自分の提案が当然受け止められると信じていたビアンカ。にっこりと笑い、皆の返事を待っていたがなかなか賛同の声が上がらない。
ビアンカが不思議に思い周りを見回すと、誰も彼もがしらけたような冷たい視線をビアンカへ向けていた。
「……あの、皆さん。そう思いませんか?」
頬に握った手を置き、首をこてんと傾けながら、どうしたのかと尋ねてみたが皆何も答えてはくれない。唯一、姉であるクラリスだけが静かに口を開いた。
「ビアンカ、もうやめなさい。あなたの魅了魔法は何も効果はないの」
「はぁ?」
ビアンカにとっては思いもかけないことなのだろう。口を開き、眉を寄せるその表情は今までクラリスが見たこともないようなビアンカの姿だった。
「そんなはずはないわ! だって、ルバック領に来た騎士団員はちゃんと私のお願いを聞いてくれたし、リバリュー子爵家の人たちだって、ちゃんと……それは、お祖母様には効かなかったけれどもそれは、お祖母様が私のことが嫌いだから、近くにも寄れなかったから……」
「わかっているわ。魅了魔法を自分の意志で使えるようになったのでしょう? 昼食時にも感じたの。でも、あなたよりもずっと魔力が高いレジエンダ公爵家の方々にはあなたの魅了は通用しないと言っているのよ」
クラリスが噛んで含めるように説明するが、ビアンカは全く聞き入れようとしない。それどころかアシュリーへと擦り寄った。
ヨヨヨ、とふらつき、上目遣いですがりつくビアンカは、誰が見ても無垢で純真な少女そのものだ。
おそらく今までそうやってきたのだろうというほどの甘い声でアシュリーへと語りかける。
「アシュリー様は私の言うことをわかってくださるでしょう? だって、だってお優しいアシュリー様は、さっきもずっと私のお話を聞いてくれたし。それにこんな素敵な魔法道具までプレゼントしてくださったじゃない、ねえ」
首にかかった鳥籠のネックレスを握りしめ、涙目になりながら訴えるビアンカ。その姿に、クラリスは首筋に今日一番の怖気を感じた。
「ビアンカ……!」
諦めの悪いビアンカは、アシュリーに対して自分ができる最大の魔法をかけに出たらしい。クラリスが慌ててビアンカを止めようとしたところ、アシュリーの手がそれを制した。
そして、クラリスには今まで見せたことがない、人を嘲るような意地の悪い笑顔をビアンカに向けて言った。
「あのさ、玩具のようなものだって言ったよね。僕って優しいから、どんな子どもでも相手をするようにしているから——それがたとえ、わがままで言うことを聞かない問題児でもさあ」
子ども扱いされたビアンカは、真っ赤になってアシュリーの手を離す。
恋愛対象でもなく、子ども。しかも問題児扱いされたことはビアンカには到底許しがたいことなのだろう。
さっきまでの可哀想で可憐な姿が嘘のように眉が上がり、クラリスたちをキッと睨みつける。
「こ、子どもですって⁉ 私のことをそんなふうに言うだなんて……」
「あら、何も間違ってはいないでしょう。悪いけれどもあなた、うちのサイラスよりもわがままよ」
サイラスを抱っこしながらいつもの天然っぷりで一刀両断するアリシア。その腕で無邪気に笑うサイラスが癇にさわったのか、突然ビアンカが地団駄を踏み出した。
「ふざけないで、ふざけないで! この私が、子どもだなんて……嘘よ、嘘。皆私のことを可愛いって、愛しているって言うのに? あんたたち全員おかしいわよ……!」
キーキーと甲高い音を出して喚く姿は本当に手に負えない小さな子どものようだ。
社交デビューを控える年齢の伯爵令嬢がわがまま三昧で他家にきて騒いでおいて、おかしいのは自分でなくて他人の方だと全てを責任転嫁するようになってしまったのは、やはりクラリスたちの家族が歪だったせいなのだろう。
(私が、ちゃんとビアンカや家族と向き合っていれば……)
