「殿下、艦隊の準備が整いました」
バレリス・ウル・ラートル参謀総長は、ミスリル王国侵攻の準備が整ったことを告げた。
「十個艦隊での侵攻作戦か。四年前を思い出すな」
「あの時よりも二個艦隊増えておりますし、諸提督や参謀達も皆優秀です。恐れるものは、何もありません」
勇ましさよりも慎重さを求めるマルケルス大将らしからぬ発言に、アウルスは思わず頬を緩める。
少壮の戦術家であり、艦隊運用の名人でもある彼がここまで言うのは、はっきりとした自信と根拠があるからだろう。
「後は我らがヘマをしない限りは大丈夫ということだな」
「どれほどの大軍を率いていても、少数の敵軍に返り討ちにされた例は少なくありません。それは慎重さに欠けていたからであり、同時に勇気が欠けていたからです」
マルケルスの言葉に、妻から闘将と呼ばれた大将を除き、宇宙艦隊司令長官と参謀総長は黙って頷いていた。
「慎重さに欠けると油断と隙を産み、勇気が欠けると勢いと大胆さが失われます。恐れがあるからこそ、慎重さと勇気が必要なのです」
「我らにそれがなければ、八個艦隊でこの国を制圧することは不可能であったな」
マクベス軍元帥、遠征軍司令官として、アウルスはロルバンディアに侵攻した。財政破綻寸前で、エルネストら無能な王族たちに振り回されていた旧ロルバンディア軍は鎧袖一触で粉砕され、易々とマクベス軍を国内へと侵入させてしまった。
その後、自分を振り回すマクベス王家にウンザリしたアウルスは、旧体制に振り回されたロルバンディアの民の為に、クラックスらの力を借りてロルバンディア大公として即位し、現在に至る。
「改めて、あの時の気持ちを忘れないようにした方がいいな。過信と増長は人を惑わし滅ぼす。エルネストらの愚を犯す必要はない」
成功体験は自信を付けるが、同時に過信と増長を生み出す。
故国を滅ぼした責任を取らず、ミスリル王国へと逃げた者を事例にあげて己の心を鎮めた。
「ところでケルトー、なぜお前はそんなに不満な顔をしている?」
大公に対してケルトーは子供のように不貞腐れていた。
「この度は、第一遊撃艦隊司令官職を頂きありがとうございます」
全く敬意が込められてない口ぶりに、ラートルは目頭を抑え、マルケルスは頭を抱える。
「なんだ、せっかくの大役をあげたというのに嬉しくないのか」
「ええ、大変名誉なことでございます。妻は両手を上げて喜んでくれて、子供達と共にわざわざ手料理を振る舞ってくれましたよ」
ケルトーを愛しているエリーゼのことだ、さぞかし
偉丈夫であるケルトーの目元に若干隈ができているのがその証拠だ。
「よかったじゃないか。何をそんなに不貞腐れている」
「正直、非才の身でありながら過分な役職を与えられてしまい、困惑しておりまして」
「非才の身か。私とて、自分が果たして臣民に相応しい大公であるか悩んでいるのだが、貴官も同じ悩みを抱いていたのだな」
些か、アウルスは意地が悪い顔をした。
ケルトーは艦隊司令官としては勇猛果敢に戦うが、それ以上の地位を望んでいない。
宇宙艦隊司令長官や参謀総長、そして軍務大臣は一般的に軍部の三長官と呼ばれ、名誉と実権共に有しており、強い権限を有している。
だが、出世欲と雑務を嫌うケルトーはこれ以上の出世を嫌っており、面倒であると公言して憚らない。
同時にケルトーは雑務を嫌っており、自分の仕事量を変に増やされる事を拒んでいた。
長い付き合いがあるアウルスは、ケルトーの思惑を看破していた。
「ですので、せっかく頂いた役職ではありますが辞退を……」
「ケルトー、お前まで私に無理難題を押し付ける気か?」
アウルスはらしくない、ややうんざりした顔を見せる。
割と独善的なアウルスだが、周囲の人間を気遣えるのが彼の良さである。
だが、今は気ごころ知れた彼らの前では素の自分を見せられる。
「実はな、アイリス嬢が今回の侵攻作戦に参加したいと申し出ている」
「え? 女性が戦場に出ると?」
意外な顔を見せるケルトーだが、枢軸国では軍事は男だけが従事している。
ごくごく稀に女王などが自ら軍を率いるが、それは本当に例外的なことである。
「彼女はこの戦いを最後まで見届けたいと言っていた。贅沢など言わぬので、私の旗艦に乗せてくれるだけでいいからとな」
「ですが、それは同時に……」
ケルトーが珍しく口ごもるが、最前線ではないが、それでも戦場に赴くことには変わりはないために危険を伴う。
「私とて、婚約した彼女を危険な場所へと連れて行きたくなどない」
「では、今からでも説得するべきでは?」
「説得してはいるのだがな……」
珍しく悩むアウルスの表情は決して芳しくない。
妻からアイリスは気丈な性格をしているために、時たまアウルスですら舌を巻くほど剛情なところがあるらしい。
「失礼いたします」
ノックと共に彼らの主君の婚約者となった、黒髪の公爵令嬢が入ってくる。
「殿下、お願いです。私も連れて行ってください」
「アイリス、君を危険な場所には連れて行きたくない」
「私の家族が戦っているのです! 私だけ安全な場所にいるわけにはいきません」
「だからこそ、君の御家族は私に託してくれたのではないのか? 私には君の安全を保障する義務と責任がある。分かってくれ」
