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第34話 勝者の義務 後編

「君は今回の戦いが必勝であったと思ったか?」


 アウルスの問いかけに、アイリスは戸惑う。アウルス率いるロルバンディア軍は精強であった。勝つための努力を惜しみなく実行していたからである。だが、それだけが勝利の決め手とは言えなかった。


「……必勝とは言えなかったと思います」


「その理由は?」


「ルーエルラインを突破したことは偉業と言えます。そして、我が父の反乱もあったというのもありますが、決してそれだけでは……」


「君は流石だな。見ているものが違う」


 上機嫌なアウルスに、アイリスは嬉しくなるが彼が望む答えが言えるのかが気になっていた。


「だが君は全てを抱えすぎているな、今もなお」


 金髪の大公の指摘に、アイリスは目を伏せる。


「私は政治と軍事、両方を見てはいる。だが、優秀な臣下がいるから彼らの進言を聞いて、行動をとっているだけだ」


「ですが殿下はご自身で決断されております」


「それはそうだ、君主の仕事とは決断すること。これは君主に限った話ではないが、組織の長とは自身で考え、行動することよりも決断することが重要になる」


 アウルスは自分から様々な提案を行うこともあるが、アイリスがそれ以上に関心したのはとにかく臣下の意見を聞いた上で様々なアドバイスを行うことにある。


 もともと、深い見識や知識を有していることもあるが、そこから自分なりの意見を述べたり、またはより詳しい専門家と会わせることで、意見を決して無為にしない。


 アウルスは幼年学校と士官学校を出ているからか、特に軍事は詳しいが、軍政面での意見などは文官たちを招いて協議するなど専門性に囚われずに有意義な意見を聞くことを好んでいた。


「殿下はいろいろな人たちの話をお聞きになりますからね」


「人の意見を聞くことは大事だからな」


「私の意見や要望も聞いていただけましたからね」


 決して簡単な話し合いや提案ではなかったが、それでもアウルスはアイリスの話を真剣に聞いてくれた。そこにアイリスは素直に好感を抱いた。


「君の意見と提案は、私が望んでいた話だからだ。話は戻るが、君がこの戦争について抱える必要性はどこにもない」


 何杯目かのワインを口にしながら、アウルスは黒髪の美女を見つめる。


「この戦争は私が始めた。だから君が抱える必要はどこにもなく、ましてや死んだ人間の責任などまで考える必要もない。生者が死者にできることは、その分生きるだけだ」


「ですが私は……」


 そう言いかけた時いに、アウルスは強引にアイリスの口を自身の口でふさいでしまった。


 物理的に口をふさがれたことで、抱きしめられてキスをされていることに気づいたアイリスは、顔を真っ赤にしながらも夫になる金髪の大公の態度に戸惑っていた。


「自分だけでそんなものを背負う必要性はどこにもない。君は、私に嫁ぐのだろう?」


 黒髪の時期大公妃を、そっと抱きしめて抱えながら、アウルスはそのままソファーへと腰かけた。


「もっとも、君は優しいからそれでも背負ってしまおうと思うのだろうな」


 どこか諦観しながらも、知恵と勇気、そして慈愛を持ち合わせたアイリスにアウルスは頼もしさとともに、愛おしさを再確認する。


「殿下は私に甘すぎると思います」


 唐突にキスされ、しまいには婚前前にも関わらず抱きしめられたことにアイリスは目線を逸らしながらも、見た目に反してたくましいアウルスにときめいてしまう。


「愛する女性に甘くならない男はいないと思うがね。それに君は、勝ったと思ってはいないのではないか?」


 図星を突かれたことでアイリスは、そのままアウルスの胸元に顔を埋める。


「二人に復讐を果たし、ディッセル候を処刑したと言っても、私の心は決して晴れませんでした」


「そうだったな」


 ディッセル候を処刑する際も、アレックスとフローラ達を生きながら死んだことにした際も、アイリスは決して喜ぶことはなかった。


「一歩間違えていれば、私が逆の立場になっていたかもしれませんし」


「そうかもしれんな」


「私は運がよかっただけです。だからこそ、殿下には心から感謝したいと思っております」


 心からの感謝を述べるアイリスではあるが、アウルスはどこか不機嫌そうにそのままま彼女の頭をなでる。


「で、殿下!」


「君はどこまで謙虚なんだろうな? 単身で私を動かし、しまいには八個艦隊を寝返らせて戦争の帰趨を決定づけた。そんな胆力ある女性が、私に対してはこんなに謙虚でいてくれる。むしろ私の方が感謝したい」


