ミスリル王国史上、最高の宰相と言えばファルスト公の名が上がる。卓越した外交手腕と内政手腕により、ミスリル王国に繁栄をもたらしたことは誰もが認めることである。
そんなファルスト公を支えていた、メンブレン・エル・カリスト侯爵は深くため息をついていた。
「凶報だな」
嫡男であるオーウェンも複雑な顔をしていた。
「今更と言えば今更ですね。既に、ロルバンディア軍が侵攻しているのですから」
「レフレックスも無縁ではないからなあ」
現在メンブレン侯は故郷であるレフレックス星域の総督を務めていた。それ以前は民政大臣としてファルスト公の元で閣僚を務めていたのだが、ディッセル侯との対立により、故郷のレフレックスへと戻ったのであった。
「しかし、どうすればいいのだろうな?」
メンブレン侯は優柔不断ではない。むしろ、即決即断であり軍政面でも貢献するなど、必要なところに必要な物資を供給できる能力は、エフタル公からも高く評価されていた。
「ですが、悩んでもいられませんな」
オーウェンがそういったのにも理由がある。今レフレックスの州都であるメンブレンには、首都星トールキンから逃げ出したアレックス王を筆頭にした重臣たちがやってきたのだから。
「例の件もある、放置するわけにはいかない。どうすればいいのか」
メンブレン侯は自分の跡取りであり、片腕として政務を補佐しているオーウェンに尋ねた。
「父上、ここは私にお任せいただけませんか?」
「オーウェン、いったい何をするつもりだ」
「決して、父上やレフレックスの民に迷惑をかけるつもりはございません。それに、この戦争の帰趨は明らかです。であれば、あとはやるべきことをいかにやるだけのこと。それのみです」
オーウェンは跪きながらそう述べるが、メンブレン侯は自身の後継者足りえる嫡男に危険な橋を渡らせたくはなかった。
「オーウェン、それは私の役目だ」
「父上は今後のミスリル王国に必要なお方です。全ては私にお任せください」
メンブレン侯は複雑な気持ちになった。自分には過ぎた優秀な息子であることを嬉しく思う反面、その能力の高さから危険な仕事を任せてしまうことにだ。
「……オーウェン、生きて帰って戻ってこい」
「そのつもりでおります」
才幹溢れる息子の姿に、メンブレン侯は安堵しようと思ったが、この才幹故に逆に生きては戻れぬのではないかという不安がよぎった。
相手は、マクベス・ディル・アウルス、ロルバンディアの覇王なのだから。
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「災難に遭われましたね」
すまし顔でオーウェンは貴賓をもてなすホテルにて、主君であるミスリル・ディル・アレックスにそう言った。
「全くだ。なぜ私がこんな田舎にまで逃げることになるとは……」
メンブレン侯が支配するレフレックス星域は、トールキンからも離れた辺境に位置する。
「はは、それでは別のワインを持ってこさせましょうか?」
オーウェンは笑顔でそう答えるが、アレックスが飲んでいるのはレフレックス産のワインであった。
「いやこれでいい。田舎のワインも悪くないな」
レフレックスは主要な星域ではなく、工業地帯であるミドルアース星域に比べれば、経済規模では劣っている。
ミドルアース星域のような鉱物資源や加工場はないが、代わりに豊かな土壌を持った居住可能惑星が多数存在していた。
「殿下、もう一杯どうぞ」
フローラがアレックスの機嫌を取るようにワインを注ぐと、アルコールに酔っているからか、少々上機嫌のアレックスは二杯目を口にしていた。
「オーウェン、私がロルバンディア軍を排除した暁には、このワインの味は忘れぬぞ」
「ありがたき幸せにございます」
「貴公の父君であるメンブレン侯だが、あのディッセル候にひどい目に遭わされたようだな」
敗残の身でありながら、酒の力に身を任せたアレックスは同情するかのようにそう言った。
「ディッセルにはひどい目に遭わされたわ。無能のくせに、さんざん出しゃばってはこれだ。使えん老人だった」
「そうでしょうなあ」
もともとオーウェンの父であるメンブレン侯も、ディッセル候が宰相であっても当初は閣僚でいたのだが、ディッセル候との対立で大臣を辞職してレフレックスへと戻ってきた経緯がある。
「メンブレン侯も大したものよ、もともとは一介の男爵に過ぎなかったにもかかわらず、気づけば侯爵となり、大臣となったのだからな」
