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第155話……宰相と宰相

 アーデルハイトの微笑に意味があったのかなかったのか、馬車はとある貴族の家の前で止まった。

 その邸宅の門は厳めしく、その家の主が高貴な家柄であることが感じられる。


「アーデルハイト、この家の主は誰だ?」


「先の宰相であらせられるフィッシャー卿の邸宅でございます」


「……なるほど」


 フィッシャー卿は下級貴族の生まれ、若くして各地へ役人として赴任。

 その働きが認められ、王宮の官吏として宰相まで出世した人だった。


 伏魔殿である王宮で、武官ではなく文官として出世するには、真面目に仕事をこなすだけではダメなはずだ。

 いろいろな政治的な駆け引きを生き残ってこその宰相の地位だったはずなのだ。


 また、今回の訪問は深夜遅くであるが、今の宰相と昔の宰相の秘密会談といった感じだ。

 むしろ、夜遅くがふさわしいとも思えたのであった。



「どちら様でございますか?」


 先の宰相宅を訪ねると、可愛らしいメイドが出迎えてくれた。


「夜分遅く申し訳ない。先の宰相様にお話があるのだが……」


 私が身分を明かすと、メイドは大急ぎで主人のもとへと飛んで行った。



「どうぞ、こちらへ」


 しばらく待つと先ほどのメイドとは違い、老齢の執事が私を出迎えてくれた。

 小さな燭台の明かりを頼りに廊下を進み、フィッシャー卿の部屋に案内されたのであった。



「ようこそライスター子爵殿。ワシはもう隠居の身ゆえ、お祝いの席にいけなくて申し訳ない」


「いえいえ、お構いなく」


「さて、ご用は何ですかな?」


 薄明りの中で、フィッシャー卿は顔に皴は深く白髪であったが、その眼光は鋭かった。


「えっと、実はぶしつけながら、お願いがありまして……」


 私は前線で指揮を執っている間に、後方の王宮でのいざこざに関わりたくない旨を伝えた。

 安心して前線で戦うために、長年王宮勤めのあるフィッシャー卿に、ご助力願いたい旨を伝えたのだった。


「ふむう、構いませぬが、一つこちらのお願いも聞いていただけませぬか?」


「もちろんです」


「卿に、お願いしたいことは……」


 フィッシャー卿はゆっくりと私に話し始めた。

 彼の子供は女性が四人に男性が一人であり、その一人の長男が討ち死にしている。

 それゆえ、家督相続は長男の子である幼い孫にしたいのだという。


 そして先日、王宮から孫への家督相続の許しが出たらしい。

 だが、貴族が家督を相続する場合には、見届け人を立てるのが常だった。


 この見届け人、じつは新たな当主の後ろ盾という役割もあった。

 そして、その見届け人を私にやってほしいとのことだったのだ。


「……え? 私は子爵風情にしかすぎませんよ?」


 フィッシャー家は由緒ある宮中伯であり、より上位の爵位を持つ侯爵などが順当。

 まさか辺境を領地とする子爵風情が、見届け人になるなど考えられないことだった。


「いやいや、ライスター家は我が国の宰相であるだけでなく、ケード連盟の宰相でもあらせられる。さらに、南東の未開地を開発して財を成したリルバーン家と懇意でござろう?」


 今の私の地位は宰相であり、その地位は王に次ぐ。

 だがそれは宰相の任期だけで、任期が切れればただの子爵の身分なのだ。

 それを説明しても、老人の考えは変わらなかった。


「卿はきっとワシの宮廷での政争の腕を買ってくれたのだろう? そのワシが最も投資するに値する貴族が卿なのじゃよ。前々からお近づきになりたいと思っていたが、自らやってきてくれるのはのう……」


「……あ、ははは」


 私は褒められるのは嫌いではない。

 我々の利害は一致し、双方の要件は合意に至った。

 だが、この翁と付き合うのはなかなか一筋縄ではいかないようにも感じたのだった。



「では、これからよろしく頼みますぞ!」


「はい、こちらこそ!」


 口約束など何の役にも立たない。

 私はペンと羊皮紙を借り、フィッシャー家の家督相続の見届け人になるという旨の証書を作成したのだった。


「……たしかに。あとは委細任せられよ」


 老人はそれだけ言い、にやりと笑った。


「子爵殿、いい葡萄酒があるのじゃが、いかがかな?」


「いえ、もう夜が遅いので、またのご機会にご馳走になりまする」


「そうか」


 その後、私は丁寧な見送りを受け、馬車で帰路についたのであった。




◇◇◇◇◇


 馬車は大通りを抜けたが、窓の外を見るに、どうも私の公邸に向かっている風ではない。

 どうやら、武官たちの家々がある訓練場の方向へと向かっているようであった。


「うん? この馬車はどこへ向かっておる?」


「私の私邸にございます」


 アーデルハイトがしれっと言った。


「いや、私は明日も早いのだが……」


「御屋形様、こんなに前宰相ととんとん拍子に話がすすむのは、少し都合がよすぎると思いませんか?」


「あ、そういうことか……」


 彼女は私が困っていることを見抜き、さっさと手をまわしてくれていたようであった。

 逆に、翁から彼女に近づいてきた可能性もある。


 そもそも彼女は、田舎に領地を持つとはいえ、生まれながらに根っからの貴族であるのだ。

 たぶん、この馬車の御者も買収されているに違いない。

 ここは彼女の言うとおりにするのが無難と言えたのだった。


 馬車はその後、アーデルハイトの秘密の私邸へ。

 私は明け方に開放され、眠い目をこすりながらに自分の公邸に帰ったのであった。


 それから五日後――。

 女王陛下のご助力もあり、フィッシャー卿は侍従長に就任。

 見事に王宮の有力者に返り咲いたのであった。

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