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   第十話 秘書友達曰く、稀有な存在

「いやいや、あなたね、羨ましい限りよ」

 そう言うのは紗希の職場の秘書仲間の友達。

 ある日の昼休み、友達と小会議室を占拠し、お弁当を広げてランチを食べていた。

「ぶっちゃけここの秘書全員社長の秘書に就きたいって思ってるんだから」

「えー、でも……社長って結構子どもっぽかったりするよ?」

「そこがいいんじゃない! 母性本能くすぐられるわぁ。今社長三十代よね? 全然結婚もありよー!」

「……そういうもの?」

「そー。当たり前!」

「ふうん」

 改めて社内での評判などを聞くと、紗希は自分が結婚相手でよかったのかとますます疑問に思えてくるのだった。

「ちなみに、社長が隠れて結婚してたらどうする……?」

「どんな人かリサーチするわね」

 にやっと笑うその友達に、紗希は「相手はビジネス関係で近しい存在だったとして、結婚もビジネスだったら?」と言うと、友達は「その話、もっと詳しく」と言うのだった。

「もしもの話だから。現実じゃないよ」

「……なんだ。つまらない。でも、紗希も冗談を言えるのね」

「私、そんなに冗談を言わないように見える?」

「その通りでしょ?」

「……」

 確かに、自分は冗談など言わないなぁと思った。だが、これでよくわかった。

 ただの秘書が社長と結婚するべきではないということが。

「ご法度とまでは言わないけどさ、やっぱり上司との結婚は、きついわ……」

「そうだね」

「紗希は社長の秘書でしょ。もしかして、その手の話が上がっててそんな話をしたの?」

「まさか、そうだったら面白いなって思ったの」

「だよね。本当にそんなことが起こったら、夢と現実がごっちゃになって……、天国か地獄か、わからないもんね」

 職場にはまだまだ秘密にしておいた方がよさそうだと紗希は感じた。

 公にしたら、この友達のような考えの人が多いだろうから、きっと根掘り葉掘り聞かれる。

 それを止めるためには、社長であり夫である陽介に、かん口令を敷いてもらうなり説明をしてもらうなりしておかなければならない。

 人というのは自分より立場の弱いものが急に上になると手の平を返すか、攻撃するかのどちらかが多いから、この友達だって、ひょっとしたら……。

 そう思うと、紗希は世の中の面倒くささにため息が出るのだった。

 そこへ先のスマホが鳴る。そこには陽介からのメッセージ。

「あ、ごめん。社長からメッセージ来てた」

「お、いいよ。もうお昼休みも終わりだし、今日は解散ってことで」

「うん。じゃあ、また」

「社長とお幸せにー」

 冗談で言ったのだろうが、紗希にはそれが冗談に聞こえない。

「そんな冗談やめてよねー」と言うと後ろから友達の笑い声が聞こえるのだった。

 さて、メッセージにはなんと書いてあるのか。

 廊下で少し立ち止まって読むと、そこには目が飛び出るんじゃないかということが書かれていた。

「急だけど今日、親父のアポを取っておいたから、そこで一緒に暮らしてる女性ってことで紹介するよ。そのために、今日は少し早めに帰ろう」

 なんということを。

 正直、紗希はそう思った。

 社長の上である会長、藤堂龍之介それが藤堂陽介の父親である。

 陽介のように太陽みたいな人ではないが、ビジネスに関しては長けていて、なんでも、噂によると人で遊ぶのが好きだとか……。

 もちろん、犯罪になるようなことではなく、ほんの少し困らせるとか、価格交渉をするなどといったことなのだが、それがまた相手の外堀を埋めていくようなやり口なのだ。

 正直、紗希は会長が苦手だった。

 前に見かけた時、威圧感があり、あまりにも生活感がなく、恐ろしいと感じたくらいだった。

「あんな方に私が認められるはずがないのだけれど……。まったく、陽介様も何を考えているんだか」

 そう呟くと「それはないんじゃなーい?」としょげたような声が目の前からした。

「えっ、陽介様!?」

「そう。僕だよ。ここは社内だから、社長でいいよ。なんだかややこしくてごめんね? あのクソ忙しい親父の予定が今日くらいしか空いてないってことだから、悪いけど、今から支度して向かわないとなんだ。君の服装もなんとかしてね。あ、勘違いしないで。秘書っぽい恰好じゃなくて、妻らしいというか……親に紹介するための場所だから、それ相応の恰好をしてもらうってだけなんだよ」

「で、でも、私、そんな服持ってない」

「だったら、途中で買ってそのまま着ていこう」

「お、お金が」

「そんなの僕が出すに決まってるでしょ? 僕の都合でいつもと違う服を着て、一緒に来てもらうんだから、当たり前だよ」

「……うん。わかった」

 どうあっても逃げられないとわかった紗希は「行くよ」と自分の手を握って離さない陽介の隣を歩いて付いていくのだった。


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