ロルバンディア大公国がミスリル王国を占領してから一か月が経過していた。
その間にアウルス大公はトールキンに留まり、ミスリル領の鎮撫、そして諸侯たちとの折衝に尽力していた。
「それで、この侯爵殿はどうしたいと言っているんだ?」
やや嫌味を込めて、新たな統治者となったマクベス・ディル・アウルス大公は、不機嫌に尋ねた。
「殿下に忠誠を誓うので、とりなしてほしいとのことです」
困った顔をしながら、新たにアウルスの尚書となったメンブレン侯の嫡男、オーウェンはそう答えた。
「またか」
うんざりした表情でアウルスは手にしたペンを置く。既に電子化された通信網が存在するが、枢軸国では格式と儀礼により重要な話に関しては、未だに手紙によるやり取りが行われていた。
「忠誠を誓うならば、手紙を送るのではなく身一つでやって来いと言っているというのに……」
「申し訳ございません」
ミスリル王国を平定しているが、それでも旧王国に仕えていた諸侯たちはこうして、トールキンに参上することなく手紙でのやり取りを行いながら、アウルスのご機嫌どりをしていた。
「皆、殿下のお人柄を理解しておらぬのです。誠に申し訳ございません」
オーウェンの父であるメンブレン侯カリストが頭を下げると、アウルスは深くため息をつく。
トールキン占領後、息子であるオーウェンのとりなしもあり、メンブレン侯もトールキンに参上し、アウルスへの忠誠と共に戦後処理と占領統治に協力をしていた。
「貴公が謝ることではないだろう。それに、貴公とオーウェンのように、私に協力している者たちは皆厚遇している。それにも関わらず奴らは、なぜ直接トールキンに参上しないのか」
現在アウルスは、こうした諸侯たちの対応に追われていた。彼が占領したロルバンディアでは、諸侯の数は少なく、中央集権化が進んでいたためにここまで面倒なことをしなくて済んだ。
「腐っても八王国であります。故に、殿下のお考えを理解し得ぬ者が多いのです」
「忠誠を誓うならば、トールキンに参上しろと公式に宣言しているのにか?」
アウルスは諸侯達への対応として、滅ぼされたくないならばトールキンに参上しろという通達を行っていた。
こうすることでスムーズな対応ができると想定していたのである。
「やってきたのは貴公とエフタル公だけだ。オーウェンなど、貴公のためにやって来たというのに、こいつらは私に忠誠を誓うつもりはないということか?」
アウルスは珍しく呆れた顔をしており、非常にイラついていた。本来彼は冷静な統治者であるのだが、トールキン占領の時にはらしくもなくストレスで周囲に愚痴をこぼしていた。
「忠誠を誓うならば参上しろ、参上しなければ殺さない。これほど明確なことを口にしているのに、それでも奴らは参上しないというのは、馬鹿か愚かか、それとも臆病なのか、それとも全てということか?」
本来誰かに八つ当たりするような気質はないのだが、彼に仕える重臣たち、宰相であるケッセル侯、尚書令であるジョルダン、外務大臣であるジュベールら、気心を知る彼らの不在もいらだちに拍車をかけていた。
後にアウルスの重臣として歴史に名を遺すメンブレン侯も、この時のアウルスの愚痴の多さとイラつきには頭を抱えており、日記に「諸侯の参上よりも、今はただ殿下の勘気こそが恐ろしい」と書き残すほどであった。
「殿下、いっそのことケルトー大将を差し向けるというのはどうでしょう?」
オーウェンの提案に、アウルスの執務室でくつろいでいたウイリス・ケルトーは、思わず茶を吹き出してしまった。
「オーウェン? 流石にそれはやりすぎじゃないかなと……」
露骨にケルトーは自分を使うことに難色を示した。
「ですが、これが一番手っ取り早いでしょう。ヴァレリランドを攻略し、トールキンも占領したケルトー大将を差し向けると脅しをかければ、皆こぞってトールキンへとやってきます」
「オーウェン、やはり貴公は知恵者だな」