アウルス相手にここまで食って掛かるのはかなり珍しい光景だが、アウルスは無論のこと、アイリスの言ってることも決して間違っていない。
戦場に連れて行きたくないというのは当然の心理だが、家族が戦っている中で自分だけ安全な場所にいたくないというのも当然の心理だからだ。
「君の気持ちはわかるが、戦場では何があるか分からない」
「ロルバンディア軍は精鋭ばかりと聞いております!」
「それは事実だが、戦場では何があるか分からない。そんな状況で、大切な君を連れて行って何ががあったら私の面目が立たない。それ以上に私は一生自分を許すことができなくなる。分かってくれ」
普段、部下たちには見せないような甘い口調に、ラートルもマルケルスは微笑ましく思ったが、ケルトーだけは何故かアウルスの態度に不満を感じた。
「殿下!」
武道で鍛えた声量でケルトーが叫ぶと、アイリスは驚き、アウルス達も何事かと思った。
「なんだケルトー」
「お言葉ですが、殿下はそんなに情けないお方だとは思ってもいませんでしたよ」
「ケルトー、お前いきなり不遜なことを言ってるな」
「お前が言うなラートル! 家族を思う気持ちはだれもが一緒。アイリス様のお気持ちがなぜわからん!」
泰然自若のようで、人情味は人一倍強いケルトーは若き大公と参謀総長を非難する。
「殿下、アイリス様は自ら殿下に助力をお願いしているのですぞ。しかも、安全な場所で安穏としているよりも、ご家族と同じく危険な場所に身を置こうとする勇気。なぜそれが分かりませんか!」
「お前、何か変な物でも食べたのか?」
アウルスがいきなり真面目になり、真っ当な意見を述べるケルトーにそう言うが、彼自身は至って平然としていた。
「殿下こそ、臆病風に吹かれたのではないですか?」
「何?」
「婚約者であるアイリス様が、わざわざ我らもいる中でこのような願いを口にされたと思っているのですか?」
ケルトーの言葉にアウルスはアイリスを見るが、なんともいえない微妙な顔をしていた。
「アイリス様はそれだけ思い詰めているのです。普段は奥ゆかしく尊大さとは無縁なお方がここまで懇願している意を汲むべきではありませんか?」
堂々と正論を語るケルトーに戦友二人と主君たちは、白けた表情をしていた。
「アイリス、君はそこまでして戦場に行きたいのか?」
「ケルトー大将の言う通りです。私が戦場に出たところで何の役にも立てないことなどわかっています。ですが……」
「よくぞ申された!」
ケルトーがそう言うと、アイリスはドキッとした。
「殿下、アイリス様はとうに覚悟が決まっております。第一、ヘタレなミスリル軍など私が蹴散らしてご覧に入れますよ」
マルケルスとラートルの二人は、アウルスと対面するまで散々愚痴をこぼし、辞退を口にしていたケルトーに冷たい視線を向ける。
「お前、さっきまで第一遊撃艦隊司令官職を辞退しようと……」
「そのつもりでしたが、マルケルスもラートルもこぞってヘタれたことを口にしますので。であれば、このウイリス・ケルトーがやるしかありますまい。殿下、第一遊撃艦隊司令官として先陣を切ってみせますよ!」
ケルトーはエリーゼ経由でアイリスのことを敬愛していた。
君主ですら蹴落とされる威風を持ち、聡明さと覇気が同居しているアウルス相手に単身で交渉ができるその胆力に、ケルトーは妻と共に時期大公妃となる彼女の力になりたいと思っていたのだ。
「……分かった。改めて、先陣としての活躍に期待する」
「お任せあれ!」
武術で鍛えた立派な体躯を誇るかのように、ケルトーは自信たっぷりに答える。
「殿下私も……」
「分かっているよ。私の旗艦はかなり殺風景だが、それは我慢してくれ」
仕方ないという表情をするアウルスであるが、アイリスは満面の笑みを浮かべて頭を下げる。
「ありがとうございます殿下」
思えば、アウルスはこの公爵令嬢の言う通りに動いているような気がする。
他人のペースではなく、自分のペースで動かすことが大好きな彼ではあるが、アイリスのお願いには不思議と嫌悪感よりも好感を抱けた。
無論、それは彼女のお願いが自分の理にもなるからでもあり、彼女はそれを理解して提案しているからでもある。
そうした度胸と聡明さに触れる時、アウルスは彼女のことを好きになっていった。
「殿下、いっそのこと寝室を同じ部屋になされたほうがよろしいのでは? 誰もそれを咎める者などおりますまい。咎める奴は私がぶちのめして差し上げます故」
ケルトーの軽口を聞くと、アイリスは顔から全身を真っ赤にしていく。
アイリスを辱めたケルトーに、アウルスは露骨に不快感を露わにしながら立ち上がり、彼らに背を向ける。
「参謀総長、司令長官……」
突如役職で呼ばれた
「ケジメだ、そこの第一遊撃艦隊の
「え! ちょっと殿下!」
ラートルとマルケルスに両脇を抑えられ、ケルトーは廊下に連れていかれてしまった。
そして翌日、アイリスはケルトーの目に青あざができていることと、両頬に引っ叩かれた手跡を見て、何があったのかを知ったのである。
とりあえず、ロルバンディア軍はミスリル王国へと出撃を開始したのであった。