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第2話 張り巡らされた糸 後編

「お手数をおかけしました」


 エリオスの旗艦、ヴァジュラの司令官室にてイラムはエリオスと共に茶をたしなんでいた。


「いや、貴官のおかげで話は進んだ。感謝するよ」


 茶を口にしながら、エリオスはイラムに礼を述べる。


「しかし、ベルナール公は参上するでしょうか?」


「それを決めるのは、ベルナール公だ」


「それはそうですが、我々の目的は諸侯らのトールキンへの参上を促すことです」


「わかっているではないか。その通りではあるが、あくまで我々の目的は促すことだけ。強制的に連れていく必要性は全くない」


 エリオスは淡々としながら、そう口にする。確かにその通りではあるが、いまいちイラムは腑に落ちなかった。


「納得できないか?」


「いえ、そういうことではないのですが、ベルナール公はこのままいくと……」


「まあ討伐対象となるだろう。だが、無理やり力づくでトールキンに連れて行ったところで同じことが起きる。それに、ベルナール公にはそんな胆力はないだろう」


 ベルナール公が口先だけの人物であることはイラムも承知している。アレックス王の不貞にも苦言をいい、かといってファルスト公の政務においても、ディッセル候の政務に対してもご意見番のごとく振る舞っていた。


「だが、口にできるのはせいぜい苦言が限界。ファルスト公やエフタル公のように直言もできず、政務を取り仕切ることもできない。ディッセル候とはまた別の意味で無能なお方だ」


「エリオス大将から見れば、ミスリル王国の貴族はみな無能に見えてしまうでしょうな」


「そんなことはない。エフタル公は立派なお方であるし、メンブレン侯も徳と道理を持ち合わせたお方だ。口先だけで自ら行動しない公爵閣下にも見習わせてほしいものよ」


 忌々しさを隠すつもりはなく、エリオスは茶を一気に飲み干す。


「確かに、ベルナール公のことなど些末なことですね」


「それに、すでに我々の目的は達成している。おかげでミスリル王国領内の航路データを手にいれることもできたからな」


 首都トールキンを占領し、交通局を制圧して主要航路のデータは入手している。だが、諸侯領に関しては手つかずであったために、アウルスはマルケルスやエリオス達に命じて、ミスリル王国全領域のデータ入手をひそかに命じていた。


「大公殿下の智謀は神算鬼謀というしかありませんね」


「まあ、これはメルキアにいるラートル参謀総長の進言だがな。それでも殿下も主要航路のデータは重んじている。諸侯らがごねるほどに、損をするのは我らではなく彼らだ」


 エリオスの指摘に、イラムも釣られて笑う。エフタル家は生き残るために半ば人質のような形で妹のアイリスをロルバンディアに向かわせた。


 アウルス大公は想像以上に聡明であり、果断であったが、エリオスやマルケルスら名将たちからの信頼と忠誠を勝ち取っている。


 何より、あのアイリスがぞっこんになっている時点で、並外れた人物であることは間違いない。


 つくづく、面白い時代に自分は生まれたとイラムは心躍っていた。


---------

「だから、私はアイリスのためにだな」


「そのために諸侯たちに意趣返しをするとは感心しませんな」


 言い訳をするアウルスに、普段から怪訝というか、奇々怪々な表情をしているボナールの顔が一層険しくなる。


「殿下はいつから暗君になられた?」


「何?」


「殿下は常々、名君であることを心掛けておりますが、それは口だけのことだったのですか?」


 ボナールの説教に、アウルスはげんなりとした表情を取った。そんな二人のやり取りを心配するように、メンブレン侯はケルトーに尋ねる。


「ケルトー大将、殿下は大丈夫なのだろうか?」


「大丈夫です。殿下にとってボナール侯はケッセル侯次いで頭が上がらないお方ですから」


 ケルトーはメンブレン侯に耳打ちするが、ロルバンディアとミスリル王国を併呑した覇王が、老人一人に説教されているのはいささかシュールであった。


「大体、アイリス様を馬鹿にするような諸侯やその令嬢などに意趣返しなど、すでに実行しているではありませんか」


「殿下、わが娘のためにそこまでのことを考えていただいたのは嬉しく思います。ですが、ボナール侯の仰るように、過分なことはかえってアイリスのためになりません」


 ボナール侯と共にアイリスの父であるエフタル公も、アウルスの考えを知ると感謝と共に諫める方に回った。


 だが、アウルスは子供のように膨れていた。


「そもそも、すでにトールキンを陥落させてエフタル公やメンブレン侯を取り立てている時点で、アイリス様は勝者でございます。そこから追い打ちをかけるのは、アイリス様の名声を損ないますよ」


