「ありがとうございました!」
「はい、また明日ね」
アルトは、授業が終わると同時に長の家を飛び出しマーサさんのところへと向かった。サナをもうしばらく預かっていてもらえるように、伝えておかないといけない。
太陽が赤く水平線の向こうに消えようとしている。タイムリミットはそんなに無い。アルトは今から森へと向かわなければいけなかった。
「マーサさんすみません!」
「わかったわ!」
「早くないですか!?」
あまりにも早い返事にアルトは驚く。まさかそんな即答されるだなんて思ってもいなかった。アルトがマーサさんを見ると、ふふふと笑いながらサナにバオルの実を飲ませていた。
「長から聞いていたのよ」
「あー……なるほど」
キシリアはサナをマーサさんの家に預けに行っていたその時に話をしたのだろう。ちゃんとマーサさんに伝えてあるならアルトに言えばそれで済むのに、言わないということはアルトを揶揄っているのかもしれない。
「くそ、また長に遊ばれてる!」
「あの人もね、アルトちゃんが可愛いからこういうことをするのよ。昔はもっと淡々とした人だったわ」
「えっ……本当ですか?」
常に真面目なキシリアのことをアルトは想像が出来なかった。大事なこと以外では常に飄々と笑っている人だ。頭に浮かぶ顔は大体笑った物ばかりだ。
「そうよ、だってこの島の皆をまとめようとしていたんだもの!」
「確かに、大変そうですね……」
頭の中では、嵐が過ぎさった後の宴会が浮かぶ。鳥人は空を舞い、狼人と猿人は炎を囲んで踊り狂っていた。そんな人達をまとめるのは骨が折れるだろうな。
「ふふ、そうね。でも、皆が本当に一つになったのはアルトちゃんが来てくれてなんだよ?」
「……そうなんですか?」
「そうそう、それまではお互いに色々あったしねぇ」
それは初耳だった。マーサさんが過去を懐かしむような目をしている。その目は少しだけ潤んでいるような気がした。
マーサさんをぼーっと見ていると、キシリアの言葉が頭に浮かんできた。
──君を王子にした方が皆がまとまるからだよ。確かに、キシリアはそう言っていた。
「あの──」
喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。──昔、何があったんですか? そう聞こうとして、足が震えていることに気付く。
──そうか、怖いんだ、皆の過去を聞くのが。皆に対する想いが変わってしまうのが。聞けば、僕は変わってしまう。今までと同じ様に接することが出来ないかもしれない。それがどうしようもなく怖いんだ。
「うん? どうしたの?」
「……そろそろ行きますね、時間が無いので」
そうだ、もう太陽が海の中に沈んでしまう。その前にやることをやらないと罰で掃除だ。
「ええ、そうね。行ってらっしゃい」
急に話を変えられたからか、マーサは少し戸惑っていた表情を見せた。これで誤魔化せたはずだ、とアルトは内心で息を吐く。
──皆のことを聞くのは、僕が大人になってからにしよう。
アルトはそう決めて、イガの実を森へと取りに向かった。。
「だーだー!」
「ああ、ちょっと待っててね」
今、アルトは自分の家へと帰ってきていた。家とは言っても、寝る為の床と物を入れる箱があるだけだ。それ以外は何も置いていない。
床の上に座りながら、アルトはイガの実から生えている棘を抜いていた。抜いたそれらを柔らかい草で巻き付けていく。
明日することは、もしかすると卑怯と呼ばれる行為かもしれない。だけど、普通に戦っていては絶対に勝ち目が無い。なら、その戦いを普通じゃなくせばいいだけだ。
「ウルズ、明日は勝たせてもらう!」
「だー!」
「はは、サナも応援してくれているし、絶対に勝たなきゃな!」
こうして、アルトは眠るまで作業を続けた。
「おはようございます」
「おはよう。さて、君がどういう作戦を選んだのかを見せてもらうよ」
朝、アルトとキシリアは昨日ウルズと戦った場所で挨拶を交わした。昨日と違い、今日は朝からに時間を指定してある。
「ふわぁっ、眠いっペぇ……」
目を手の甲で擦りながらウルズは現れる。アルトはウルズの弱点を知っている。──こいつは朝に弱いと!
「なんでまた朝からやるんだっぺぇ……」
「万全の状態で戦ったら負けるだろ!」
そう、ちょっとでも勝率を上げる為に色々とやるべきことがある。正面での戦いで勝てないのは目に見えているからな!
それと、夜間の戦いでもこっちが不利だ。相手は闇の中でも目が見える。だから、朝に勝負を挑んだというわけだ。
「まぁまぁ、一戦が終わったらまた寝てもいいからさ」
「早く終わらせるっペ」
お、こいつ。眠いからって調子に乗ったことを言っているな。今からその目を覚まさせてやる。
勝てる勝負だと思って、ウルズはアルトの懐が膨らんでいることに気付いていない。
「それじゃあ、始めるよ」
アルトとウルズは、森の中で見つめ合い、キシリアの合図が下るのを待った。
「はじめ!」
その言葉と共に、ウルズが視界の右端に消えた。アルトの視野の外にするっと逃げる動き。それを繰り返されると、アルトはウルズを視界に捉えることも出来なくなる。
アルトが右を向いた時にはもう、そこには誰もいなかった。背後から「ふわぁっ……」と欠伸の声が聞こえてくる。──まずい、そう思った時にアルトはもう左へと避けていた。
びゅぉっ、とさっきまでアルトがいた場所に風が走る。ウルズが一本目を取りに来ていた。
「あれっ、外したっぺ?」
バクバクと心臓が跳ねる音が聞こえてくる。欠伸が聞こえてなければ、この時点でもう一本を取られていた。
……昨日よりも速い!? さてはこいつ、昨日は手加減してやがったな!?
