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謳歌②

自室で白いゲーミングチェアに座り、壁に取り付けられた木製のテーブルに向かう、ホラー作家・夜宮やみや シオン。両耳に無線イヤホンを装着している。テーブルの上にはラップトップPCと、大きなモニター。モニターの中央には横書きで文字が書かれた文書が表示され、右端の小さいウィンドウに30代前半の男性編集者・久世くぜの顔が映っている。


シオンと久世は、およそ1時間にわたってオカルト雑誌『パラノーマル・スクープ』の来月号に掲載するホラー小説のアイデアを話し合った。結果、「主人公がゾンビ化した恋人を射殺して火葬し、出た骨から取った出汁でスープを作り、友人の結婚式で振る舞う話」に決まった。



久世「ちょっと難しいテーマかもしれませんが、シオン先生ならいけますよね?」


シオン「まぁ、そうですね。やってみます」


編集者「行き詰まっちゃったらすぐ相談してくださいね。それから今週の予定ですが、明日は黄泉國屋よみくにや書店でサイン会、水曜にWebメディアに掲載するインタビューが2件、木曜に雑誌用のグラビア撮影が3件、金曜にテレビ番組の収録があります。結構キツキツなので、締め切りに間に合わなそうな場合もすぐご連絡ください」


シオン「わかりました」


久世「……やっぱ先生、忙し過ぎじゃないですかねぇ?執筆以外の仕事はもう少しセーブしたほうが」


シオン「いやいや、これくらい何てことありませんよ。個人事業主は稼げるときに稼いでおかないと」


久世「そうですかぁ。でも無理は禁物ですよ。特に、執筆が後回しにならないようにしてくださいねぇ。そうじゃないと先生、タレントになっちゃいますから」


シオン「タレント……それもありですね」


久世「勘弁してくださいよぉ。先生の小説と写真目当てで『パラノーマル・スクープ』を買ってくれる読者も多いんですから」


シオン「ふふふ、冗談ですよ。来週末までには初稿を送りますので」


久世「さすが先生!速筆ぅ〜!」



久世との打ち合わせを終え、シオンは背もたれによりかかると、両腕を頭の上に伸ばした。



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2日後 PM 0:15

黄泉國屋書店 新宿本店にやってきたシオンと久世。店頭で、黒縁メガネをかけた細身の、50歳前後と思われる男性店長が出迎えた。


控え室へ移動する途中、店長はシオンに対して「わざわざ先生に来ていただけるなんて、恐悦至極」「才色兼備とは、先生のためにある言葉」などと、媚びを売り続ける。


シオンは現在、最も乗りに乗っている作家の1人。1年ほど前、20歳のときにホラー小説の新人賞を獲得。授賞式の写真がSNSで拡散された。その写真と、シオンの作品を見たネットユーザーが「こんなにもかわいい人から、こんなにもグロテスクな作品が出力されるギャップよ」と話題にし始め、作品以上に作者であるシオンが注目されるようになったのである。


様々なメディアに引っ張りだこなシオン。その宣伝効果は凄まじく、シオンのデビュー作は発売前から重版がかかり、リリース後は2週間で40万部以上売れた。衰退化が進む出版業界において、シオンは新しいムーブメントを起こしうる貴重な人材。そのため関係者の多くが自然と、この店長のような態度になってしまう。



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PM 0:58

書店内の一画に置かれたサインイベントブース。中央に置かれた椅子に座るシオン。目の前のテーブルの向こうには、シオンの処女作にしてベストセラー『自惚れと色眼鏡とゾンビと血尿』を持ったファンが長蛇の列を作っている。


2分後にサイン会が開始。シオンは本にサインするだけでなく握手や軽い談笑もし、1人ずつ丁寧に対応していく。ファンサービスの良さも、シオンが高い人気を集めている理由の1つ。


37人目のファンは七三分けの髪型にスーツを着た、カッチリとした印象の男性だった。男性は本の中表紙を開く。シオンがサインをし始めると同時に、男性は雪のように真っ白な歯をむき出しにして笑った。



男性「シオン先生と会えてうれしいですぅ〜。先生のことを知ったのは小説じゃなくて写真だったんですけど、『こんな素敵な人がいるんだぁ〜』って、衝撃的でぇ〜。本当に感激ぃ〜」



男性のテンションは異様に高い。見た目の年齢より遙かに若く感じる。しかしシオンは、「それほど自分のことを思ってくれているファンなのだろう」と好意的に捉えた。



シオン「ありがとうございます。雑誌とかネットの写真を見てファンになってくれたって方、すごく多いんですよ。でも私は作家ですから、書いた小説で人々を魅了しなければと思っています」


男性「先生のことを見ない日はないってくらい人気ですもんねぇ〜。あっ、小説も最高で、売れてる理由がよくわかりますぅ〜。私、11回も読み直しちゃいましたぁ〜」


シオン「そうでしたか。作家冥利に尽きます」


男性「先生のことを知れば知るほど、私、って気持ちが強くなってぇ〜」


シオン「あはは。そこまで言ってくださる方は初めてです」



シオンはサインを書き終えて男性に本を手渡すと、右手を差し出した。男性も応えるように右手を伸ばす。直後、男性の人差し指の爪の隙間から、ネクロファグスが這い出た。ネクロファグスはシオンの薬指の爪の間に体をねじ込み、指先の肉を突き破りながら体内に侵入する。


ネクロファグスの全身がシオンの体の中に入ったと直後、男性は糸が切れた操り人形のように力なくその場に崩れ落ちた。スタッフが男性に駆け寄って体を揺さぶるが、反応はない。


店長が青ざめた表情で警察に電話を入れる。並んでいたファンたちも異変に気づき騒然とし始めた。混乱するサイン会場で、唯一シオンだけが静かに小さく笑みを浮かべていた。



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PM 2:13

通報を受け、黄泉國屋書店にやって来た刑事、魔鍋まなべ タッペイと坂鬼さかき ハヤト。規制線をくぐり、鑑識が写真を撮影している遺体の顔を確認する。遺体は、2人が先日から捜査していた行方不明中の篠皮しのかわ コウジに間違いなかった。

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