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謳歌③

 照明器具が囲む白い壁の前で、オレンジ色の傘を右肩に担ぎながら微笑む夜宮やみや シオン。薄いナチュラルメイクと水色のドレスでおしゃれに着飾っている。


 シオンに様々なポーズを要求しながら、「意中の男を誘惑するような目つきで!」「一番嫌いな人の訃報を聞いたときような笑顔で!」と、小太りでブリーフ一丁の男性フォトグラファーが一眼レフカメラで写真を撮っていく。


 シオンの体を操り、ネクロファグスは「かわいすぎるホラー小説家」としての生活を謳歌していた。人並み以上に美しいルックスを持っているため、写真や動画撮影のオファーが殺到している。そんな人間がこの世に何人いるだろうか。言い寄ってくる男性が日に3人はいるが、すべて断り、プライドをへし折ってやる快感も堪らない。さらに「作家」という肩書きがあり売れっ子でもあるため、会う人全員に「先生」と敬われる。


 ネクロファグスが寄生憑依する前に予想していたとおり、夜宮 シオンというは「安全」以外のあらゆる欲求を満たしてくれるオマケつき。やがて「人間への報復は少しだけ中断して、しばらく夜宮 シオンとして生活を続けよう」と考えるようになった。



−−−−−−−−−−



1週間後

 自室のゲーミングチェアに腰掛けてグルグルと回転しながら、口元を覆い隠すくらい大きなペロペロキャンディーを舐め回すシオン。脳内に寄生したネクロファグスがシオンの身体能力を限界まで引き出すことで、舌の動きが超高速化。体に悪そうな青色のキャンディーが早送りしているかのように消滅していく。


 キャンディーを舐め切ったと同時に、脇のテーブルに置いていたスマートフォンが鳴動した。画面には「久世くぜさん」という文字が表示されている。


 シオンはスマートフォンを手に取り、右耳に当てて「はい?」と通話を始めた。男性にしては高い久世の声が鼓膜を揺らす。



久世「電話してしまい、すみません。原稿の進捗いかがです? この前の打ち合わせのとき、今週中にはいただけるとおっしゃってましたが、まだ届いてないので」



 心臓がドキリと大きく鼓動するシオン、否、ネクロファグス。シオンに寄生憑依してから、写真撮影やインタビュー、テレビ番組の収録など承認欲求を満たせるような仕事しかしていなかった。しかし、シオンの本業は小説家。小説を書くという地味で地道な作業もしなければならない。そのことはネクロファグスも理解していたはずだが、楽しいことばかりを優先して小説には一切手をつけていなかった。


 必死で言い訳を考える。



シオン「あっ、そうでしたねぇ〜。でも、最近ちょっと忙しくてぇ〜。それとぎっくり腰をやっちゃってぇ〜。原稿、全然進んでないんですよねぇ〜」


久世「ぎっくり腰!? 大丈夫なんですか!?」


シオン「はいぃ〜、もうだいぶ良くなりましたぁ〜。ただ、原稿のほうはもうちょっと時間を欲しいんですよねぇ〜」


久世「わかりました。締め切りはまだ先なので大丈夫ですよ。ですが、そうですね……5日後までにはいただきたいです」


シオン「5日後ですねぇ〜、了解ですぅ〜」



 通話を終えるシオン。スマートフォンをテーブルに置き、ラップトップPCを起動。文書作成ソフトを探して、立ち上げた。作成途中の文書を見つけ、画面に表示させる。ここまでは、過去に寄生憑依した人間の体を使って何度もやってことがあるため、造作もない作業だった。


 早速原稿の執筆に取りかかるが、30秒足らずでキーボードを叩く手が止まる。


 書けない。これまで万単位の人間の体に入り込んで生活や仕事をしたネクロファグスだが、小説を書いた経験はなかった。しかも、途中まで他人が書いた小説の続きを書くというのは、ゼロから書き上げるのとはまた別の難しさがある。既に書いてある文章をすべて読み直し、矛盾がないようストーリーを考え、それでいて読者がお金を払ってでも読みたいと感じるクオリティに仕上げる……ネクロファグスには高すぎるハードルだった。



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5日後 PM 11:23

 残り40分ほどで締め切り日を過ぎてしまう。だがネクロファグスは1文字たりとも書き進められずにいた。


 夕方頃からスマートフォンに、久世からの原稿を催促する入電が15分おきにあり、ネクロファグスの精神を追い詰めていく。


 スマートフォンが28回目の鳴動。ネクロファグスはシオンになりすまし、電話を受ける。



シオン「はいぃ〜」



 家族を人質に取られているかのように、焦った声で久世がまくし立てる。



久世「先生! 原稿どうなってます!? もう締め切り過ぎちゃいますよ! 早くしてくれないと雑誌が印刷できなくなっちゃいます」


シオン「いやもう少しでしてぇ……」


久世「今まで1回もこんなにギリギリになることなかったのに、どうしちゃったんですか!? ぎっくり腰はもう良くなったって言ってましたよね!? 何かモチベーションが下がることでもありましたか!?」


シオン「えっとぉ……なんていうかぁ……」


久世「こんなふうに仕事を進められると、僕だけじゃなくて編集部にも、印刷所にも迷惑がかかるんです! わかってますか!? きちんと自己管理してくれないと困るんですよぉ!」



 シオンの眉間に深いシワが入る。



久世「先生は売れてるとはいえ、まだ新人なんですからね! 締め切りを平気で破れるような立場じゃないってことを自覚してください! この先も作家を続けていくなら、関係者の信頼を得ていかないとダメなんです! それには小説の質よりも、締め切りを守るとか、レスポンスを早くするとかっていう基本的なことにこそ意識を向けなきゃいけないんですよぉ!」



 シオンはスマートフォンを握る力を強めた。画面にひびが入る。



久世「小説を書く大変さは僕もわかってます! でも今回の原稿は4000字程度だったはずですよ! その程度も書けなくなっちゃったんですか!? この際、正直なことを言わせてもらいますけどね、先生は顔が良いから注目されて本も売れてるだけで、作品単体での評価はイマイチなんです! だから低品質でもサクッと仕上げて納品する! それが重要なんですよ!でなければ、先生は1年後には業界から消えて」


シオン「うるせぇんだよクソ虫が! 眼球えぐり出して左右入れ替えられてぇのか!? あぁん!?」



 シオンは大声で怒鳴ると、スマートフォンを床に叩きつけ、横に真っ二つに破壊した。そして椅子から立ち上がり、クローゼットの中からグレーの野球帽とサングラス、マスクを取り出して装着する。ドスドスと足音を鳴らしながら玄関まで行き、靴箱の上に置いていた黒い大きなビニール袋を引ったくるように手に持つと、扉を開けてマンションの共用部に飛び出した。



シオン「クソッ! クソッ! クソッ! 何なのよこのぉ〜。飛んだハズレ物件じゃ〜ん。もうイヤだぁ〜。人間になんか憑依しないぃ〜。やっぱ怪異しか勝たん。次は絶対に怪異に憑依するぅ〜。オバケには仕事がないからぁ〜」



<謳歌-完->

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