「どうした、嬢ちゃん? 随分と沈んだ顔してんな。なんかあったか?」
正面玄関を出てイグノーと顔を合わせると開口一番そう言われてしまった。顔には出さないように鏡の前でチェックをしてきたつもりのクラリスだったが、イグノー相手には全く効果はないようだ。
「……わかりますか?」
「まあな。そんだけ眉が下がってりゃ誰だってわかるだろ」
クラリスは慌てて眉に指を当ててぐりぐりと上にあげる。その姿を見てイグノーはにやりと牙を見せ、そして軽く両肩をあげた。
「言いたくなきゃかまわんが、他人に喋ることですっきりすることもある。聞くだけならきいてやるぞ。誰に話すこともしねえしな」
母親から届いた手紙の愚痴を聞いてもらいたいという気持ちもある。けれどもそれを聞かせてしまうことで自分がどれほど家族からいらないものだとされていたことを知られるのが恥ずかしい気持ちの方が強かった。
「気持ちのいい話ではありませんから……」
「別に問題ねえなあ。というか、実は俺からもちょっくら嬢ちゃんに聞きたいことがあるからな。交換条件っての? ま、ついでだよ、ついで」
あっけらかんと笑うイグノーに交換条件などと言われ、クラリスはなんだかいつまでもぐずぐずとしていた自分の気持ちが急にちっぽけなものに思えた。
(誰にだってどうしようもないことがある。それが自分にとっては家族だったということだけなのかも)
そう割り切るようになると、クラリスは薬草畑に向かいながら今日母親から届いた手紙の内容をゆっくりとイグノーへと話した。
何度かつっかえながら話をして、ようやく全てを話し終わった時には、思っていた以上にすっきりとした気分になっていた。
「ふうん。嬢ちゃんも大変だったな」
「そう、ですね。今思えばもっと早く両親には自分の気持ちを告げて、もっとわがままを言えばよかったのかなと思います。それで聞いてもらえたかはともかく」
大変だったと、言ってもらえる状況にならなければ自分が大変だなんて気がつくこともできなかった。それほどにクラリスはビアンカや両親たちのためだけになるように育てられてきた。
「まあ、うすうすは気がついてはいたけどな。嬢ちゃんみたいな健康なお貴族様の娘さんが王都に来たこともなけりゃ、獣人を見たこともないってのは普通にねえから。あれか? その嬢ちゃんの妹も同じように王都に来たこともないのか?」
イグノーに問われてはたと気がついた。
そういえばビアンカは年に一度は検診ということで医師に診てもらうために王都へ行っていたことを。
両親は当然ビアンカにつきっきりで一緒に王都へ出発し、そしてクラリスはその間ルバック伯爵領のため両親に成り代わって差配をするように言い渡された。
一度たりともクラリスも一緒に王都へ行こうと言われたことはないし、お土産だという両手に抱えきれないほどの荷物の中に、クラリスのために選んだものは何一つなかったのだと。
「私は両親からすれば、本当に都合のいい子どもでしかなかったのですね。ふふ」
自分でも呆れてしまうほどの都合の良さに思わず笑ってしまった。自嘲の笑いでも、声を出して笑える。それだけでもどこかすっきりとした気分になる。
「言いたいことを言ってすっきりしたか? ちっとばっか顔色がよくなったじゃねえか」
「はい。イグノーさん。本当にありがとうございました」
話しているうちにとっくに薬草畑に到着していた。しっかりと根が付き成長している薬草を見ながらクラリスが葉っぱを触っていると、イグノーが「じゃあ今度は俺に話を聞かせてほしいんだが」と口を切った。
「嬢ちゃんの作る魔法薬やポーションなんかに使う薬草は、ルバック領で使っていたもんと同じか? あっちでしかない材料とかはあるか?」
「全て同じものです。薬師ギルドの承認を得ているものだけですし、そのあたりは以前の調査でもそう報告が出ていたと思います」
「ああ、そうだ。だがそれ以外のものは? 薬でなくてもいい、嬢ちゃんのとこでしか見たことのない植物で香りの強いものは知らねえか?」
いつもの陽気さが隠れ、緊張感のあるイグノーの声にクラリスは一生懸命記憶をたどる。
「ない、と思います。ルバック領の方が王都よりも高地ですから寒いとはいえ、そこまで植物の分布に変化はありませんから」
クラリスの返事に、イグノーは口を歪めて頭を掻く。無意識のうちに「ヴヴゥ」と喉から唸るような声を出していた。
「イグノーさん、どうなされました? 何か私の魔法薬に問題でもありましたか?」
「いいや。そうじゃねえんだ……ちょっと、キースの、あのお嬢ちゃんに噛みついた件でな」
突然キースの名前と甘噛みの件を出されてクラリスの顔は一瞬で赤くなる。そんなクラリスに対し、申し訳なさそうにイグノーは言葉を続けた。
「俺はキースのあの行動にはちょっとばかし疑問を持ってんだ。ああ、勿論嬢ちゃんが何かをしたとは思ってねえよ。思ってねえが、何かがあったことは確かだと思う。そうでなきゃあの堅物が初めて会ったばかりの貴族のお嬢ちゃんにあんなとち狂ったことはするはずがねえんだよ」
クラリスもイグノーのその言葉に全面的に賛同する。キースのクラリスに対する態度は最初から礼儀正しく理性的だった。だからこそあの奇行については驚いたと同時に何故? という疑問が膨らんだ。
「あ、あのっ、トリブラの花粉……ということはないでしょうか? あの花には、その幻覚作用がありますから……」
それも媚薬成分の入ったものだ。キースの炎で一気に焼却したとはいえ、あの時クラリスの手にはしっかりとトリブラの花が握られていた。
だからそのせいでは、というクラリスの考えはあっさりと差し戻された。
「キースも一応そっちは王都へ戻ってきた時に調べたんだわ。ただヤツはああ見えても
「それに……?」
「こっちへ戻ってからも、〝
イグノーに言われ慌てて首に手を置いた。顔がカアッと熱くなるのがわかる。
「それを考えるとなあ。どうしても嬢ちゃんが鍵になってる気がしてな。そこでだな、もう直球で確認するが、嬢ちゃん……あんた〝デプラ〟という木を知っているか?」
「……〝デプラ〟ですか? いいえ、知りません」
「そうか。俺の知る範囲じゃあ、状況的にもその香木の可能性が高いと思ったんだが」
イグノーは顎に手を当ててヒゲをくいくいと触りながら空を仰ぐ。
(デプラ……そんな木は聞いたこともないし、本でも見たこともないわ。でもそれがキース様のあの行動と何か関係があるのだとしたら……)
「イグノーさん、そのデプラという香木はいったいどういったものなのでしょうか?」
クラリスは自分でも自覚なくイグノーの腕を掴んでいた。
「こいつはあんまり知られるといいことはないんだが……そうだな嬢ちゃんには手伝ってもらいたいし、教えておこうか」
少しだけためらうような素振りを見せたイグノーだが、クラリスの目を見て話すことに決めた。その言葉にクラリスはこくりと頷く。
「デプラってのは獣人にとっての麻薬みたいなもんなんだ」
「麻薬、ですか? トリブラのように?」
「おう。あっちは人に効くが獣人には効かない。でもデプラは逆だ。そんで、トリブラよりも質は数倍も悪い」
「それほどなのですか?」
危険薬草として指定されているトリブラよりも悪いともなるとどれほどのものなのだろうか。クラリスはとても気になった。