(なっ、……なんで? どうしてビアンカがレジエンダ公爵邸にいるの?)
クラリスは驚きのあまり扉の前で立ちすくむ。まるで蛇に睨まれた蛙のように、ビアンカの変わらない微笑みが怖くて仕方がないと感じていた。
そんなクラリスにミュリエーラが優しく声をかける。
「クラリス、妹さんは毎日こうやってあなたのお見舞いにいらしたのよ。ずっと体調が悪いからと玄関までで断っていたのだけれど、あまりにも熱心に様子を見にくるものだから、そろそろと思ってね。昼食にご招待させていただいたわ」
「そ、そうなのですね。……ミュリエーラ様、申し訳ありませんでした」
ミュリエーラがずっと断っていたと言うのならば、きっとビアンカはそれにもかかわらず何度も懲りずにレジエンダ公爵邸へとやって来ていたのだろう。きちんと手紙で様子を窺うようなこともせずに。
クラリスがビアンカに代わり彼女の不義理を謝罪するも、全く気にも留めず食堂の中を見回している。そして豪奢な飾りや調度品を見つける度に目を奪われキラキラと輝かせていた。
「ねえ、お姉様。さすがはレジエンダ公爵家ね。こんなにも素晴らしいお屋敷で、私本当にびっくりしたわ。それに……」
食堂内の値踏みに満足したビアンカがようやくクラリスの方へしっかりと顔を向ける。そしてクラリスの着ているドレスの上から下までをじっくりと舐めるように見定めた。
「お姉様のドレスも、とても綺麗……」
「あ、ありがとう……ビアンカ」
褒め言葉を聞いているはずなのに、なぜか背筋に怖気が走る。
これは、そう。ビアンカがキースのことを譲れと言った、あの時と同じだとクラリスは思い立った。
「どこのドレスかしら? 私もそんなドレスが欲しかったの」
食い気味に席から身を乗り出し尋ねるビアンカに、クラリスはたしなめるように声をかけた。
「ビアンカ。食事の席だから、ね」
「ええー……。まあいいわ。後でもう少しちゃんと見せてちょうだい」
まだまだ言い足りないという様子だったが、さすがにビアンカもここでは空気を読んだようにおとなしく座り直した。
無邪気な笑顔でクラリスのものを全部欲しがるビアンカ。
あの時キースには歯牙にも引っかけられないほどあっさりと振られたが、キースがレジエンダ公爵家の養子だと知った今、再び彼に狙いを定めてきたのだろうか。
クラリスはなんともいえない嫌な気持ちを抱えながら食堂の席に着いた。
昼食の席にはレジエンダ公爵が留守のため、公爵家夫人のミュリエーラが上座に座り、その隣にクラリスが座るようにうながされた。
ミュリエーラの向かいには小公爵であるテイラー、アリシアの順に座り、ビアンカはその隣の席に座っている。末席に一人座らされたビアンカは不満そうな表情をしていたが、ビアンカが正面にこないだけでもクラリスは少しだけホッとした。
いつものレジエンダ公爵家の食卓はミュリエーラが話題を振り、皆がそれに答える形で和やかに進んでいく。
がしかし、今日はどうやら勝手が少し違っていた。
ミュリエーラがクラリスへ話題を振りだすとビアンカが横から答え、自分の話へとすり替えてしまう。それが何度も続くとアリシアは能面のような無表情になり、テイラーは苦笑いが増えだした。
ミュリエーラは言葉こそ減らないものの、目は笑っておらず妙な空気が漂う。そんな中でもビアンカはずっと自分のことだけを持ち上げている。もうクラリスも冷や汗ものだ。
しかもその不調法もクラリス相手だけならばまだスルーできたが、さすがにビアンカがテイラーの言葉を遮った時には黙っていられなかった。
「ビアンカ、いい加減になさい。小公爵様に失礼でしょう」
「え、でも……。家族の食卓でそんな、格式張らなくてもいいのでは?」
ビアンカのその言葉に空気がビリッと音を立てたような気がした。