口酸っぱいと言われても、嫌われても。ビアンカの都合のいい姉ではなく、ダメなことも全部教えてあげられる姉でいられたのなら。
クラリスはビアンカの今の姿を見てつくづく痛感した。
「……ビアンカ、もうやめましょう」
「何よ……急にいい子ぶっちゃって。元はと言えばお姉様が悪いのよ。お姉様さえちゃんとしていれば、フランクだって嫌がって婚約を破棄しなかったし、あんなことにはならなかったわ」
「ビアンカ、駄々をこねるだけではダメなの。だから私たち、もう一度最初からやり直しましょう。今度こそ普通の姉妹として、話し合いましょう」
クラリスの言葉に、ビアンカはハッと鼻で笑う。
「話し合うことなんてないわ。お姉様が私の言うことを全部聞けばいいことなのに、何を話し合おうって言うの。バカじゃない?」
——家族の誰にも愛されない、欠片も目に入れてもらえない、透明人間みたいな可哀想なお姉様。
鼻に皺を寄せてフーフーと息を吐きながら言い捨てるビアンカを見ていると、クラリスはなぜかとても彼女が可哀想になってきた。
確かに実の家族は最後までクラリスを愛してくれることはなかった。
けれどもキースや、彼の家族、そして少しの間でも一緒に過ごしてきた騎士団や獣師団の皆はクラリスのことを尊重し、大事にしてくれていることを知っている。
今のクラリスは誰にも愛されない可哀想な娘ではない。
むしろ目の前で喚いているビアンカの方がそう見えて仕方がなかった。
「それなのに自分ばかり公爵家に入り込んで綺麗なドレスを着て、豪華な生活をして、何様よ。家がおかしくなったのだって、全部お姉様のせいなんだから!」
何かが切れてしまったかのようにビアンカが喚くと同時にクラリスへと掴みかかろうと飛びかかった。
ビアンカの華奢で小さな体のどこにそんな力がと思うほど、いきなりすぎて一瞬動くのが遅れた。
(ぶつかる……!)
そう思った瞬間、サッと横切る銀色の塊にビアンカが弾き飛ばされた。
「痛ぁいっ! 何よ、ちょっと……やだ、ひぃっ!」
ドスンという音と共にビアンカが転がり、その上にはキースの〝狼〟がのしかかっていた。唸る〝狼〟を怖れて必死にずりばいで逃げるビアンカ。〝狼〟はビアンカが離れるとすぐにクラリスの横に立ち、「ヴゥ」と威嚇する。
「ありがとう……。キース様」
名前のない〝狼〟の代わりにキースの名を呼ぶと、なぜかその〝狼〟が笑ったキースの顔のように見えた。
(え? なに……)
そう思ったのと同時に〝狼〟の姿が消え、銀色の光を纏ったキースが突然その場に現れた。
「……キース、様?」
「お怪我はありませんか、クラリス?」
確かにキースの手が、クラリスの手を握っている。驚きのあまり声も出ないクラリスの代わりに、アシュリーが大きな声をキースに向けた。
「うわっ! なに、キース。もう瞬間移動魔法が使えるようになったの⁉ 早すぎない?」
「昨日アシュリー
「いや、そうじゃなくって、魔法の習得とかさあ……。まあ、キースだからねえ」
両手のひらを上にあげてアシュリーが、まあいいやと呟いた。
(しゅ、瞬間移動魔法って、あの……アシュリー様が言っていた、特別な? しかも王家との契約をしないといけないと言っていた? キース様、いつの間に……)
呆気に取られるクラリスの表情を読んだのか、キースがこっそりとクラリスの耳元で囁く。
「もう、仕事に追われてクラリスの大事に駆けつけられないことだけはしたくないんです」
「キース様……」
「会いたかったです。狂おしいほど、貴女に」
「私も、会いたかったです」
クラリスの答えも待たずにキースはぎゅっと彼女を抱きしめる。
キースの肩越しに、肩を震わせるビアンカの姿が見えた。ビアンカは土ぼこりにまみれたドレスの裾を握りしめながら言葉にならない何かを叫ぶと、ぎろりとクラリスを睨みつけて温室を飛び出していった。