ミスリル王国には八王国十二大公国を頂点とした枢軸国において、非常に稀な記録が残っている。
それは、建国以来自国を侵されたことがなかったこと。
天然の要害にして要塞とも言うべき
もう一つが、現在の国境であるルーエル・ラインに確定して以来、一度たりとも内乱が起きたことがなかった。
初代国王であるルーエル王は誰もが認める名君であり、民を守るために天然の要塞である航行不可能領域に沿って国を作り上げた。
内乱を起こそうにも彼の率いる軍は強く、反乱を起こしても勝ち目があるとは思わせなかった。
同時に諸侯たちとの対話を忘れず、彼らの牙を削いでいくことで、ミスリル王国は平穏と安寧を手に入れることができたのである。
だが、その平穏と安寧がまともに続いたのはルーエル王の孫の代までの話だ。
それ以降は、諸侯たちとのなれ合いが続く形となり、国家としての
そして、アレックス王の治世となった今、ミスリル王国は建国以来初の内乱を迎えることとなる。
エフタル公が四千隻の艦隊を率いて、ミドルアース星域にて決起したためである。
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「同志諸君、ついに時は来た」
マイクを手にしながら、エフタル家の嫡男であるエフタル・ソル・レスタルはらしくもない熱意を持って全軍に向けて演説を始めていた。
「ミスリル王家は我が妹であるアイリスとの婚約を一方的に破棄した。しかもこれはただの婚約破棄ではない」
通信をつないでいる全員が黙ってうなずいていた。
「この婚約はわが父エフタル・ソル・サリエル元帥とともに国軍と王家の結び付きを強化し、ミスリル王国を守るための婚約であった」
政略結婚であることは全員が承知していることだ。
軍事の頂点に立つエフタル家の娘が国王に嫁ぐということは、そのまま国軍という剣を自在に振るうための行為に他ならない。
「にもかかわらず、アレックス王はヴァンデル伯の娘と不貞を行っていた。それを誤魔化すために妹との婚約を破棄し、開き直って真実の愛と公言している。これは許されるべきことであろうか?」
誰もが憤慨している中で、サラムやイラムらアイリスの兄たちはやや冷静になりつつも、怒りを静かに戦意に変え、自らの旗艦に座上している。
「口さがない諸侯には国王の寵愛を受けられなかった我が妹、アイリスを責める者までいる。そこで諸君に問いたい。婚約者がいながら不貞を行う国王と、その国王を補佐しながら不貞をされた婚約者、果たしてどちらがおかしいのか? 誰が間違っているのか?」
レスタルの演説に兵士たちが高揚と激高の間で、大声で叫び始めていく。
「国王がおかしい!」
「アイリス様を非難する方がおかしい!」
「婚約者がいながら裏切っておいて何が真実の愛だ!」
「俺たちを馬鹿にしているのか!」
兵士たちだけではなく、彼らを指揮する将校やそれを束ねる指揮官たちもその怒りに呑まれていく。
明らかにおかしいのは国王であるアレックスであり、間違っているのもアレックスのはずである。
それにも関わらず、アイリスは一方的に婚約破棄をされ、しまいには口さがない諸侯たちから嘲笑までされている。
多くの軍人たちに慕われているエフタル家を侮蔑することは、逆に言えば軍人たちまで敵に回すに等しい行為なのだから。
「我々は国家のため、軍務に励みこの国のために尽くしてきた。諸君らの中には父や兄、弟をそれらの戦いで失った者もいるだろう。それでも今日まで我々が国家に忠節を尽くしてきたのは、その忠誠に報いてくれたため。そして、この王国を愛してきたからに他ならない」
ミスリル王国において、軍人の地位は決して高いとは言えなかった。
ルーエル・ラインにより他国が攻めてきても容易く撃退できたからだが、連合との対立が始まっていく中で、ミスリル王国はこの戦いに参戦し、枢軸国の中での地位を保ち、友好関係を築いていた。
レスタルが言うように、決して見返りが多いとは言えないまでも忠誠に報いてくれたこと。
そして、皆がこの国に対する愛国心があったからに他ならない。
「ところが国王は不貞を行ったヴァンデル伯の娘を選び、我々を蔑んできた諸侯の代表であるディッセル候を重用した。こんな無道な主君のために、諸君らの父や兄弟たちは死んでいったというのか? それとも我が妹が不貞の果ての婚約破棄を叩きつけられる必要があったというのか?」
「国王は間違っている!」
