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第34話 勝者の義務 前編

「不愉快なものを見てしまったな」


 不機嫌な態度のままに、アウルスは自身で入れた茶を口にする。


「同感ですわ。そして、あの程度の者たちに右往左往していた自分が恥ずかしいです」


 アウルスの入れてくれたお茶を楽しみつつ、アイリスは過去の自分の弱さに愚痴をつぶやく。


「君が気にすることではない」


「ありがとうございます」


 そっとアイリスは微笑むと、アウルスも上機嫌となるが、一人いたたまれぬままにオーウェンは茶を飲んでそれを眺めていた。


「おっと、失礼した」


「いえ、殿下とアイリス様の仲睦まじい幸福な姿を見せていただきました」


 オーウェンがそう言うと、アウルスはこの若き策士の真意を見抜こうとした。


「ところでオーウェン卿、なぜあの二人をわざわざ持ってきた?」


 アウルスの問いに、侯爵子息は黙ってティーカップを置いた。


「私共では判断がつかなかったためですが、殿下に直訴したいことがあったからです」


「直訴?」


 畏まったオーウェンに、アウルスは首をひねった。


「大勢は決した中で、アレックス王とフローラ嬢が殺害されたと確認しておりました。そこで、あの二人とその家族たちを連行する口実で、殿下にぜひ、わが父カリストを用いてほしいと思ったのです」


「貴公の父君のことか?」


「わが父はファルスト公の覚えめでたく、殿下のような名君の下であれば一国の宰相としてその腕を振るえる力量を持っております。殿下のため、そして新たなるロルバンディアの臣民のために登用をお願いしたく」


 思わずアウルスは微笑む。殺されたと公表されたあの二人をわざわざ連れてきたのはそういうことかとアウルスはむしろ嬉しく思った。


「メンブレン侯の高名は存じている。ミスリル王国では辺境と認識されているレフレックスを、今や食糧庫として発展させた手腕は尋常なものではない。ファルスト公でなくても、貴公の父君は賢明な君主であれば、誰もが欲しがるだろう」


「殿下はいかがでしょうか?」


「古来より名臣・名将は得難いもの。ましてや、あれだけの行政手腕を有したメンブレン侯であれば、是非用いたい。ましてや、貴公のような孝行息子がいれば猶更だ」


 アウルスが二杯目の茶を飲もうとすると、オーウェンはほっとし、アイリスは微笑んでいた。


「ディッセル候を処刑するとき、奴の一門は自分を助けることを最優先に私に助命を縋ってきた。誰一人として、他者を庇うようなものは一人としていなかった。一人でもいれば、ディッセル侯爵家は存続させたのだがな」


 アウルスはアレックスとフローラ達を、死んだことにすることを決意した際に、ディッセル候の一門を集めて三族皆殺しを告げた。


 すると誰もが死にたくないと言い、幼い子供や老齢で弱っている老人ら、弱者を庇うそぶりを一切見せなかったことからそのまま全員を死刑にした。


 国王殺しの不忠者に対する罪としては、妥当な罪である。


「流石はこのミスリル王国を腐敗させた一族のことだけはある。誰もが自分のことしか考えていなかった。他人に責任を押し付け、ディッセル候をなじる上に、自分の子供すら差し出そうとする者までいた。貴公のように、自分の父を思い、有益な人物であるとやってくる者とは違ってな」


「実に醜悪でした。そして、だからこそミスリル王国は滅んだのですね」


 平然としているアウルスとは対照的に、アイリスはこの話になるとどこか悲し気な表情を見せていた。


 実際、あそこまで醜悪に自分が生き残ることを最優先し、我先に助かりたいという欲望を丸出しにした姿には嫌悪感しか抱かなかった。


「ディッセル候が一番愕然としていたがな。自分も当事者のくせに、実にみっともなかった」


 ため息をつきながらアウルスが悪態をついていると、アイリスが目線を促すと、オーウェンが不安そうな表情を見せていた。


「……まあ、あの一族には消えてもらったが、貴公のように他者を生かそうとする者は得難いものだ。貴公の父君ともぜひ会いたい」


「はは! ぜひ、わが父に伝え近日中にトールキンへと招きます」


「そうしてくれ。新しい体制下における、政治の知恵と力を私だけではなく、万民のために使ってほしい」


 アウルスはそう言うと、オーウェンに右手を出しだす。差し出された右手をオーウェンは両手で掴み、強く感謝を抱きながら握手を交わしたのであった。


**********


「疲れたな」


 オーウェンが去った後、アウルスとアイリスはそのまま茶からワインへと切り替え、つかの間の休息を楽しんでいた。


「あっという間でございました」


「そうだな、君がメルキアを訪れてからまだ半年も経過していない。攻め込んでからはせいぜい二か月というところだが、あっという間だったな」


 ミスリル王国はアイリスがアウルスがいるメルキアを訪れてから、わずか半年もたたないうちに滅んでしまった。


 ルーエルラインという絶対防御壁を突破したロルバンディアの猛攻と、アイリスの説得により、ほとんど戦わずしてミスリル王国は陥落した。


「この戦争での勝利者は、果たして後世の歴史家は誰と答えるかな?」


「もちろん殿下ご自身では?」


「そうかな? 案外君が真の勝利者として称えられているかもしれないぞ」


 アウルスが戯れにそう言うが、自ら王国を滅ぼすために覇王に懇願した公爵令嬢は複雑な気持ちを抱いていた。


「ですが、滅んでいたのはディッセル候ではなく私を含めていたエフタル家であったかもしれません」


 気丈にふるまっていたが、本質的にアイリスは優しい心根の女性だ。本質的に暴君の気があり、自らを異常者と開き直るアウルスとは根底が違っていた。


「処刑台に送られた者たちや、この戦争で死んだ者たちにも家族はいたでしょう。私が始めた戦争で多くの人が傷つき、家族を失い、そして死んでいったのです」


 そう言うと、アイリスは血の色のように真っ赤なワインをグラスに注ぎ、そのまま一気に飲み干してしまった。


「私が始めた戦争で、このような結果が出てしまった。私はここまでのことを考えていたかと思うと、その甘さを痛感させられるのです」


「……甘さがあるならば君は私の下には来なかった」


 アウルスは落ち着きながらワインを口にすると、アイリスの緑色の瞳を眺める。慈愛と深く引き込まれる宝石のような瞳は、アウルスの心を和ませる。


「それに君でなくても、ミスリル王国はいずれ誰かが滅ぼしていただろう。負けに不思議の負けなしという言葉がある。ミスリル王国は有能で気骨ある者が迫害され、無能で腰抜けながら、奸智に長けた佞臣が幅を利かせていたからな」


「そうですわね。ですが、流した血に見合うだけのことを、私はできるのでしょうか?」


 勝利者となっても決して勝ち誇ることも、驕ることもないアイリスにアウルスは深くため息をつく。


「どうして……君がそんなことを考えなくてはならない?」


 アウルスはそう吐き捨てた。


 決してそれは彼女に呆れたからではない。賢者であり、慈愛がある彼女だからこその悩みにアウルスはその悩みを解消してやりたいと思ったからであった。

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