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   第十四話 散歩

 その日、出社前に陽介に「散歩にでも」と誘われた紗希は、この生活は仕事と一緒だからと以前にプレゼントしてもらった月と星をモチーフにしたピアスをして、少しばかり早い時間に家を出て、一緒に近くの公園を歩いていた。

 冬の香りが薄まり、春がもうすぐやって来るのだと感じる暖かさ。

 寂しい景色も少しずつ色が戻ってきていた。

「気持ちいいね。紗希と暮らす前にもたまに出社前にここに来ていたんだけど、やっぱり僕はこうして四季を感じられるのが好きだな」

「そう。私も嫌いではないよ」

 二人は足元にある春の訪れ達を踏まないように歩きながら、話を続ける。

「そういえば紗希、今日、ピアスしてくれてるんだね」

「え、ああ……。可愛いし、する理由はあってもしない理由はないから」

「する理由? そんなのあるの?」

「男除けのまじない」

「ああ、そりゃ……、いいかもね」

 ぷっと吹き出す陽介に、紗希はじーっと冷めた視線を送るのだった。

「でも、実際そういう意味でしょう。これは」

「まあ、そうなんだけどね。じゃあ、丁度いいから、明日にでも職場に公表しちゃおうか。僕達が結婚すること」

「何が丁度いいのかはわからないけれど。そうしたいのならそうしたら?」

 ……紗希と陽介は足並みを揃えて公園にある湖を覗き込む。

 氷がなく、水がゆらゆらと揺らめいているのが見えた。

「あ、鯉だ!」

「食パンとか持ってきてないよね? あげちゃダメだからね。そういうの」

「もちろん。わかってるよ」

 陽介は律儀で真面目な紗希のこういうところが好きだ。恋愛的な意味でなく、ただ単に、人間としてこういう紗希の真面目さが好きなのだ。

「……鯉さん、こっちの餌なら大丈夫だよー」

 紗希はいつの間にか鯉の餌を自販機から買ってきて、それをばらばらと撒いていた。

 すると鯉達は我先にとぱくぱくと食べ始めるものだから紗希は「うわぁ、ちょっとこんだけ数いると凄いね……」と引いている様子だった。

「あはは! 紗希は自分からこうなるのわかって餌をあげてたのに、引くんだね!」

「いや、さすがにこの量は予想してなかったというか……。魚が、魚がいっぱい……」

「僕もあげてもいい? 残りの半分頂戴。今度アイスか何かあげるからさ」

「私を餌で釣らない。まあ、いいよ。どうぞ」

 紗希は鯉の餌を陽介に渡した。

 すると陽介は近くの鯉ではなくて、遠くの方へと餌を投げる。

「あっちの方に餌があるよー……ってね。これで少し、鯉が遠くに行ったかな。必死に生きてるって感じがして、僕は好きだけど、確かにちょっと気持ち悪いよね。大量の魚」

「うん……」

「さて、日向ぼっこでもする? ベンチ空いてるよ」

 陽介のその言葉に、紗希は頷いた。

「まだ、時間でもないから、そうしてもいいかもね……」

 二人はなんでもない時間を、ただなんとなく過ごしていた。

 今後も、こういう時間は増えていくだろう。

 二人きりの時間が増えるのだから。

 何故なら陽介は期限付きとはいえ、すれ違いばかりのような結婚生活にはどうしてもしたくなくて、紗希とそれなりに仲良くなりたいと考えていた。

 それに、優秀な自分の秘書との日常の会話も悪くはないものだ。

 知らなかったパートナーの意外な一面などが見られて、陽介は嬉しいと感じていた。

 こんな仕事をしているから、友達と会うこともほとんどない。

 会う暇がない。仕事の方を優先してしまうのは仕方のないことだが、そもそも友達も少ない。そんな時にこんな風に自分のバカげた提案に乗ってくれた言い方は悪いが、ある意味では少しおっちょこちょいな、これから苦労をするであろう彼女に、陽介は出来る限りお返しをしたいのだった。

「ぽかぽかだねぇ」

「……そうだね」

 ベンチに並んで座る二人は、冬のあたたかく優しい日差しをいっぱいに受けていた。

 紗希には、正直陽介という人物がわからないが、こういうことが好きな純粋な人だとは思っている。

 変に肩ひじ張らなくていいと言ってくれそうな、そんな感じの人。

 それより、本当の姿で、本当の気持ちで対話しようと言ってくれそうな人だと思うのだった。

 しかしながら、それだけに自分の手の内をなかなか明かさない陽介の姿も知っているし、これから先、どうやって接していけばいいのだろうと若干困っていた。

 だが、その答えは意外にもすぐに出る。

「あ、そうだ。紗希はさ、僕になんでも打ち明けていいし、いつ助けを求めてくれても構わないよ。潰れる前に、教えてね」

「……?」

「僕の母さんなんだけど、親父に大分参っててさ、助けを求められないでいたら、どこかに行っちゃったんだ。だから、そうなる前に、紗希には助けてって言ってほしい。僕も、なるべく頑張って、助けられるようにする」

 そんな真面目な話をしながらも、陽介はにこにこ微笑んでいた。

「あ、鳩さんだ」

「……鳩さんよりも。陽介、あのね」

「え?」

 いつまでも純粋そのものな彼の目を見てしまうと、声が出なくて、紗希は「やっぱり何でもない」と言って立ち上がった。

「あ、そろそろ出社時間ってことか!」

 陽介に言われて紗希は腕時計を確認する。

 確かに、その時間だった。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 二人の足並みは、まだ揃わない。

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