アウルスが賛同すると共に、自ら茶器を使い、名案を出したオーウェンにお茶を差し出した。
「殿下自ら入れて下さるとは……」
「これほどの名案を出してくれたのだ。当然のことだろう」
「いや、ちっとも名案ではないですからね」
ケルトーはそう言うとメンブレン侯を見ると、温和なメンブレン侯は明らかに苦い顔をしていた。
ケルトーは政治的なセンスは持っていなかったが、それだけに嫌な雰囲気であるかどうかは察しがつくようになっている。
何より、自分よりもはるかに高い政治センスを持ったメンブレン侯が、ここまで拒絶反応を出している時点で、かなりの強硬論であることが分かる。
このままだと、ひと段落した中でまた厄介ごとが増えてしまうが、そうする前に執務室の扉が開かれる。
「殿下、少々お待ちください」
凛とした声と共にやって来たのは、この銀河で唯一アウルスを真正面からいさめられる女性であった。
「アイリスか」
エフタル・ソル・アイリスはアウルスの婚約者であり、将来の大公妃でもある。婚約戦争も早期に終結させたのも、彼女の力あってのことであった。
「殿下はミスリルの民を攻め滅ぼすためにやって来たのですか?」
「いや、それは、その……」
先ほどの不機嫌さがどこに行ってしまったのか、金髪の青年大公は、黒髪の婚約者に蹴落とされてしまった。
幼少期からアウルスのことを知っているケルトーであるが、ここまでアウルスが蹴落とされてしまうのは初めてのことである。
「殿下は旧政権の横暴と不法を裁くためにやってきたはずです。自らの意に沿わないというだけで、強硬策を取るのはあまりにも愚策です」
「それはその通りだが……」
「皆様方、退出をお願いいたします。私と殿下、二人だけで協議いたしますので」
「その通りだな、オーウェン、ケルトー大将、ここは退出しよう」
空気を読んだメンブレン侯は、アイリスに任せる形で退出を促す。やや残念がるオーウェンの肩を掴みながら、ケルトーも黙って退出を選択する。
そして数分後、二人きりの執務室でアイリスはアウルスに抱き着いた。大胆な行動にアウルスは完全に虚を突かれてしまうが、そのまま二人は近くのソファーに倒れこむ。
「殿下、なぜそうも焦られるのですか」
「戦闘が終結して一か月、大半の諸侯は私を無視したままだ。これはもう、攻め滅ぼせと言っているようなものだ。忠誠を誓うならば、参上しろと言っているのにも関わらずな」
アウルスは少々不作法だが、アイリスに膝枕をしながら横になる。
「君のためにも、さっさとミスリル王国を完全平定したい」
「殿下、今は拙速ではなく巧遅を選択するべきです」
ミスリル王国には多くの諸侯がおり、彼らは中央政府とは別の形で領地を統治している。
だが中央政府に強力な宇宙艦隊を保有していたからこそ、彼らはその武威に従っていたにすぎない。
「本来であれば、諸侯達は独自の統治を行うのが基本。ディッセル候をはじめ、諸侯派の中心人物は既に瓦解しております。自分の領地のことしか考えぬ者ばかりではありますが、だからこそ武力を使ってはいけません」
「だが、ここまで寛容な態度を取っているのにこれでは……」
まだアウルスと出会って一年も経過していないが、アイリスが知るアウルスは用意周到に事を運び、相手の失点があればあるほど巧妙にそれを利用し、大義名分をもって相手を追い詰める。
だが、今のアウルスはどこか拙速というよりも稚拙すぎるのだ。ロルバンディアを制圧した時とほぼ同等の時間を使って、ミスリル王国を手に入れた戦略家とは思えない。
気づけばアウルスは眠っていた。その寝顔は、妙に幼く、愛しさすらわいてくる。まだ共に夜を過ごしてはいないが、自分にだけこうして寝顔を見せてくる愛しい人の寝顔を見れたことにアイリスは若干興奮していた。
「殿下はお優しい方なのに……」
寝顔はまるで幼い子供のように、綺麗でこの笑顔を独占できていることを嬉しく思う。だがアウルスと同じく、為政者としての才覚を持つ彼女は彼らしからぬ行動にが気になったのであった。