今日は早く寝たいという欲望のままに戦っているのだろう。そのせいか、いつもより動きのキレがいい。
……これはまずいか? アルトは頭の中で計算をする。
この状態のウルズに僕の作戦は通用するだろうか? ここは甘んじて負けを受け入れて次にした方がいいんじゃ?
「ぶー!」
サナの声が辺りに響いた気がした。サナは朝起きた時に寝ていたので、家で寝かせてある。それなのに、こんなところまで声が聞こえるわけが……違う、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「そうだよな、僕は君を守るって言ったんだから」
そのために強くなると決めたんだ。負けを受け入れるのが強さに繋がるとは思えない。昨日、長は言っていた──負けを糧にするのが持たざる者だと。
アルトは、服の中から昨日作った物を取り出し、自分の後ろに半分程ばら撒いた。
「次は外さないっペ!」
そして、視界からウルズは消える。そして──。
「──痛ァァァァァァァ!?」
「そこだっ!」
アルトは後ろを振り返り様、手に持っている棒で大声を出しているウルズを叩いた。
「アルトの勝ち!」
「……勝った」
「なんだっぺこれ!」
アルトの後ろにはイガの実の棘を固めた物が沢山転がっている。裸足で踏めば激痛が走る代物だ。アルトはこの為に厚手の草履を履いて来ている。
これは、アルトが自身よりも速いウルズを止める為に編み出した物だ。最初はウルズの移動方向を制御する為に撒こうとしていたが、勝負を急ぐウルズならばそれ以上の成果が見込めると踏んで撒き方を変えることにした。
「何って……罠?」
「うん、罠だね」キシリアがうんうんと頷いている。
──よかった、僕の作戦は間違っていなかったようだ。ウルズは棘の刺さった足を抑えていた。流石にやりすぎたかもしれない。
「あの、大丈夫?」
「うん、大丈夫だけどんも、まさかこんな手段を取られるとは」
「いや、やれることをやったらこうなったと言うか……長、これで宿題は正解ですか?」
アルトはキシリアの顔を見る。すると、キシリアは目を閉じてうーんと悩んでいた。そして、パッと目を開くとアルトをじっと見た。
「50点、かな」
「ごじゅ?」
勝ったから100点だと思っていた。どこが悪かったのかわからない。
「長も厳しいっペぇ……勝ったからもっとよくていいんじゃ……」
ウルズの声にキシリアは首を横に二回振った後、「だって、君が普段の戦いをしていたら効かなかったでしょ」と言った。
「そう……です」
言われてみれば、今回は自分を倒しに来てくれていたからたまたま刺さっただけだ。昨日みたいにのらりくらりと躱されていたら勝ちはなかったかもしれない。でも、これが正解だと思っていたのに、更に上があるなんて想像も付かない。
「じゃあ……正解はなんなんですか?」
「アル、やめるっぺ」
ウルズの言葉を無視しながら、アルトはキシリアを睨む。満足のいく答えが出なければ、とことんまで問い詰めてやる。そう思って聞いてみたが、キシリアは顔色一つ変えない。
「罠まではよかった。それが50点。だけど、一つの罠だけしか考えていないのがダメだ」
「それは、どういう……」
「見せ罠と本命の罠、そしてそれがダメだとしても逃げて引き分けに持っていける案を裏に残しておく。ここまでしてようやく100点」
「見せ罠……本命罠?」
そんなことをいきなり思い付くわけがない。それで、これは元々出来るわけがない宿題なのだと気付く。
「無理ですよ、僕は長じゃないんです」
「アル、次の戦いに行くっペ。次は負けないっペ!」
自分はキシリアのように頭が切れるわけじゃない。相手の気持ちが読めるわけでもないし、そんなことが出来る訳がない。それなのに、なんでこんなことを言われなきゃいけないんだ。
アルトの中に苛立ちが膨れ上がっていく。ウルズから一本を取った時の喜びは、もう既に失われていた。
「君なら出来る、何故なら持たざる者だからだ」
「それは……才能が無い者というだけでしょう!」
「アル……」
ウルズの声が遠くに聞こえるような気がする。身体が熱い、今すぐこの場から逃げ出したい。逃げて、サナに会って癒されたい。
「アルト、君の頭は何のために付いているんだ?」
キシリアの言葉にアルトは自分の家へと駆け出した、今はこの場所に居たくなんかない。
「長! 言いす──」
「──がないんだよ」
──後ろから声が聞こえたが、アルトは耳に蓋をして走る。今は、誰にも会いたくなかった。