この場にいるレジエンダ公爵家の家族はミュリエーラとテイラー、アリシアの三人だけでありクラリスは居候にすぎない。そしてビアンカにいたっては居候の客でしかないのだ。
そのビアンカが家族の食卓などと言える立場ではないことなど明白なのだが、これはどういう意味を含んでいるのか。何を狙っているのか。
嫌になるほどビアンカの思惑がわかってしまう。
(ビアンカは本気で私にとって代わりたいのね……)
クラリスは大きくため息を吐いた。ミュリエーラには淑女らしい態度ではないと叱責されるかもしれないが我慢できなかった。
「ビアンカ、あなた……」
思わず声を荒げる寸前で、食卓の扉が開いた音に意識を取られた。
「ちょうど良かった。まだ食事中でしたか。僕も仲間に入れてもらっても?」
キースの兄であり、魔法道具の研究者アシュリーが扉を開けるなり、カツカツと大きな足音を立てて入ってきた。
「アシュリー。来るのならば連絡を入れなさい」
「すみません。急に時間が空いたものですから……おや? 君は?」
アシュリーがクラリスの隣の椅子の背に手をかけたところで正面に座るビアンカに気がついたように声をかける。
黒いローブ。輝くような金髪を一つにまとめている美しいアシュリーの姿に見蕩れていたビアンカは、その言葉にハッと気がついたように席から立ち上がり挨拶をする。
「はじめまして。私、クラリスお姉様の妹です。ビアンカ・ルバックと申します」
ドレスの裾を持ち上げてアシュリーに向かい今日一番の笑顔を向けた。
「ああ、クラリス嬢の。僕はアシュリー・レジエンダ。ここの次男ですが普段は他で過ごしています」
「独身貴族を気どって、ふらふらと遊んでいるだけよね」
「母上……こうみえて王宮の筆頭魔法道具研究者ですよ」
アシュリーとミュリエーラの会話を聞き。ビアンカの目がキラリと輝いた。さっそく甘えた声で持ち上げる。
「魔法道具の研究をなさっているのですか? 筆頭なんて、凄い!」
「まあね」
「私、あまり魔法道具のことを知らないので、ぜひ教えていただきたいなあ」
ビアンカの甘ったるい声に、クラリスの首筋がぞわっと粟立った。おそらくだが無意識のうちにビアンカはまた魅了魔法を発動しているようだ。
「そう? じゃあ、後で見せてあげようか」
「本当ですか⁉ 嬉しい!」
テーブルに乗り上がるんじゃないかと思うくらい食い気味に返事をするビアンカに、満更そうでもなさそうに答えるアシュリーの姿には少し驚かされた。
(魅了魔法は術者よりも魔力が高いものにはかかりにくいと教えてもらったのに、どういうことかしら? もしかしてアシュリー様がビアンカに好意を持っているということ?)
もしもそうならばアシュリーをどうやって止めればいいのか。どう考えてもビアンカはこの場にいないキースからアシュリーにターゲットを変更したように思える。
キャッキャとはしゃぐビアンカと、優しく相手をするアシュリーを眺めていると、隣の席のミュリエーラの扇子がバッと開かれた。
扇子の横から見えたミュリエーラの口角が上がっている。クラリスは思わず目を丸くしていた。
そんなクラリスの視線に気がついたミュリエーラはにっこりと笑って小さく口元を動かす。
——慌てないこと。
そういえばと前日にもそう言われたことを思い出す。
(もしかして、あの時ミュリエーラ様がおっしゃっていた毒とはビアンカの魅了魔法のことなの? ならば毒虫というのは、ビアンカ……?)
ミュリエーラたちが魅了魔法のことをわかっていてしていることならばあまりクラリスがカリカリと気にしすぎない方がいいのかもしれない。
ひとまずビアンカのことはアシュリーに任せてクラリスはできるだけ成り行きを見守ることにした。