「あんな暗君に仕えていられるか!」
「一番苦労してきた俺たちよりも、何もしない諸侯が優遇されるんだよ!」
兵士たちの不満は、全員の不満を代弁している。
この国では軍人たちは好きなようにこき使われ、諸侯たちだけが良い目を見るという不公平が堂々とまかり通っていたのであった。
「もちろん否である! ならば我々が果たすべきこととは何か? 我々が行わなければならないこととはこの理不尽にただ耐え続けていることではない。この理不尽を打破し、真っ当な治世とすることこそ、我々が実現しなければならないことだ」
アイリスの婚約破棄は、結局のところエフタル家、ひいては軍部を軽んじている王家と諸侯の総意によってなされた行為だ。
これが有力諸侯たちとの婚約であれば、アレックスが望んだとしてもできることではない。
王妃となる令嬢との婚約は簡単に破棄などできず、破棄しようにも誰かが止めに入る。
それがアイリスに限っては誰も諫めることなく、話が進んだ時点でアイリス自身と、エフタル家、そして軍部をないがしろにしているに等しい。
「この婚約破棄は我々に一つの道を示してくれた。現在の王とその諸侯らを打ち滅ぼさない限り、この圧制と歪みは正されないのである!」
どれほど奮戦しようが、奮闘しようが、結局は国王と諸侯たちが安穏とし、当然のように特権を得て何もしない現実は変わらない。
発言権を与えられても諸侯たちよりも格下とみなされ、あからさまに差別されるのがこのミスリル王国の姿なのだから。
「諸君らの怒りと悲しみを、奴らに叩きつけてやろうではないか! 我々がこのこの国を守ってきたからこそ、ミスリル王国が存続できた現実を奴らに教えてるのだ!」
しめくくりの言葉と共に将兵たちが賛意と共に、王家と諸侯への恨みつらみを連呼する中で、レスタルは父と共に旗艦の会議室へと向かった。
「さて、どうしましょうかね」
先ほどまで、毅然と演説をしていたレスタルだが、会議室では冷静ないつもの姿となった。
「なんだ、てっきり王家を打ち倒すつもりではなかったのか?」
「それは我々の願望ではありますが、現状の戦力では無理でしょう」
あれだけの演説をして将兵たちへの怒りと士気を上げたにも関わらず、レスタルは至って冷静なままであった。
「諸侯が束になって襲ってきても撃退する自身はありますが、宇宙艦隊が本格的に動けば俄作りの混成艦隊に過ぎない我々では太刀打ちできません」
軍務省にて、軍政を担当する軍務局長として辣腕をふるっていただけに、レスタルはミスリル王国宇宙艦隊の精強さを嫌というほど理解している。
それは所属していたサラムやイラム達も同じだ。
「手始めとして、ミドルアース星域を手中に収め、そこからはヴィラール星域へと進行というのが無難でしょうね」
「そうだな、それが今のところ最善だろう」
反乱を起こすことは決意したが、彼らの本当の目的は自分たちの手で王家を打倒することではない。
「我々ができることは、できるだけ国軍の兵力を分割させること。無理に勝つ必要性はありません」
「本命は、ロルバンディア大公にやってもらうというところだな」
すでにエフタル家の一同は、アウルスによって秘密裡に手を結んでいた。
アイリスとの婚約と共に、エフタル家の決起を経てミスリル王国に攻め入ることを約束していたのである。
「あの若者は、果たしてルーエル・ラインを突破できるだろうか?」
「方法は分かりませんが、あの大公ならばやってくれそうです」
根拠のないことを嫌うレスタルらしくないことに、エフタル公は苦笑した。
「お前の根拠はどこにあるんだ?」
「それは決まっていますよ父上」
真面目な顔をしているが、どこかレスタルには嬉しそうな雰囲気があった。
「アイリスが選んだ男です。何の策もなく攻めこむことはありますまい。根拠はこれで十分でしょう」
アレックスというどうしようもない男が元婚約者だったからか、覇者として名高く、政戦両略の天才でもあるアウルスが、レスタルにはようやく妹を任せられる男に出会ったかという安堵があった。
そして、あのアイリスが押し付けられたのではなく選んだ男であるならば、少なく見積もっても噂と同等の才幹と器量があるのは間違いない。
「お前もアイリスに甘いな。さっきよりもいい顔をしていたぞ」
「正直、二度とあんな演説はしたくはありませんな。これっきりにさせていただきます」
こうして、エフタル公率いる反乱軍はミドルアース星域に決起する。
後に