「さて、桜が葉桜に変わりつつある今、私は秘書として活躍していますが、未来の私はどうですか……なんてね」
紗希は日記を座って書きながら、そんな言葉をため息と一緒に出した。
実際のところ、秘書として活躍しているかどうかはわからない。
ただ、子どものような心で、未来の自分に聞いてみたいと思ったのだ。
今は秘書として充実しているが、未来はどうなっているのかと。
さすがに日記とはいえ、契約のことを書くわけにはいかないから、普通に陽介のことを夫、または社長として書き、悩みなども上辺だけのものを書いていた。
本当の悩みなど、書けるわけもなかった。
そもそも、そんなに深刻な悩みは今のところないのだが。
ただ、どう振舞えばいいのか、お金の使い方、相応しい身なりの整え方などがよくわからなかった。
陽介はそのままの紗希でいいと何度も言ってくれるのだが、そうは言えないのが財閥の世界だろうと、紗希は自分なりにちょっとお高いお店に行かないかと陽介を誘って、その金額を見てくらりと眩暈を起こしたり、どういう人たちが多いのかということを陽介に聞いたりしていた。
結局のところ、手を繋げなかった時と一緒で、一人で悩みすぎるだけで、問題は解決に向かうことなどない。
陽介もそんな紗希の堂々巡りを見て「じゃあ、僕の実家に行ってみる? 親父に会うことになるのが嫌だけど」とまで言ってくれた。
紗希は悩みに悩んだが、それでは陽介の負担が大きいだろうと断る。
だが陽介はこうも言うのだ。
「その内、嫌でも行くことになるから、どちらにせよ挨拶くらいは済ませておかないとね。以前のだけじゃ、足りないって親父からこの前電話来たから」
「え、会長からそんな電話が来ていたの? 直通ってこと……だよね?」
「もちろん。いつも親父は基本的に直通の電話しか寄越さないよ。心臓に悪いよね。そういうの。僕が親父のこと大好きってわけじゃないの、親父知ってるのにさ」
「でも、家族からしたら、普通だよ」
「普通……ね。その普通が当てはまらないのが、僕の家なんだよなぁ」
陽介は手の甲を額にくっつけて、天を仰いだ。
……そんなことがあったなぁと、紗希は思いながらまた日記を書き続ける。
紗希の日記の書き方はユニークで、書きたいと思ったものはとにかく書いていく。
だから、決まった形式のない日記で、見ていて面白いと自分でも思うくらいだった。
その日書いた紗希の日記は、自分が花嫁衣裳を着るなら……という夢も描いていた。
確かに、衣装は自分の好みのもの、もっと言えばさらにいいものを着せてくれるだろう。だが、昔望んでいた幸せいっぱいの結婚式というよりかは、嫉妬やこんな普通の娘がという驚愕の表情がいっぱいあるだろう高砂からの眺めを想像してしまった。
紗希は式場からもらったパンフレットを見たり、雑誌を切り抜いて作ったコラージュを見たりして、日記を飾っていく。
虚しい飾りのように少し思えてしまった。
でも、幸せがあるのも、間違いない。
陽介の笑顔を見ると、最近は心が穏やかになっていくのだ。
そして、その心の穏やかさは継続している。
きっと陽介の元々の性格や、自分への優しさがちゃんとあるということ、また変な意味での好意がないことに安心してのことだということが、紗希にはきちんとわかっていた。
「……次に葉桜になる頃には、きっと今以上に幸せになっていてほしい。私から、私へのお願い」
日記はそう締めくくった。
「おーい、紗希。お風呂湧いたよ!」
「なっ、あ、う、うん! わかったよ! 陽介!」
少し慌てながら、紗希は日記を机の引き出しに入れた。
きっと、これを陽介に見せることはないだろう。
だが、誰かに見せることを前提にしている。
それは自分と、あと、誰だろうと紗希はふと思った。
「じゃあ、僕寝るね」
「ま、待って」
紗希は寝ようとしていた陽介を呼び止めた。
「え?」
「髪、濡れてるじゃない。……乾かしてあげるから、リビングに行こう?」
「あー。大丈夫、大丈夫。僕これで風邪引いたこととかないし」
「そういう問題じゃないの! カビとか、髪が痛んだりとかいろいろあるんだから。いいから、行くよ」
「……はいはい。まったく、紗希には敵わないよ」
陽介はくすりと微笑んだ。
本当に、自分にここまで言ってくれる人は、ここまで言える人はいないのだからと。
そして紗希はそんな陽介の気持ちなど知りもせず、髪の毛をドライヤーで乾かしてあげていたのだった。
「いつか、お礼するね。何がいい?」
「物がほしくてやってるわけじゃないから、大丈夫」
紗希はすぐに断った。
そして、紗希に髪を乾かしてもらった陽介は「ありがとう。それじゃあ、おやすみ」と言って今度こそ眠りに就くために自分の部屋に戻っていった。
紗希も、部屋に戻って、次の日を迎える準備を進めるのだった。