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   第七話 池が凍った

 それから数日、陽介と紗希はなんだかんだ二人での生活に慣れ始めていた。

 お互いがお互いのプライベートな部分に立ち入らないようにしているから、上手くいっているのだろう。

 お互いのことを嫌っているわけでもないため、よくリビングに集まると、テレビを見ながら番組のあれやこれや話すことが出来るくらいの仲にはなっていた。

 そんなある日のことだった。

 朝、紗希が起きると庭で陽介が楽しそうに池を眺めていた。

「どうしたの」

「あ、紗希! 見てみて! 池が凍って綺麗なんだよー。上だけだから、下の方は凍ってないんだけどね」

「……確かに、綺麗かも」

 確かに幻想的な綺麗さを持っていて、池は綺麗だった。

 だが、紗希が注目したのは陽介の方だ。

 陽介が無邪気な子どものような顔をして池を覗いている。

 そしてにこにこ微笑んでいるのだ。

「魚って不思議だよねー。こんな寒くて冷たい池で、まだ生きてるんだもん。息苦しくないのかなぁ?」

「さあ、魚のことはわからないけれど。でも、魚だから外の方が息苦しいんでしょうね」

「まあ、確かに。お魚さんの春も、僕達の春も、まだ先だねぇ」

「……いい年齢のおじさんが、そんなこと言っても可愛くないですよ」

「ひっど! 僕まだ……いや、おじさんだねぇ」

「ホットミルクティーでも淹れてあげますから、早めに戻ってくださいね。社長」

「あ、私生活で社長は禁止だってば! 仕事モードになっちゃうでしょ」

「ああ、はいはい。ごめんなさい」

「素直でよろしい」

 陽介は紗希の頭をぽんぽんと撫でた。

 紗希は不思議と嫌悪感を抱かなかった。普通、こんなことを人にされたら嫌悪感しか出てこないのだが、それが出てこない。

 それが、とても不思議だった。

「何してるのー、早くホットミルクティー淹れてよー。僕紗希のホットミルクティー好きなんだからさ」

「今行くから、先にソファーにでも座っていて」

 そう言って、紗希は先に行く陽介の後を追って家に戻っていった。

 そして家の中に入ると、紗希はミルクティーを入れる。

 ミルクは牛乳ではなく豆乳を淹れている。

 紗希の個人的な好みなのだが、最初に陽介に確認したところ「僕も豆乳が好きなんだよね。奇遇だね」とのことだったため、それからずっと豆乳でミルクティーを作っている。

 日持ちもするし、いろいろ使えるし、なんとも使い勝手がいい。

 かといって、牛乳が嫌いなわけでもない。牛乳には牛乳の良さがある。

 シチューを作るときなどは豆乳ではなく、牛乳を入れている。

 使いきれる予定があるなら牛乳を買うし、そうでないなら豆乳を買っておいて使うし、という具合だ。

「紗希ー、そういえば今日仕事休みだったね……。僕うっかりスーツ着ちゃったよ」

「こっちは休日出勤か何かかと思ってたんだけど、やっぱり休みだったんだ。おかしいと思ったんだ。私の予定は何もなかったから」

「わかってるなら教えてくれてもいいでしょー」

「いや、私抜きで何か会食などに出かけられるのかなと……」

「そんなはずないでしょ。会食なんかあったら、紗希を妻として紹介する絶好の機会じゃない。やっぱり外堀から埋めていかなくちゃ」

「え? お父様にはなんとお伝えを?」

「それなんだけど、周りから話してもらえばいいかなって。こちらからは何もしないことにした。周りから結婚おめでとうございますなんて言われたら、親父のことだからとりあえず受け取っておいてから僕を呼び出すからさ。その時に言えばいいよ」

「そういうものなの……? 順序が逆な気がするんだけど」

「いいのいいのー。こちとら親父のことで悩むなんて面倒でやってらんないよ。腹の探り合いなんて本当に、あの人相手だとしたくなくてね」

「……まあ、それはなんとなく」

「あ、紗希、ミルクティー、ごちそうさま。朝ごはんはどうしようか? 僕が作ろうか?」

「ええ……。作れるの?」

 紗希は嫌そうに声を出した。その言葉に陽介は傷ついたふりをする。

「僕だって一人で料理くらい出来るよ。なんでも出来るようにっていう教育方針だったから、一通りなんでも出来るよ。本当にね。裁縫とかも出来るし」

「お嫁さん、要らないじゃない」

「そうなんだよねー。だから今まで結婚してなかったんだよー! なのに親父ってば、僕の年齢的にもう嫁を貰った方がいいとか子どもを作れだとか、本当に勝手だよね!」

 紗希はそれもそうだ……と思ったのだった。

「あーあ、親父も魚だったらいいのに」

「え?」

「凍った池の下の方の水のところで、ゆっくりしてくれてたらいいのになってこと!」

「……よくわからないけれど、なんとなく、ニュアンスだけは」

「ん、ニュアンス伝わった? 紗希、凄いね! さすが僕の秘書やってるだけある!」

 褒められてもあまり嬉しくないのだが……。

 ただ、あまり動かないで干渉されることなく見て見られる関係くらいになりたいという意味だろうなと、紗希は受け取った。

 この男も、普段太陽のような笑顔を見せてはいるが、結構な苦労人なのだなと思う。

 どんなに、上流階級の生まれだろうと、それは変わらないようだ。


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