「ああ分かった分かった、私の負けだ。無理な諸侯らの参上は撤回する」


「進言を受け入れてくれてありがとうございます」


 ボナール侯が頭を下げると、エフタル公もメンブレン侯も全員がホッと一息つけた。


「ところでボナール、この一連の動き中で妙なことをやっている者がいるのではないか?」


 アウルスは従卒が持ってきた炭酸水を口にすると、ボナールの目の色が変わる。


「お気づきでしたか?」


 ボナール侯が尋ねると共に、エフタル公やメンブレン侯ら全員がキョトンとした顔をする。


「いくら私が恐ろしいからと言っても、ここまで反応が鈍いというのは不自然すぎる」


「十中八九、何者かが糸を引いている可能性があります。いくら、殿下が苛烈な行動を取ったとしても、ここで参上しない方が殿下に粛清されても文句は言えませぬ。エルネストやディッセル候の処刑は、苛烈ではありましたが、大義名分としては全く問題ございませんからな」


 エルネストの朝敵認定はともかくとして、ディッセル候がアレックス王とフローラを殺害した話云々は、実際のところアウルスがミスリル王国の血脈を絶つための陰謀に過ぎない。


 だが、それが事実として公表されている以上、ディッセル候の電気椅子と三族皆殺しは妥当である。


「王殺しは大罪ですからな」


 エフタル公の指摘にアウルスもボナール侯も頷いていた。


 二人にはすでに、ディッセル候の殺害に関しては真実を伝えているが、ディッセル候のことを嫌っている二人は驚きはすれど、諫言も注意もすることなく、秘密を共有する道を選んだ。


「エフタル公は無論のこと、メンブレン侯もオーウェンの手助けもありこうして参上してくれた。そして、お二人の仲介があるにもかかわらず、参上する諸侯たちがあまりにも少なすぎる。どう考えてもおかしいだろう」


 アウルスの指摘に、ボナール侯以外の全員が深く頷いた。


「マルケルスからの報告でも、どの諸侯も異様なまでにトールキンに来ることを拒んでいる。中には、私やエフタル公、そして、メンブレン侯にも大義がないと口にしていた者までいた。ディッセル候によって失脚していたのにな」


「ベルナール公ですか」


「あの老人のことは気にするだけ無駄です。あのお方は口先だけの人物にすぎません。何しろ、ファルスト公にも噛みついていましたからな」


 エフタル公が呆れ、メンブレン侯が忌々しい口調で苦い顔をする。


「そんな奴が諸侯らと足並みを揃えて参上を拒んでいるのは一つしかあるまい」


「何者かが蠢動しているようですが、気にする必要はございません。動くのであれば、殿下が侵攻するタイミングが最上でした」


 婚約戦争が開始され、エフタル公がミドルアース星域にて決起し、アウルスがヴァレリランドを突破したタイミングでアウルスに味方でもしていれば、間違いなくアウルスは味方となった諸侯を厚遇しただろう。


「つまり、今動いているということは無駄な足掻きであり、機を逸した愚者の行動。特段気にする必要性はございませぬよ」


 ボナール侯は冷静に見解を述べると、アウルスも不適に笑う。


「エフタル公、メンブレン侯、安心していただいて大丈夫ですよ。ボナール侯の言葉で殿下が笑っていれば、それはいいことですから」


 付き合いが長いはずのケルトーも、ボナール侯の表情は時たま読めないことがある。


 そのために安堵していいかの判断は、アウルスが笑っているかどうかを判断にしていた。


「殿下! 大変です!」


 エリーゼが血相を変えてやってくると、アウルスよりも先にケルトーが立ち上がった。


「どうした?」


「あなたにではありません! そういうのは家でやることです!」


 どさくさに紛れてエリーゼの胸を掴んでいるケルトーに、エリーゼは遠慮することなく顔をひっぱたいた。


「エリーゼ、いったい何があった?」


「それが、レフレックス領よりメンブレン侯の身柄を引き渡して欲しいと、商人たちがトールキンにやってきたとのことです」


「なんですと?」


 メンブレン侯が焦る中で、ボナール侯とアウルスは笑っていた。


「殿下、これはどうやら好機かもしれませんな」


「そうだな、これはレフレックス星域の者たちだけではなく、ミスリル王国の民に私の方針を伝えるチャンスだろう」


 アウルスがそう答えると、ボナール侯はさらに愉快そうに笑っていた。その奇怪で面妖な笑顔に、エフタル公は懐疑し、メンブレン侯とオーウェンは複雑な心境でそれを眺めていたのであった。

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