キースからのプロポーズを受けたクラリスは、ミュリエーラたちの気の早い後押しも素直に受け取ることができるようになった。
マダム・ローズリーからの「おめでとうございます。王都一美しい花嫁になれるようお手伝いをさえていただきますわ」というお祝いの言葉にも、照れながらも応える。
ミュリエーラやアリシアたちと一緒になり、クラリスに一番よく似合うドレスやアクセサリーを考えてあれやこれやと話をしているうちに、なんとか時間をもぎ取ったキースが瞬間移動で飛んできてクラリスと揃いになるような正装もお願いした。
そこにアシュリーやテイラーまでもが参加をしだすと、レジエンダ公爵家の応接室はまるでどこかの洋裁店のように布、宝石やスケッチであふれかえり、クラリスのためのドレス選びは、とても賑やかで楽しいひとときとなった。
しかし、レジエンダ公爵家側がキースとクラリスの結婚を承諾したからといって、二人がこのままなんの障害なく結婚できるわけではない。
たとえ家族から一度は見捨てられたとはいえ、クラリスが伯爵令嬢であり家長であるルバック伯爵の庇護下にあるべき立場なのは変えることのない事実だ。
今はルバック伯爵家がどんな状況になっているのか詳しくはわからないが、ビアンカがレジエンダ公爵家に執着しだしたことを考えれば、父親がクラリスの結婚にどういった対応をしてくるのか全く予測もつかない。
そうなると、やはり以前に母方の祖母、サンドラが言っていたようにリバリュー子爵家の養女となり、そこから嫁ぐという形を取った方がいいのかもしれないとクラリスは考え始める。
一通りの話がすみ、マダム・ローズリーたちがサロンへと戻ってしまうと、クラリスはキースへ自分の考えていることを口にした。
「キース様、私一度お祖母様と話をしに、リバリュー子爵家へお邪魔しに行きたいと思うのですが」
「……話、とは?」
「はい。養女にならないか、というお話をもう少し詳しく聞かせていただこうと」
「どうしても、ですか? なにもリバリュー子爵夫人に頼まなくても……」
キースはサンドラの名前が出たことで、クラリスが言いたいことがすぐにわかった。
けれども初対面の時からいい印象のないサンドラのことは正直好きではないため、どうにもクラリスの話に賛成したいとは思えない。
「自分はクラリスさえ側にいてくれるのならば貴族籍にこだわることはないのですが……もしクラリスがよければ他の貴族を紹介することもできます。アリシア義姉さんの実家ドリスタン侯爵家やダイムのメイジー伯爵家ならば引き受けてくれるでしょう」
クラリスはキースの提案に静かに首を振る。
おそらくキースの言うとおり、レジエンダ公爵家から請われればクラリスを養女にしてくれる家はいくつもあるだろう。
けれどもそこまでキースたちに頼り過ぎてはいけない気がした。あくまでも今のクラリスはルバック伯爵家の娘であって、レジエンダ公爵家の家族ではない。
「それに、お祖母様相手ならばお父様やお母様へも無下にはできないでしょうから」
それでもまだキースはクラリスの言うことに納得できないといった様子だ。
「しかし、たしか今リバリュー子爵家には……彼女が滞在しているはずでは?」
ビアンカの名前すら呼びたがらないキース。そんなキースの子どもっぽいような態度に、クラリスは苦笑いする。
「そうですね。でも大丈夫です」
「本当に?」
「はい。それに、今回の件に関しては、私が自分でなんとかしなければダメなんです。これ以上家族に引け目を感じないように。それに、キース様に迷惑をかけないように、私も強くならなくては」
「迷惑なんて……そんなことは絶対にあり得ません。それに、クラリスは十分強いです」
キースならそう言ってくれると思った。けれども、クラリスにもこれだけは引くことができない。
「とにかく、まずは私に任せていただけますか? 自分であの人たちと決別できる力がついたのだと実感したいのです。でも……」
「でも?」
「それでもどうにかできなかったら、今度こそはキース様に頼らせてください。いいですか?」
クラリスの明るく吹っ切ったような声に、キースは頷く。
「わかりました。その時は遠慮しないでくださいね。もしも満足いく結果にならなかったのなら、二人で駆け落ちというのもありですから」
「そ、それはさすがに突飛すぎます! ……あの、私は、ちゃんとキース様と皆様と家族になりたいのです」
駆け落ちという言葉にクラリスは一瞬青なったが、キースの目が笑っているのを見てからかわれたのだと頬を赤らめる。
「ありがとうございます。自分もクラリスと同じ気持ちです」
笑ったままキースがクラリスの髪に触れる。
「約束してください。何かあれば必ず自分を呼ぶ、と。そうすれば必ず貴女の元へ飛んで行きます」
「はい、約束します。キース様」
はっきりとした約束をしたクラリスに満足したキースは、軽く触れるだけのキスをして騎士団へと戻っていった。
それからクラリスはすぐにリバリュー子爵夫人であるサンドラへと訪問伺いの手紙を書いた。ミュリエーラからの淑女教育を生かし、便せんの選択や文章に気をつかうのは当然のこと、香り、手紙に添える小さなブーケ、封蠟の色まで全て手抜かりのないように気をつけた。
サンドラから『三日後の午後に』との返事をもらうと、早速訪問時の土産を手配し、ドレスを選ぶ。
ルバック伯爵家の令嬢として品位を損ねないもの、背伸びしすぎないもの。時と場合、話に合わせるべく考え抜いた装いでリバリュー子爵家へと向かう準備をしてその日を待った。
たった一つ予定と違ったことといえば、リバリュー子爵家へ向かうための馬車に寄り添う護衛だろう。
そこにはいつものレジエンダ公爵家の護衛ではなく、キースの友人であり獣師団長でもある、虎獣人のイグノーがクラリスの護衛として付いてきていた。
本当は護衛としてだけでもキースが付いてきたかったようだが、絶対に抜け出せない会議が王宮であるための苦肉の策だという。
顔の鼻をすっぽりと覆う黒い皮のマスクを着けたイグノーは、獣人の中でも一際圧が強い。しかしその強面とは裏腹に、思いやりがあり温かい人柄だ。
リバリュー子爵家に到着し、馬車から下りるクラリスへイグノーが手を差し出した。
「悪ぃな。俺もこんななりで出張るのも何かと思ったんだが、キースにあれだけ下手に頼まれちまえばなあ」
その言葉に、いったいキースはどんなふうに頼み込んだのかが気になってしまう。
「お手数かけて申し訳ありません、イグノーさん」
「いやいや、まあ前の事件の後片付けもすまないうちに、アレだろう。キースが心配するのもわからんでもない。……あと、ちっとばかり俺も嬢ちゃんにまた聞きたいことができたしな」
当然イグノーが聞きたいことといえば〝デプラ〟関係のことだろう。
「私にわかることであれば何でもお話しします」
「おう。じゃあ、今からはちっと真面目モードで仕事をするか」
そう言うとイグノーはクラリスの一歩後ろに立ち、背筋をビシッと伸ばして制服の襟を正すと、大柄な体をさらに大きくして歩き出した。