「アイリス……」
アレックスがぽつりとつぶやくが、アイリスは微笑んだままであった。
「陛下、先日は婚約を破棄していただきありがとうございました」
感謝を述べているのは本音ではないが、嘘でもない。アレックスとの婚約破棄の結果、アイリスは名君との婚約を結ぶことができたのだから。
「女でありながら戦場に出たというのか?」
ディッセル候のつぶやきにアイリスは笑顔を崩さずにいた。
「この戦争は、アレックス王と私が引き起こしました。私は当事者として、この戦争に参加しました。全ては下らぬ戦争を終わらせるためです」
女性が戦場に立つことなど、帝国は無論のこと、枢軸国ではありえないことであった。
故にアイリスが軍服を着て戦場に出ていることに、ミスリル王国の面々は驚愕していたのであった。
「そして、ミスリル王国の玉座にふさわしくない暗君に、それ相応の報いを受けてもらうためです」
「貴様! 女の分際で何を……」
「話はまだ終わっていません!」
笑顔を消して、真剣な表情と共にアイリスは大声でアレックスを一喝する。彼女を一応知っているアレックスは正直困惑していた。
かつての婚約者であったアイリスは博識であり博学多才ではあったが、決して押しが強いとは言えぬ婦女子であった。それが、何故か自分は無論のこと、ディッセル候ら重臣たちとも引けを取らぬ風格を纏っていたのだから。
「アウルス大公殿下は、愚かな主君は害悪なりと言いました。私も同感です。臣民がどれほどの努力をしたとしても、その臣民たちを導く主君が愚かであれば、繁栄の道ではなく滅亡の道に至ってしまう。これは、一臣民たちの努力ではどうあがいても覆すことはできません」
「何が言いたい?」
「決まっているでしょう。今すぐに降伏しなさい」
笑顔が消えて冷酷な表情、いや、汚物を見るような侮蔑する目つきに思わずアレックスは胃がひりつくような痛みを感じた。
「今我々には、コルネリウス大将の艦隊を含めて二十一個艦隊という大艦隊が集まっております。しかも、残りの宇宙艦隊は現在、ヴィラール星域にてわが父エフタル公と戦っている。この艦隊相手にどうやって戦うおつもりで?」
二十一個艦隊という数字が、アレックスを筆頭に全員の恐怖心をくすぐっていた。これだけの大兵力相手に戦えるだけの兵力は、現在のトールキンには存在しない。諸侯たちをかき集めれば辛うじてそれなりの兵力は集まるが、鎧袖一触で叩き潰されるのが目に見えている、
「こちらには名将マルケルス大将を筆頭に、エリオス提督、シュリーゼ提督、そして、闘将ウイリス・ケルトー大将と、お味方して頂いた猛将コルネリウス大将もおります。ただでさえ、精鋭がいない中で有象無象をかき集めても、それはブラックホールに向かって突撃をするようなものですよ」
マルケルス、エリオス、シュリーゼの名はミスリル王国にも鳴り響いている。特にマルケルスは四年前のロルバンディア侵攻では別動隊を指揮し、アウルス率いる本隊と共に主力艦隊の撃滅に貢献している。
エリオスはそのロルバンディア軍相手に持久戦を行い、アウルスをして「尤もわが軍を苦しめた名将である」とまで評価されているほどだ。
そして、そのエリオス相手にシュリーゼは見事に艦隊戦を行い、首都星メルキア攻略における最大の功労者である。
そこに一個艦隊で二個艦隊を壊滅させた闘将であるウイリス・ケルトーと、エフタル公やザーブル元帥に次ぐ猛将コルネリウスが揃っているのだ。
仮に同数の兵力を持っていたとしても、勝てる自信を持つものは誰一人としていなかった。
「アレックス王、あなたは私との婚約を破棄しましたが、全てはミスリル王国の繁栄のため。そして、王権を強化し、軍部との結びつきを強め、ブリックスやアヴァール、そしてマクベスやベネディアにも負けぬ国にするためでした。その事はお分かりでしたか?」
アイリスの問いにアレックスはディッセル候を見るが、ディッセル候は後ろめたさから目を背けていた。
「どうやらお分かりにならなかったのですね? アウルス大公殿下は即座に私とあなたの婚約の意味を理解しておりましたよ。やはり、あなたは愚かです。そしてそれ以上に、自分を高めていく努力をされない。だからこそ、佞臣の妄言を信じ、そして、奸臣の言葉に乗せられてしまうのです」
ディッセル候がアレックスと共ににらみつけるが、アイリスは全く恐怖を感じなかった。
アウルスは無論のこと、ブリックス王クラックス、王妃レティシアにも出会い、ロルバンディアの優れた賢臣たちと出会ったアイリスにとって、ディッセル候もアレックスも、有象無象に過ぎないのだ。
「アレックス王、あなたは……弱い!」
アイリスはアレックスを指さし、断言した。
「黙っていれば何様だ貴様!」
「今すぐ玉座から死刑台に行く相手に、敬称をつける必要はありますか?」
「何?」
「殿下は、この戦争で誰を処刑するのかを既に決めております。無論、それは開戦の原因を作った諸悪の根源であるアレックス王、あなたですよ」
口調が荒くなりながらも、冷静さは保ちつつ啖呵を切るようにアイリスはそう言った。
「私は死刑台だと?」
「愚かな主君な害悪なり、滅ぶは民の為。殿下はヴァレリランドを突破する際に仰いましたよね? あの段階で降伏すれば、減刑するつもりではあったのですが、あなたはあまりにも愚かすぎる。いや、弱すぎるのです」
