ルバック伯爵家からの返事が届いたのはクラリスが手紙を出してからちょうどひと月経った頃。
無罪判決の証明書と犯罪者摘発における功労賞としていただいた金一封を添えて書いた手紙。
クラリスが無罪だと知った両親が、彼女からのその手紙を読んで何かしら感じてくれるのではないかと期待して待っていたのだが、その返事はクラリスの期待とは大きくかけ離れたものだった。
「……はあ」
間借りしている部屋で一人、一通りさっと目を通した後でクラリスは大きく溜め息を吐く。あまりの言いように、これは自分宛などではなく、間違えて配達されてきたのではないかと思ってしまったほどだ。
宛名を確認し直してからもう一度クラリスは手紙に目を落とす。
『あなたに罪がないことが証明されたことは幸いでした。もしもルバック伯爵家の娘が犯罪者ということになれば、これからのビアンカの評判にもかかわるでしょうから。
けれどももう少し早く連絡はできなかったのかしら。ビアンカがあなたのことを心配してまた体調を崩してしまったの。いつもの頭痛薬が切れてしまって大変だったわ。保湿クリームと石けんもすぐに送るようにしてちょうだい。
ビアンカが敏感肌なのをあなたも知っているでしょう。肌荒れが出てしまいとても可哀想でみていられないわ。
それから騎士団本部にしばらく滞在する予定というのは本当なのかしら。未婚の娘の滞在先としてはとても好ましいとは思えません。
身持ちの悪い姉妹がいるなどと言われてしまうとビアンカの社交にも影響が出ます。
できるだけ早く場所を移すようにしなさい——』
母親からの神経質そうな筆跡はまだまだ続く。クラリスはここまで読んだだけですでに大きく気力をそがれてしまった。
結局のところクラリスの両親は彼女にこれまでした仕打ちのこと、それによりどんな気持ちでいたことなど何一つわかろうともしなかった。
冤罪を簡単に信用してしまったことについてさえも謝ろうとも考えていないこと。同封した金一封について感謝の言葉もないこと。
この二つだけでもクラリスを軽んじていることがわかる。
そのうえビアンカの体調や評判についてはクラリスも気にかけて当然というように書いてくるのだ。父親に至っては一文とてクラリスに返事を送ってはこなかった。
クラリスは宛名に書かれている自分の名前を指でなぞる。淡い期待がその指に引っかかりもせず落ちていくのがわかる。
(お母様は気がついていらっしゃるかしら。この手紙の中にビアンカの名前は何度も出てくるというのに、私の名前といえば宛名以外には一つも書かれていないということに……)
フッ。溜め息という名の自嘲の声を吐き出す。そうして手紙の続きを読み出した。
つらつらと書き綴られたその手紙は、最後まで家族の愛情の欠片も感じないほどだった。クラリスへの要望だけが一方的に伝えられ、それを守らない方が悪いのだという締めで終わった。
読むのではなかったと後悔するほどのありさまに大きく肩を落とす。そうして手紙を机の上に置いたまま椅子から立ち上がった。
気分を変えようと窓から外を見る。鳥たちがピチピチと鳴く声が聞こえる。
「とりあえず薬は作って送りましょう。でもそれ以外はとても言うことを聞く気にはなれないわ」
フランクの実家、ブリオール伯爵家へ謝罪の手紙など送るつもりなど考えたこともない。いったい両親はクラリスが何をフランクへ謝罪すべきと考えているのだろうか。
それに騎士団から今すぐ出て行こうというつもりはない。住むところがないというのも事実だが、それ以上にここで過ごすことで感じるささやかな幸せを離したくないというのが素直な気持ちだった。
ルバック伯爵領で過ごしていた時ならば両親の言うことを素直に聞くだけのクラリスだっただろう。けれどもこうしていろいろな人たちと交流することで自分の気持ちを少しだけでも行動に移せるようになったことはクラリス自身が変わったなと思うところでもある。
「それに今ここを出て行ってしまえば、接点がなくなってしまうから……」
そう小さく呟いた時、クラリスの頭の中に真っ先に浮かんだのはキースの顔だった。
(っ……違っ、そうじゃなくって、それだけじゃなくって……ただ、キース様はとてもお優しいから。だから……)
キースの頭に狼の耳が見えてしまった日から、どうにも気持ちが落ち着かない。
お土産を持ってきますと言ってくれたように、あの日は王宮近くの有名なパティスリーでとても美味しいという評判の焼き菓子を買ってきてくれた。
『クラリス嬢に食べてほしいと思ったので』
と言ってはにかむ姿は本当に、あの生真面目で硬いキースなのかと驚いてしまった。
一瞬疑ってしまったが、甘噛みを仕掛けてきた時のように我を忘れているような様子でもなかった。ただ本気でクラリスにと思ってくれているのが表情からもうかがえた。
(あんなふうにしてもらったら……そうでなくても首に、あ、甘噛みされているし……)
顔を赤くしながら首を振った。誰もクラリスの頭の中をのぞけるわけでもないのに、なぜかそんなことを考えたのが恥ずかしくなり窓に掛かっているカーテンに顔を埋めた。
ひとしきりそうして気持ちが落ち着いてくると、手紙の最後の文章を思い出した。
そこには母親からついでのように『来月の頭にあなたの祖母の誕生日記念パーティーがリバリュー子爵家で開催されるの。私たちはビアンカの具合が悪くてとても王都までは行くことはできないから、あなたが王都にいるのならばちょうどいいから顔を出しておいてちょうだい』とだけ書かれていた。
来月の頭といえばもう日数的には十日ほどしかない。
社交マナーだけは知識として覚えたが一度も実践したことはないうえに、パーティーに出席するためのドレスもない。
そんなクラリスがどうしたら祖母の誕生日パーティーに出席できるのだと思うのだろうか。
急いで既製のドレスを手に入れようと思っても功労賞の金一封も送ってしまったので手元にはそこまでのお金もない。こんなことならば残しておけばよかったと思っても後の祭りだ。
誕生日パーティーに出てほしいというのならばせめて金一封も送り返してくれればよかったのにと唇を噛む。
(一度も会ったことがないお祖母様だけれども、お誕生日だというのならばお祝いには行きたい。けれど……やっぱり無理かしら)
碌なドレスもなくパーティーに顔を出せば、むしろ祖母のリバリュー子爵家に迷惑がかかる。
せめて素敵なカードと花でも用意して子爵家に送ろうと考えていると、窓の外から大きな体躯の虎獣人イグノーがクラリスを見上げているのがわかった。
あら? と思った時にはすでに窓枠がビリビリと震えるほどの大声で呼ばれていた。
「うぉおおい、嬢ちゃん! ちょっと、こっちまで、出てこれるかー?」
最近は任務が立て込んでいてと、あまり会う機会のなかったイグノーだがその豪快さは相変わらずだ。大きな手をくいくいと動かしてクラリスを呼ぶ姿はどこかユーモラスでもある。
「わかりました。今から行きます!」
イグノーとは違い、三階から外までクラリスの声が届くかはわからない。
しかしたとえ空元気でも、母親からの手紙で鬱々とした気分を吹き飛ばしたいような気持ちでイグノーの声に手を振って応えた。