「純愛……と言ったか。純愛で職場の女に手を出すというのはどうかと思うがな」
「社内恋愛って言ってよ。人聞きが悪い。親父って、いつもそうだよね。俺が決めたことに文句ばっかり」
「文句はまだ言っていないだろう。それこそ被害妄想だ。それで、そちらのお嬢さんとは本当に結婚する気なのか。同棲と言っても、最近始めたばかりだろう」
龍之介がそう言うと、陽介は露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
「うげぇ。そこまで調べてるの? でも新生活が始まったからこそ、今こうして報告に来てるんだよ。あまり会いたくも話したくもない親父に対してさ」
「いくらで買った?」
「だから、純愛だからいくらも何も、お金の関係じゃないよ」
紗希はそのテンポの速い話についていけなかった。
脳内ではわかってはいるのだが、実際に目の前で繰り広げられると、どうにもいい気分にはならないし、親子でしかわからないような主語のない会話が続くのだ。
正直、まったくと言っていいほど意味がわからなかった。
そこへ紗希に会長の秘書から「大変ですね。これから」と小声で言われてしまう。
「会長は、良くも悪くも興味を持つといろいろと調べたり、確かめたり、試したりなさいますから」
「え、私これで興味持たれたんですか?」
「ええ。人が好きな陽介様ですが、今まで手元に人を置こうなんてそう思われない方でしたので、そんな方のお隣にいらっしゃるあなたのことを、少なくとも会長は秘書としてのあなたのことにも興味がおありでしたよ」
紗希が陽介と龍之介の方を見ると、二人はまだ何かしら言い合っていて、それはぴりぴりとしたものではないにしろ、あまりいい気分になれるものではないことがわかった。
しかし……。
「隠してただけで、内縁の妻だったんだよねー」
という言葉に、龍之介は面白そうに笑った。
「そこまで言うか。それなら……、よいことだ。だが、そこまで言うなら、何度も言うが、もし、欺いたと私が確信したときは覚悟しろ。そちらのお嬢さん……、白石紗希さんも、それでいいかな?」
そう龍之介は先に話を振った。
正直、話の半分以上理解出来なかったが、まあ、要するに……、期間限定の結婚だとバレなければいいのだろう。
紗希はビジネスで磨いた笑顔という能力を存分に発揮した。
「もちろんです」
さて、どうなる。どうする。
どうしたらいい。
陽介と紗希はそう思うのだった。
「そうだ。このあと、夕飯でも一緒にどうだ。たまには親子で食べても構わないだろう」
そう言う龍之介に、陽介は「ボロを出させようという魂胆だな」と思い、断ろうとした。
しかし、意外にも紗希が乗り気で「いいですね。陽介も、それで……いいよね? たまにはお父様ともお話をしたりした方が、いいと思うの」などと言うものだから、陽介は断ろうにも断れなくなり、龍之介に「紗希がこう言ってるから、昼食くらいなら……」と少し面白くなさそうにして言うのだった。
「感謝するよ、紗希さん」
龍之介はそう言って、自分の秘書に今からいつもの店に行けるか確認を取ってほしいと言うと、秘書に先に連絡が入った。
「会長。申し訳ございません。お夕食の前に確認してほしいというお取引先の……」と、秘書は仕事の話をし始める。
「ああ、あそこか。なら、仕方がないな。陽介、また今度、紗希さんと一緒にどこかで食べよう。悪いが、私達は今から仕事だから、もう帰ってほしい。家を空けなければならないからな」
「……ああ、わかったよ。親父」
そして陽介と紗希は車に乗って帰路に就く。
「あの親父はいつもそうだ。仕事、仕事。家族のことなんて見もしなかった。なのに、いきなり跡継ぎを……とか、結婚をなんて話すなんて、言ってることとやってることが違うんだ」
珍しく陽介は怒りの感情を紗希に見せた。
それだけ、陽介は父親に対して特別な感情を持っているのだろう。
今まで、何があったのか紗希には想像も出来ないが、ただ、あの太陽のような陽介がこうまでも「やるせない」といった表情を見せるのは初めてのことだった。
「……ごめん。変な気持ちにさせちゃったよね。僕は大丈夫だからさ。あの親父と会うといつもこうなるんだよ。だから、本当は会いたくない。と言っても仕事も絡んでるから絶対に無理だけどね! はははっ!」
なんだか痛々しく笑っているように思えて、紗希はついこう言ってしまう。
「無理して笑わなくてもいいよ」と……。
陽介は途端に無言になり、数分の沈黙の後に「そうだね」と静かに言った。
二人はどこかでご飯を……なんて気持ちにはなれなくて、とにかく自分達の家に帰ろうと思うのだった。