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第65話 毒虫

「ねえ、モーラ。熱も随分ひいたみたいだから、そろそろ私も動いた方がいいと思うのだけれど」

 クラリスがフランクの葬儀の後で熱を出してから七日。最初の三日間は高熱で嫌な夢を見て随分とうなされていたが、そこから徐々に熱も下がり体のだるさもなくなってきた。

 ベッドの上で食事が取れるようになるとすぐにクラリスは起き上がろうとしたのだが、それをずっとモーラに止められている。

 初めのうちはレジエンダ公爵家の皆に風邪をうつしてもいけないからと、モーラの言うことを聞き、その場はおとなしくベッドに戻った。

 しかしそこから四日。いまだ部屋を出る許可だけでなくベッドから下りる許可すらもらえず、クラリスは悶々とした気持ちで一日を過ごしていた。

「いいえ。まだまだ油断は禁物ですわ、クラリスお嬢様。三日間も高熱を出して寝ついておられたのです。体調が整うまでもう少しゆっくりとお休みください」

「でも、もう四日もベッドの上にいたままでは……。ただでさえお邪魔している身なのに、淑女教育も休んだままだなんて、ミュリエーラ様に申し訳が立ちません」

「そんなことございません。奥様も若奥様も、クラリス様の体調が戻ればまたびしびしと鍛え上げてくださいます。ですからそのためにも今はゆっくりと英気を養っておかれた方がよろしいですよ」

 モーラはそう言うが、クラリスからするとミュリエーラとアリシアの淑女教育はビシバシというよりもキャッキャウフフと笑みがこぼれるほどに楽しいものだ。

 むしろ元気になってきたからこそ英気を養うためにミュリエーラたちと会話がしたい。

 そうでなくても恋人であるキースとは熱を出す少し前から一度も会えていないのだ。いや、高熱でうなされている間の夜、キースが部屋でクラリスの看病をしてくれたという話をモーラから聞かされてはいたが、クラリスに意識がなかったのだから会っていないも同然だろう。

 モーラは申し分ないほど優しく丁寧に接してくれているが、クラリスはそれだけでは足りないと思ってしまう。

 ルバック伯爵家では家族の中でも疎外感を感じ、一人でいることに慣れきっていたクラリスだったけれども、今のようにキースやレジエンダ公爵家の人々、それから騎士団や獣師団の人たちに囲まれているうちにだんだんと心が贅沢になってきたようだ。

「ただ、私が寂しいので……」

 クラリスの言葉に、モーラが少し困ったように笑う。

「そうですね。お気持ちはわかります。ただ、今は少し……」

(今は? 何か都合が悪いことがあるのかしら?)

 気になったクラリスが尋ねようとしたところ、カーテンを開けようとしていたモーラが窓の外を見て一瞬眉間に皺を寄せた。

 だがすぐにいつもの笑顔に戻り、カーテンを閉め直す。

「今日も陽ざしが強いようですね。さあ、クラリスお嬢様。もう少しお休みになってくださいませ。午後になって奥様にお時間を取っていただけるようでしたら、今日はこちらでお茶の用意をいたしましょう」

 さ、さ。と、ミュリエーラとのお茶をちらつかせてもう一度ベッドに戻るようにうながされた。

 こうなってしまえば言うことを聞かないわけにはいかない。

 若干疑問は残るものの最後にはモーラに押しきられてしまい、クラリスは再びベッドの中で休むことになった。


 モーラは午後になると約束通り、ミュリエーラをクラリスの部屋へと連れてきてくれた。

「お久しぶりです、ミュリエーラ様。わざわざ部屋に来ていただきありがとうございます」

「クラリス、体調は落ち着いたようね。よろしかったわ」

「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。本当に皆様にはご迷惑をおかけして……」

「ほほほ。キースなんて連絡をしたら転がるように邸へ飛んで帰ってきたのよ。あの子のあんな姿は初めて見たわ。クラリスにも見せてあげたかったくらい」

 それ以上は謝らなくていいと言うように、パチリとウインクをするミュリエーラ。宝石の花と呼ばれるほど高貴な公爵夫人だが、本当にお茶目な仕草が似合う。

 モーラのセッティングしてくれたテーブルに着くと、さっそくお茶が運ばれてきた。

 七日ぶりに寝間着から部屋着へと着替えることができたクラリスは、久しぶりに見るミュリエーラの煌びやかな姿に、ほおっと息を吐く。

(……あら、でも。なんだかいつもよりももっとキラキラとしているような?)

 首を傾げるクラリスの頭の中を読んだように、ミュリエーラはイヤリングに指を当てる。

 指で動かす度に大粒のルビーとそれを取り囲むダイヤの飾りがキラキラと光を反射する。首に着けられた揃いのネックレスも、いつも以上に指に着けたリングも、どれもこれも大げさなほどミュリエーラを飾り立てていた。

 ミュリエーラが社交場でどれだけ飾り立てているのかは知らないが、普段邸にいる間はもう少し控えめなアクセサリーを好むはずだ。勿論どんなアクセサリーでもミュリエーラは似合うし着こなしてしまうのだが、なんだかいつもの彼女とは何かが違うような気がした。

「気がついた? ちょっとね。これを見せびらかしているの」

「え? 私に、ですか? でもどんなものでもミュリエーラ様の美しさには敵いませんし、アクセサリーだけに目がいくということはありませんが」

 素直に気持ちを伝えると、ミュリエーラだけでなくモーラまでが笑いをこらえるのに必死だというように顔を背ける。

「あの、ミュリエーラ様?」

「ああ、ごめんなさいね。そうよね、あなたはそういうだものね。いいのよ、ずっとそのままでいらっしゃいな」

「あ、はい……」

 言っている意味がわからなくて困惑する。そんなクラリスの側によると、肩に手を置きミュリエーラは厳しい視線を外に向けて言った。

「しばらくの間はうるさいと感じることもあるでしょうけれども鷹揚な態度でいらっしゃい。それも淑女としての大事な経験でしてよ」

「それはいったい……」

「ふふ。羽虫がね、一匹入り込んできたのよ。しかも毒持ちの」

「ええっ、大丈夫なのですか?」

 いきなり毒虫と言われて驚くクラリス。それならば自分が魔法薬を作って皆に配った方がよいだろうかと思い椅子から立ち上がろうとした。それをミュリエーラがそっと押さえる。

「言ったでしょう? 慌てないこと。でも大丈夫よ、うちの邸の者はあいにくとその手の毒にはとても強いの。だからね、クラリスも気持ちを強く持ちなさいな」

 ミュリエーラの言葉にクラリスはよくわからずに頷く。

(毒虫に気持ちを強く持てと言われても……でも、ミュリエーラ様が言うことだからきっと意味があるのよね)

「はい、わかりました」

 クラリスの返事に満足したミュリエーラは、にっこりと笑うと「では、明日の昼食からは一緒に食事を取ることにしましょう」と言った。

 ようやくミュリエーラのお許しが出たクラリスはそれ以上ミュリエーラの言葉を深く考えることなくその日を過ごした。

 そして、次の日の昼に大きく驚くこととなる。


「クラリスお姉様、ようやく会えたわ……!」

「……っ、ビアンカ! あなた、どうしてここに⁉」

 午後の食堂、レジエンダ公爵家の面々が揃う中に、クラリスの妹ビアンカが一人、当然のような顔をして混じっていたのを見つけた。


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