上機嫌に笑うアレックスにオーウェンも追従して笑みを浮かべるが、オーウェンの父であるメンブレン侯カリストは、メンブレン家の一族における傍流であり、男爵家に過ぎなかった。
領地も豊かではないが、トールキンの大学に進学して官僚として勤務を行う中で、若かりし頃のファルスト公に評価され、順調に出世し側近となる。
そして、優秀さから当時経済的に困窮していたメンブレン侯爵家を継ぎ、ファルスト公の統治に貢献していた。
「ディッセル候は、家格でしか人を見ないお方ですからね」
ファルスト公の後継者となったディッセル候だが、宰相となってからはファルスト公の政策をひっくり返した。
ファルスト公が無駄であると廃止した無駄な儀礼であったり、家格による諸侯への支援の再開など、文字通り真逆なことをやりだしたのである。
「それで貴公の父を元は男爵であるからと、田舎に引っ込ませるなどろくなことをやらない老人であったわ」
はき捨てるかのように口にするアレックスに、オーウェンは上手に取り繕うが、実際はアレックスにも怒りを燃やしていた。
そのディッセル候を宰相につけたことや、厚遇していたのはアレックスであり、むしろ積極的に関与していたのはこの敗残王に他ならなかったからだ。
「ところで陛下、ここからどういたします?」
オーウェンが訪ねると、現実に戻されたアレックスは不快な表情を取り、追従するかのように婚約者のフローラは嫌そうな顔をしていた。
「決まっているだろう! このレフレックスに諸侯たちの兵を集結させ、ロルバンディア軍相手に決戦を仕掛けるまでだ!」
レフレックスは豊かであるが、軍事力は決して強くはない。それにオーウェンもメンブレン侯も文官であり軍事の素人ばかりである。
それだけに、レフレックスは治安維持程度の軍事力だけを残し、何かあれば中央軍である宇宙艦隊が駆け付けられるように体制を整えていたのだが、その宇宙艦隊は現在、半数がロルバンディア軍へと寝返り、もう半数はヴィラール星域にとどまっていた。
「そして奴らをたたき出した暁には、メンブレン侯を宰相とし、公爵としよう。そして貴公を尚書令とする」
「光栄にございますな」
追従しつつも、オーウェンは心の中で舌を出す。レフレックスは辺境ではあるが、膨大な食糧を抱える兵站地でもある。ここを拠点にすれば、それなりの兵力を養うことは可能だ。
だが、同時にそれはレフレックスが戦場になることを意味する。堅牢堅固な鉄壁であったルーエルラインを突破し、コルネリウス大将率いる艦隊すら寝返らせたロルバンディア軍に勝てる艦隊など、今のミスリル王国には存在しない。
「ならば、我々もとっておきの戦略を練らねばなりませんね」
「そうであろうな。諸侯たちをかき集めれば十個艦隊ほどは集まる。その間に、ロルバンディアを襲わせれば後は奴らはも逃げ帰るだろう」
笑顔で追従しながら、オーウェンはそんなことはあり得ないと否定する。ロルバンディアのアウルス大公は用意周到な人物だ。
すでにブリックスやアヴァールとも交渉を終え、アヴァールに至っては国交断絶を宣言している。
それにブリックス王であるクラックス王とアウルス大公は、幼年学校から士官学校をともに過ごした友人であるという。
八王国筆頭のブリックスと、十二大公国筆頭のアヴァールに根回しをしている以上、ロルバンディアへの侵攻は必然的にこの二大国との敵対を意味する。そんな愚行を犯すのは首都星からおめおめと逃げてきたこの暗愚な国王ぐらいだろう。
「なるほど陛下の壮大な戦略、感服いたしました」
「貴公もな、流石はメンブレン侯の嫡男だ」
「はは、今宵は旅の疲れを癒してください」
笑顔のままオーウェンは退室すると、部下を呼び出した。
「首尾はどうだ?」
「準備完了致しました。いつでもいけます」
「よし、ならばすぐに実行しろ。それから船の用意は?」
「そちらも済んでおります」
部下からの報告にオーウェンは深くため息をついた。
「全く、最後の最後まで不愉快なことをさせる王だな」
怒りを通り越してオーウェンは呆れていた。おめおめと首都星から逃げて、この状況からさらに悪あがきを考えているあたり、現実が見えていないのはディッセル候と同じであるからだ。
「馬鹿はくっつきたがるか……」
「若、どうされました?」
「いや何でもない」
「それよりも奴らをトールキンへと運ぶぞ」
オーウェンはレフレックス、そして自分の家族を救うために、酔いつぶれた敗残の王たちを連れてトールキンへと向かうのであった。