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第19話 気づき

 式典の翌日、クラリスは冤罪に対する無罪判決の証明書と現在自分が騎士団にて世話になっていることを手紙にしたためルバック伯爵家へと送った。

 少なくとも自身になんら瑕疵のないことを実家の両親には伝えておきたかったからだ。

 アシュリーから〝ベル〟をもらった時には、もしかしたら直接会話ができるかもと一瞬期待をしてしまったが、さすがにそれは無理すぎた。

 王都からルバック領までは定期便で片道約半月はかかるので、その間クラリスは今まで通り魔法薬やポーション作りに励むことにした。

 獣師団員たちと一緒になって薬草の栽培にまで手を出し試行錯誤を重ねていくのはとても楽しい。

 ルバック伯爵領にいたころは妹のビアンカ中心の生活であり、両親は勿論のこと自身の婚約者であるフランクですらクラリスのことなど二の次だった。主がそうなのだから当然のように使用人にですら放っておかれがちで、誰もがクラリスのことなど気にも留めることなどなかった。

 けれどもここでは違う。皆がクラリスを気づかってくれるし、話も聞いてくれる。お互いを尊重し合い話し合えることがこれほど嬉しいことだったなんて、ルバック伯爵家にいたのならば、一生わからずに過ごすことになったかもしれない。

 婚約を勝手に破棄して冤罪まで仕掛けたフランクに感謝する気持ちはいっさいないが、そんな彼と一生を共にすることがなくなったことだけはよかったと思う。

(今はしばらく、ここで皆と一緒に過ごす幸せを噛みしめたいだけ……)

 日々誰かが顔を出してはクラリスと話をしていってくれる。

 その中でも特にキースは中隊長としての仕事もある中、忙しい時間をぬってはクラリスの様子を見に来てくれた。その時間がない時でも、〝ベル〟を使い会話をした。

 練習に、と言われていたが用事がないとそうそう連絡できないクラリスとは違い、キースは折に触れては〝狼〟を送ってくる。

 これではクラリスの練習にはならないのでは? と思いながらも受け入れた。

 実際、やってくると同時に鼻や体をクラリスへと擦りつけては全身でアピールする姿は興味深い。またこの仕草から出てくるのが真面目なキースの声なので、そのギャップが大変微笑ましく感じる。慣れれば慣れるほど、本当に可愛く思えてしまう。

 あまりに慣れすぎてしまい、つい先日にはキースの頭にないはずの狼の耳が見えてしまったほどだ。


「クラリス嬢!」

 庭で栽培し始めた薬草を世話している時、突然大きく手を振りながらクラリスの元へ小走りで近づいてくる様が、キースの〝狼〟とよく似ていて一瞬何かの間違いかと思った。

「キース様、こんにちは」

 手や服に付いた土を払いながら立ち上がる。

 一緒になって手入れをしてくれている獣人たちは「あ、キース様だ。こんにちは」と軽く声をかけてすぐに作業に戻ってしまった。キースの方も「頑張っているな」と返し、クラリスへと顔を向ける。

 そもそも今までキースはこんなふうにあからさまにクラリスだけに声をかけるようなことはしなかったはずだ。

 それがいったいどうしたことだろう、と考える間もなくキースがクラリスの前に立った。息を切らすようなことはないが、急いできたのが手に取るようにわかる。

「よかった、出発前に会うことができて」

「キース様、お急ぎのようですね。今から任務なのでしょうか?」

「いいえ。少し王宮へ行かなければならない程度ですのですぐに戻ってきます」

(程度って。王宮に行くのにその言い方は……)

 ちょっとそこまでお使いにというくらい簡単に言うキースにびっくりする。そして王宮に行くと言うだけあって、いつもの騎士服の上にマントを羽織り、襟にはきちんと徽章も付けられていた。

「そうなのですね。では、お気をつけていってらっしゃいませ」

 クラリスが会釈しながら見送りの言葉を伝えると、ぴょんっと飛び跳ねたように背筋を伸ばす。それがまたキースの〝狼〟がピンと耳を立てたように見えて仕方がない。

 クラリスの可愛いのツボに入ってしまい、キュンッと胸が高鳴ってしまう。

(さ、さすがに申し訳ないわ、キース様に狼の耳なんて……でも、でもとても似合ってしまって……)

「はい。行ってきます」

 少し硬いながらも口角を上げながら答えるキースの姿をついちらちらと上目で窺ってしまう。

「……クラリス嬢?」

 不自然なクラリスの様子はとうとう本人に気づかれてしまった。

 あまりに失礼なことをしたと、クラリスが顔を横に向けて恥ずかしがっていると、今度はそれを気にしたキースが「どうしましたか?」と言いながらクラリスの両手を取り心配そうに覗き込んだ。

 キースの眉の下がった表情に垂れた耳の幻がまとわりつく。その姿にまるで自分がキースの大切な人のような錯覚をさせられてしまう。

(キース様の〝狼〟があんなに懐いてくるから……ダメよ、誤解しては)

 自分で自分を戒める。けれども、あれ以来甘噛みはされてはいないのに、キースの視線を感じるとなぜか首筋が熱くなるような気がしていた。

「ど、どうもしていません! あの……それよりも、お時間なのでは……?」

 キースの手に握られ、身動きが取れない。言外に離してほしいとお願いしているつもりだが、さらにギュッと力が入った。

「そうですね。まあそろそろは」

 そう言いつつもなかなか手を離してくれない。この薬草畑は獣師団員だけでなく騎士団員たちも通る場所にあるため、こちらを窺っている団員も少なくない。

「キ、キース様……?」

「……はあ。行ってきます」

 再度声をかけると小さく溜め息を吐き、渋々といった様子で手を離す。

 キースのそんな姿を見たのは初めてだった。クラリスがぽかんと口を開けていると、その耳元へスッと顔をよせてきた。

「お土産を持って帰りますので待っていてください」

 内緒話をするように、それでもしっかりと聞き取れるほどの声でクラリスへと告げる。少し低めだがどこか艶っぽいその声が耳の奥に響く。

 慌てて耳に手を当てて一歩後ろに飛び下がると、何が面白かったのかキースがククッと目を細めて笑った。

(……キース様がこんなふうに笑われるなんて)

 出会ってから今まで見たことのないキースの笑顔に驚きながらもなぜか目を離せない。そんな気持ちにさせられてしまった。


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