「殿下は何故、焦られているのでしょうか?」
メンブレン侯の一言に、ウイリス・ケルトー大将と、妻であり行政官を務めるエリーゼは、生真面目なこの侯爵にどう返答すればいいのかに困っていた。
「あれほど聡明で、理知的で、それでいて豪胆なお方が何故?」
息子のオーウェンの後に、トールキンにやってきた後、メンブレン侯はアウルスと面会した。
その時にメンブレン侯はアウルスの今後の統治政策や、ロルバンディアの各種政策や戦略を聞き、ミスリル王国の今後の統治についてを話し合ったのである。
「大公殿下はまごうことなき名君。ファルスト公もご存命であれば、自ら仕えたかもしれぬお方なのに」
「落ち着けカリスト、確かに大公殿下はあの暗君とは比較になるほどに聡明だ。石ころと太陽ほどに違う」
そう言うのはアイリスの父であり、かつてのミスリル王国最高総司令官にして、元帥であったアフタル・ソル・サリエル侯爵であった。
「ですが、閣下も話し合ったではなりませんか。殿下の統治や戦略は完璧です。しかし、なぜかここ最近になってその方針とは真逆の方向に走っている。何かあったのでしょうか?」
メンブレン侯の指摘が正しいことを、ケルトーとエリーゼは誰よりも理解していた。
エリーゼとケルトーは幼いころから、アウルスに侍女と武芸指南役という形で仕えていたのである。
それだけに、アウルスが何故いきなり強硬策を取ろうとしているのか、心当たりがあった。
「本来殿下は、時間をかけて諸侯たちを説得にかけるという、私の提案を受け入れてくれました。アイリス様も賛同してくださったのに」
「だからこそ、サヴォイア大将を筆頭に、エリオス大将やハーマンすら使って鎮撫を行っているのではないか」
ロルバンディア軍宇宙艦隊司令長官であるサヴォイア・アルス・マルケルス大将を筆頭に、エリオス大将と、アイリスが寝返らせて戦争の帰趨を決定させたコルネリウス・ウル・ハーマン大将らは、メンブレン侯の提案を受けたアウルスの命令により、旧ミスリル王国の鎮撫を行っていた。
特に、旧ロルバンディア軍の名将であったエリオス大将と、旧ミスリル王国宇宙艦隊ナンバー3であったコルネリウスを派遣したことで、少しずつだが諸侯たちはトールキンへと参上していた。
「しかし、大公殿下の主張も間違ってはいないのでは?」
父であるメンブレン侯とは対照的に、落ち着き払っていたのはメンブレン侯の息子であるオーウェンであった。
「オーウェン! まさかお前が殿下をたきつけたのではあるまいな?」
「まさか? そもそも大公殿下は私程度の小僧にたきつけられるようなお方ではありますまい」
気苦労が多そうなメンブレン侯とは対照的に、文官であるはずのオーウェンはどこか腹が座った感じがしている。
実直なメンブレン侯とは違い、オーウェンはレフレックス星域に逃げてきたアレックス王とフローラを突き出し、父の助命嘆願を勝ち取っている。
かなり豪胆で、尚書令のジョルダンや外務大臣であるジュベールが好みそうなところがあった。
「実際のところ、諸侯どもは阿呆が多すぎます。殿下は我々に好待遇を与えてくれました。参上すれば罪には問わないと明確にしているにも関わらず」
「お前も知っているはずだ。諸侯たちの大半はディッセル侯の派閥にいた。彼らは参上することに二の足を踏んでいるのは当然ではないか」
アウルス率いるロルバンディア軍は、エフタル公の蜂起に呼応してミスリル王国に侵攻した。
そして、ディッセル候ら諸侯派は粛清され、ディッセル候は三族皆殺しにされている。
「ディッセル候をぶち殺してくれたことには胸が空いたが、流石に三族皆殺しとなればな」
「あれは少々やりすぎでした。とにかく、諸侯たちは我が身可愛さに参上を控えているのです。使者を送るなど、まずは時間をかけつつ、全体の統治を進めていくべきかと」
メンブレン侯の指摘は正しく、それまでディッセル候の命令に従って生きてきた諸侯たちが今更自分の意思で行動できるわけでもない。
そもそもディッセル候ですら、諸侯の味方をしながら彼らを御しきれていなかったのだから。
「エリー、殿下が何で過激な行動取っているのアレしかないよな?」
愛妻に向けてそう言うと、豪胆なはずのエリーゼも頭を抱えてしまった。
「間違いないわ、殿下はアイリス様に対して
アウルスが拙速な手段を口にし、苛立っているのは全て、自分の婚約者であり愛妻となるはずのアイリスのためであった。
