「デプラは俺ら獣人にとっては鎮痛剤として優秀すぎんだよ。体の一部がなくなろうが気にならねえくらいにな。そのうえ中毒性も高い。最初こそ酔っぱらったみたいに気持ちよくぐでんぐでんになるだけだが、煙を嗅ぎ続けてりゃあデプラをよこしてくるヤツの言いなりになってなんでもやらかすようになる」
アリアテーゼ王国では獣人は人と同じように人権が保障されているのだから。そこまでの副作用があるのならば薬師ギルドから注意喚起がない方がおかしいほどだ。
「そんな……でも、獣人にとってそんなに危険なもの、どうしてこれほどまでに知られていないのでしょうか」
クラリスは自分でも薬草に関しての本は読んでいる方だと思っている。
そもそもルバック伯爵家で両親から惜しみなく与えられたのはその手の類いのものだけだった。それも当然のことだがビアンカのためになるからという理由だったが、他にするべきことを見いだせなかったクラリスは一生懸命勉強した。
そのうえ騎士団へ来てからというもの、獣師団の面々とも話しながら獣人の役に立つ薬も研究しているくらいだ。
そのクラリスが知らない香木。いったいどんな木なのだろうか。
「獣人は下手に頑丈すぎるからな。元々は一部の集落で死んでも死に切れねえほどのケガや病気のヤツが静かに逝けるための薬として使ってただけだ。だが、そこに目をつけた反獣人体制の人間たちと、大昔ちといざこざがあってなあ。一気に燃やしつくされたりしたせいで今じゃあデプラの木を知るヤツもそうそう多くねえんだ」
そう言いながらイグノーは「グルッ」と喉奥から声をあげる。それ以上聞いてはいけないような気がしてクラリスは静かに手を離した。
「んなわけで、俺もデプラの原木どころか香木も現物は見たことはねえんだ。ただな、そういうものでもない限り、あのキースがあんだけおかしくなることはなかったと思ってなあ。とにかく甘噛みの件だが、そんなわけでヤツのせいだけじゃねえってことを嬢ちゃんにはわかってもらえると嬉しいんだが」
「そうですね。キース様はずっと、私に責任をとらなければと気になさってくれているくらいですから」
キースが誠実な人だということは、このひと月以上過ごしてきた騎士団本部での生活で本当によくわかっている。
クラリスの返事に、イグノーは目を細めて「あんがとよ」と、笑って言った。
「でもま、最近はなんだ。キースもどうやら責任感ってだけで嬢ちゃんの周りでうろついてるだけじゃねえって話も聞くが、どうなんだ実際は?」
「んっ、んぐっ⁉」
突然話を変えてイグノーにからかわれはじめ、クラリスは驚き変な声が出てしまった。
「……イグノーさんが、デプラのせいかもって言ったじゃないですか!」
「それはそれ、これはこれ、だろ? デプラでおかしくなったなら問題もあるが、その後のことはあんま関係もなさそうだしなあ。だって、毎日〝ベル〟でラブコールしてんだろ? あのキースが嬢ちゃんにはお土産を買ってきたりしてるって、皆こっちが聞かなくても聞かせてくれるぞ」
「ラブコールなんて、そ、そんなこと……」
確かにキースはいつでもクラリスに不便はないか、嫌なことはないかと気にかけて〝ベル〟を送ってくれている。
頻繁に彼の姿が目に入るようになり、そのうえぎこちないが微笑んでくれるようになった。これは責任感だけではないのだろうかとクラリスが勘違いをしてしまいそうになるほどだ。しかし……。
頬を両手で覆いながらその考えを振り切っていると、イグノーがいいことを思いついたというようにポンッと手を叩いた。
「ほれ、その母親からの手紙に書いてあったっていう誕生パーティー? どうせならキースに頼んでみてやれよ」
「え?」
「貴族のパーティーならエスコートってのがいるんだろ? 」
「ええ、まあ。多分、そうですね。……でも」
クラリスは未だ社交に出たことがないが、知識だけは知っている。普通の貴族令嬢というものはパーティーに一人では参加しないものだ。
しかしクラリスが言いたいことはそれだけではない。パーティーに出席できないというのはそもそも着ていくためのドレスがないという理由だった。
恥ずかしながらもそれを説明すると、あっけらかんとイグノーは言ってのけた。
「そんなもん、キースに買わせりゃいいだろうよ」
(ダメに決まっているじゃないですか!)
どうしてクラリスの祖母のためのパーティーに着ていくドレスをキースにお願いしなければならないのか。たとえエスコートをお願いしたとしても、それはさすがにずうずうしすぎる。
「いくらキース様が私に対して責任を感じてくださるとは言っても、そこまでさせてしまうのは違う気がします」
それではキースの責任感の上にあぐらをかいて座っているのも同然だ。ただでさえキースには騎士団で世話になる時にもいろいろと面倒をかけてしまった。
だからこそはっきりと伝えたのだが、イグノーは持ち前の陽気さで全く動じない。
「あいつの責任ってのはもうとっくに一つ上の段階にいってる気がすんだけどな」
イグノーのその言葉の意味がよくわからなくて首を捻る。
「……あの、それって……?」
「とにかく頼んでみろよ。可愛く、エスコートとドレスをお願いしますって。嬢ちゃんが頼めば喜んで買ってくれると思うぜ。な、言ってみろよ」
(可愛くなんて、無理です、無理。……私みたいなものが可愛くなんてずうずうしすぎです)
そうしてクラリスの肩をポンッと叩いた。イグノーからすれば本当に軽く叩いたのだろうが、あまりの手の大きさと力強さに驚き前のめりにつんのめってしまった。
「あっ」
「きゃっ」
イグノーと同時に声を出した。その瞬間、がっちりとした腕が差し出されてクラリスの腰をしっかりと支えた。
「大丈夫でしょうか、クラリス嬢?」
「キース様、あ、ありがとうございます」
キースの腕の中にクラリスがすっぽりと入っている。倒れそうになったところを助けてもらい感謝をする。が、お礼を言ってもキースはなかなかクラリスから離れてくれようとはしない。背中から感じるどこか怒っているようなキースの気配になんとも落ち着かない気持ちになる。
「あの、キース様……」
「はい、何でしょうか」
気がついているのかいないのか、それともわざとなのか、クラリスにはどうにも判別できない。イグノーへと顔を向けてどうにかしてほしいと視線でお願いした。
すると、「ん゛、んんっ」と咳払いを一つした後で「おいおい」とキースに声をかけてくれた。少しだけにやつきながら。
「キース、ちょっと離れてやれや。そうじゃねえと嬢ちゃんもお前に頼み事もできやしねえ」
「ちょっと、イグノーさん……」
そんなこと言っていません。と続けようとしたところ、くるりと体が回転した。そうしてキースと向き合う形になったかと思うと、さりげなく右手を取られた。
そして手の甲へと軽くキースの唇が触れる。
「キッ、キース様っ!」
「クラリス嬢のお願いならどんなことでも叶えます。どうか、自分へ教えていただけますか?」
今までに見たことのないような微笑みに、クラリスの胸がドクンと音を立てた。無表情でいても美しく端整な顔立ちのキースが花のような笑顔を見せるだなんて思いもよらなかった。
しかもとんでもなく破壊力のある笑顔に、クラリスの『キースにこれ以上迷惑をかけない』という固めた意志はあっけなく瓦解してしまった。
「それで、自分は何をしたらよいのでしょうか?」
キラキラと眩しいくらいのキースの笑顔で迎撃する押しに押し負けたクラリスは、重たい口を開かずにはいられなかった。