弱いという言葉をあえて強調するアイリスではあるが、それはアレックスの本質を突いていた。
アレックスはアイリスを煙たがったが、彼女の博学多才さに劣等感を持ち、それが嫌だからこそディッセル候やヴァンデル伯の甘言を聞き入れ婚約破棄をした。
「友人だからということで、天下の大罪人を匿うなどそれでも王と言えるのですか? 百歩譲って、エルネストを生かすつもりであるならば、帝国との折衝や、ブリックスやアヴァールとも掛け合うこともできたはず。それをしなかったということは、遅かれ早かれ、エルネストにロルバンディアへと侵攻させるつもりだったのでは?」
アイリスの指摘はアレックスの真意を突いていた。その気になれば、大国であるブリックスやアヴァールに話をしながら、辛うじて生かすことは出来たはずなのだ。
それをせずに艦隊ごと匿ったということは、いつかはロルバンディアへと攻め入ることを計画していたからに他ならない。親友であったエルネストの本懐を、アレックスは叶えたかった。
「そして、弱いからこそ佞臣の意見に押し通され、奸臣の言動に右往左往される。私はロルバンディアにて、真の強さを持つ方々と出会いました」
アウルスは優しく、臣民の意見に耳を傾け良き意見であれば身分を問わずに採用する。そして、自分を苦しめた相手であったとしても、自らの職務を全うし、国家の献身を果たした忠義者に対しては献身を称えて自らの臣として招く。
一方で、どんな立場な者であったとしても、論外とも言える意見は平然と切り捨て、大罪を犯した者は容赦なく断罪する果断さを持ち合わせていた。
「国家を運営するということは、臣民の幸福を考えるべきです。大局的な視点で、臣民を導くことこそが君主の責務。それを実行するには、強さが無くてはなりません」
アイリスはアウルス達の強さを理解していた。それは、ロルバンディアに住む人々のため、この国に住む国民を守らなくてはならないという使命があるからである。
「そして、臣民が主君と共に力を合わせ、国を盛り立てていけるのであれば、たとえ大国が押し寄せてきたとしても負けることなどありえない。だからこそ、旧ロルバンディアは滅び、ミスリル王国も滅ぶのです」
アイリスのミスリル王国滅亡という発言に全員が動揺していたが、それでもアイリスは気にすることはなかった。
「決して揺れることのない強さと、どんな立場の者であったとしても、公平に意見を受け入れる。国家を反映させ、守ることを考えれば、ミスリル王国には佞臣や奸臣がはびこることなどなかった。全てはアレックス王、あなたが弱い君主からこそ今の事態になったのですよ」
かつての婚約者に好き放題言われ、アレックスは腸が煮えくり返るどころか、そのまま爆発しそうなほどの怒りが出てきたが、アイリスの威圧感を前に何も言えずにいた。
そんな姿にアイリスは内心ため息をついていた。
「エルネストは死ぬ前にそれを白状してくれました。多少強引ではありましたが、この戦争はあなたが始めた。であれば、その責任を一身に受けるのも当然ではありませんか?」
できもしないだろうと、アイリスはアレックスを完全に見下していた。今思えば、自分はこれほどまでに、愚かな男が婚約者であったのかと実感させられる。
「アイリス様! 私はどうなるのですか?」
フローラが狼狽しながら投影されたアイリスに向かってきたが、アイリスはアレックスに向けたものと同じように睨みつけた。
「私は全て、お父様の言う通りにしただけなのです。ですからお許しを」
「フローラ、私はとっくにあなたの事を許していますよ」
「え?」
「おかげで、アウルス大公殿下という素敵なお方と婚約できたのですから」
侮蔑した表情から一転して、アイリスは恋する乙女の表情となる。
「大公殿下はそこにいる暗君と違い、聡明で強く、そして優しいお方です。石ころと恒星ほどの違いがある。神も残酷なことをするものだと思うほどに差があります」
「じゃ、じゃあ!」
自分は助かると思ったフローラは安堵の表情を見せるが、裏切られたアレックスは茫然としていた。
「ですが、陛下の婚約者であり戦犯の娘であれば、連座は当然。あなたも死刑台送りに決まっていますよ」
戦犯の娘という言い方は、同時にヴァンデル伯を戦犯であることを断定したことになる。ヴァンデル伯の顔色が、あっという間に血の気を失っていった。
「そ、そんな!」
「こうなることも想定してもいなかったというのであれば、あまりにも愚かですね。愚か者同士、実にお似合いです」
アイリスの盛大な皮肉に、ミスリル王国の重臣たちは身震いしながら自らが処刑台に赴くことに恐怖し始めた。
「最後に、国王さま、婚約破棄の代償は戦争で落とし前つけていただきますわ。そして、今から降伏すれば、死刑ではなく、財産を残した上で辺境で生活することを殿下は許してくれました。それではごきげんよう」
通信を切ると同時にアイリスの投影された姿も消える。夢か幻を見ていたかのような気分に陥る一同であったが、これはどうしようもないほどの現実であった。
彼らにはもう時間が無い。時間が経過すればするほどに、彼らの生き延びる時間は迫っていくのだから。