「殿下は間違いなく、アイリス様のために諸侯たちに落とし前をつけさせようとしているわ。例の婚約破棄のおかげで、アイリス様の評判は一時期、地に落ちたそうだから」
「そりゃ国王が浮気したんだから、浮気されたとして馬鹿にするアホもいるだろうよ。しかも、アイリス様は美人で賢い。嫉妬しない奴がいない方がおかしいからな」
アイリスは飛び級で大学へと進学して卒業し、誰もが認める美人でもある。故に、その完璧さから彼女が王妃となるのは必然と言えた。
「そんな完璧な女性が、浮気されて婚約破棄されたとなれば、口さがない貴族令嬢たちの格好の標的でしょうね。お可哀そうに」
自分もかつて婚約破棄された際に、あることないことを吹聴された経験を持つだけに、エリーゼはアイリスに同情した。
「だが、今さらそんな態度取る奴いるかね? ブリックスの王妃殿下すら一目置いている上に、新しい婚約者はあの殿下だぞ」
「まあ、多少の賢さを持った貴族令嬢ならば、黙りこくるでしょうが……」
「アホは?」
「殿下に舌を引っこ抜かれるでしょうね」
幼少期からアウルスを知っているからこそ、二人はアウルスがアイリスをいかに愛しているのか、その愛の重さが既に宇宙戦艦から惑星レベルにまで拡大していることを察していた。
「あの殿下がまさかあれほどの賢女を選ばれ、夢中になるとは……なんといえばいいのか……」
アウルスは無論のこと、アイリスにも敬意と尊敬、そして忠誠を誓っているエリーゼは思わず眼がしらに熱いものを感じていた。
幼少期のアウルスはシニカルであり、エリーゼとケルトーのイチャイチャぶりを冷めた目で見ながら、時には馬鹿にし、時には笑い、創作では恋愛話を一番嫌っていたほどだった
「あのクソガキだった殿下が、まさかあんな素晴らしい女性を……」
「エリー、それ言うと不敬罪になるから訂正して」
「あの達観して、恋愛ごとを馬鹿にしていた殿下が……」
「言い方!」
本来誰かに突っ込みを食らう側のケルトーではあるが、周囲が暴走すると逆に冷静で俯瞰的になる癖があった。
それだけに、気づけばエリーゼは何故か、アウルスの成長ぶりとアイリスとの愛に感激し、エフタル公とメンブレン侯はええかっこしいしたいだけのアウルスの言動に振り回されている。
そこに諸侯嫌いのオーウェンがアウルスの行動に賛同し、父親と議論するという、異次元のような空間が形成されていた。
「勘弁してくれ。俺は自分の悪ふざけは好きだが、他人の悪ふざけは苦手なんだ」
本来、自分のテンポで歩くことを好むケルトーとしては、右往左往させられることが大の苦手なのだが、この状況を解決させる術が全く思いつかない。
エリーゼが感極まっているのは、一足先にそれを察して現実逃避しているだけであり、エフタル公とメンブレン侯、そしてオーウェンはアウルスの人となりをまだ理解していないからこそ、その真意を理解できずに振り回されているだけなのだ。
「マルケルス、エリオス、早く戻ってこい!」
思わずそうつぶやくが、さりげなくコルネリウスだけは戻ってこなくていいと毒づくことは忘れなかった。
そんな中で、一人の老人が現れたことで周囲の空気が変わる。
「ほっほっほ、どうやら……よくない空気がまとわっているようですなあ」
奇妙な声に、全員が視線を向けると、そこには奇怪な老人が杖を突いてやってきた。
その老人の顔は全てが不自然だった。
目も口も鼻も、まるで作り物かのような異形の雰囲気を出している。
かろうじて耳だけはまともではあるが、笑っているのか見下しているのか、まったく理解できない怪奇な表情に、名将であるエフタル公も賢臣のメンブレン侯も、俊英と言うべきオーウェンも黙り込んでしまった。
「はてさて、どうやらミスリルの地には面倒ごとが山積みなようですなあ。ですが、私が来たからにはもう大丈夫。統治についてはお任せいただきたい」
老人はそう言うと再び笑い始める。
「あ、あのう、失礼ですがどなたでしょうか?」
「これはこれはメンブレン侯、挨拶がまだで申し訳ございません。私、ボナール・エル・クロードと申します。以後お見知りおきを」
その名前にメンブレン侯とエフタル公が驚愕する。目の前にいる老人は、ロルバンディア大公国内務大臣にして、宰相であるケッセル侯に次ぐ、事実上の副宰相であったのだから。