 ここまでやっても、アイリスは自分を勝者として奢らない。これが他の女性であれば、偽善者であるとアウルスは罵ったであろう。


「君はあそこまでやっても、勝者として偉ぶらない」


「薄氷の上での勝利であることや、私の力ではなく、殿下と殿下に付き従う方々のお力あってのことです。私は私の成すべきことを果たしたにすぎません」


「その成すべきことに私も救われた。君は確かに大勢の命を奪う側にいた。だが、同時に君は多くの命を救った立場であることも忘れてはいけない」


 きょとんとするアイリスだが、コルネリウス相手に直談判し、八個艦隊を寝返らせたことを思い出す。


「あれはコルネリウス大将のおかげです」


「それもあるが、君が勝利に導いた結果、この戦争は短期で終結した。下らない戦いではあったが、下手をすれば長期化してもっと多くの民衆が巻き込まれたかもしれない。君がいなければ、そんな未来もあった」


 普段は毅然としているアウルスではあるが、なぜか今は少しだけ優しい表情をしていることにアイリスは気づいた。


「勝者の義務とは敗者を貶めることではない。ましてや敗者に鞭打つことでもない。無論罪ある者は罰しなければならないがな」


 国政を誤らせて国を傾けたディッセル候は、電気椅子にて苦しみながら炭素と化して処刑された。


 その罪から一族全員も処刑されたが、トールキンはロルバンディア軍の支配下に置かれており、暴動すら発生することはなかった。


「どこかで勝者と敗者が生まれる上に、昨日の敗者が今日の勝者となり、今日の勝者が明日は敗者になっている。君とて、最初はそうだっただろう?」


 フローラに寝取られ、アレックスから婚約破棄されたことでアイリスは間違いなく敗者となった。


 だが、あの愚かな二人は生きながら死んだことにされ、アイリスはアウルスの時期大公妃という勝者の地位にいたのである。


「天定まって亦能またよく人に勝つ。君は逆境の中でも諦めなかった。だからこそ、私は君に助力したわけだが、まだ君は不安か?」


 果断で冷徹さを持ち合わせながらも、同時に理不尽には黙っておらず、理不尽な目に遭う不遇な人物であれば、筋道を立てて助力する。そんな金髪の大公に、アイリスは薄っすらと涙を流しながら、その優しさを甘受できる喜びを感じていた。


「私は贅沢な女ですね」


「そうだな、仮に神がいて銀河か君、どちらかを渡すと言われても私は君を選ぶ」


「え?」


「銀河は君がいれば手に入れられるが、君を手に入れることの方がはるかに困難だ。それに、私はこう見えて惰弱で怠惰だ。君が手に入るならば、楽な方を選ぶさ」


 いたずら小僧のように笑うアウルスに、釣られてアイリスも笑ってしまった。自分をここまで愛してくれる彼の優しさや気遣いが、今のアイリスには有難かった。


「殿下、一つだけよろしいですか?」


「何かな?」


「勝者の義務とはなんでしょう?」


「ああ、それなら簡単だ」


 あっけらかんとした表情のままにアウルスはこう言った。


「寛容さを心に宿しながら、堂々としていること。ただ、それだけだ。負けても仕方ないと敗者に思わせるぐらいの態度を保てばいい」


 アウルスらしいシンプルな答えに、アイリスはようやく心から笑うことができた。そして、自分が愛するべき人の優しさとともに、自分もただそれを甘受するだけではなく、自分もまたアウルスに優しさを与えたいと思ったのであった。

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