープになっていて、車椅子も通れるようなそんな作り……。

 窓を見ると、障子に外の植物の影が映っていて、それが綺麗だと紗希は思った。

「僕らが年老いても、ずっと使えるデザイン。ごめんね。こういうのでないと、バレるかなって思って、勝手にユニバーサルデザインとかも考えられた家を購入しちゃった。君の意見も聞かずに。怒っていいよ……」

「いえ、賢明なご判断かと。それに、気になさらなくて結構です。期間限定の結婚ですから。期間が過ぎれば、この家はあなた様だけのものになります。そう考えたら、私の意見など必要ないでしょう」

「冷静と言えばいいのか、君ってちょっと鉄仮面みたいだよね」

「……それ、私の学生時代のあだ名です」

「あ、ご、ごめんっ!」

「ふふっ、いいですよ」

 紗希は自然と笑みを浮かべていた。

 あまりに必死に謝る陽介に、心が和まされたような、そんな気がしたのだ。

 陽介も、紗希のそんな笑顔を見て、胸が少し温かくなって笑みを浮かべた。

「何を笑ってるんですか。ほら、寝るための準備をしないといけないでしょう。もちろん、部屋は別々なんですか?」

「え、そ、そうだよ」

「寝室は滅多に見られるものではないにしろ……、二つあるのは不自然に思われるかもしれませんね」

「えー……」

「いざという時のゲスト用のベッド、ということにしておいて、普段は使わせていただきます。それなら、いいでしょう。来客がある時だけ、どうか我慢してください。私なんかが布団に潜り込むのはきっと嫌でしょうが」

「そ、そんなことないって! でも、わかったよ。それでいこう」

 そうして、その日の夜、二人は同じベッドではなく、別々のベッドで眠りに就くのだった。


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