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殺し屋に恋はいらない②

PM 0:26

市目鯖しめさば高校 屋上

 金網にもたれかかり、コロッケパンを頬張るミキホ。彼女の右隣ではマメオが紙タバコを吸い、金網の外に向かって鼻と口から勢い良く煙を吐く。



マメオ「どうします組長? 他に作戦はありますか?」


ミキホ「いま考えているところだ。それよりお前、腕は大丈夫なのか?」


マメオ「はい、このとおり!」



 マメオは左腕を顔の高さに上げ、ミキホに見せつける。シゲミの靴箱に仕掛けられていたギロチントラップにより切断されたマメオの左手首だったが、何事もなかったかのようにくっつき、指先までスムーズに動いていた。



マメオ「家庭科の先生に頼んだら、皮膚だけじゃなく筋肉、血管、神経、骨まで縫合してくれました」


ミキホ「何で家庭科の教師やってんだよ。日本の医療に貢献しろ」


マメオ「組長、俺のことも家庭科の先生のこともどうでもいいんすよ。今はご自分の恋のことだけに集中してください」


ミキホ「……だな。こうなったら、俺が自ら行動を起こすしかねぇ。まずはセックスシンボルシゲミを誘き出し、2人だけの状況を作る」


マメオ「具体的には、どうするんで?」


ミキホ「そうだな……ハードコアシゲミの好きな食べ物を調べる。それでヤツを釣り上げるんだ」


マメオ「なるほど、さすがは組長だ。人間に有効だとは思えない誘き出し方ですが、シゲミは血に飢えたイタチザメも同然……間違いなく引っかかるでしょう」



−−−−−−−−−−



PM 0:57

2年H組教室

 教室中程の席でお弁当を食べていたサエの隣にミキホが座る。シゲミが所属する心霊同好会のメンバーであるサエなら、シゲミの好物を知っていると踏み、聞き出そうと考えたのだ。


 ミキホにとってサエは、純粋に友人として心置きなく接することができる数少ない学校関係者。嘘偽りなくシゲミの情報を渡してくれると期待していた。しかし、その当ては外れることになる。



サエ「シゲミの好きな食べ物ぉ〜? う〜ん、なんだろ? 何でも食べるけど、何が好きかは聞いたことないなぁ」


ミキホ「すき焼きを食べてるのは見たんだが、具がたくさんあってどれが好みなのか全くわからなかった……頼れるのはサエだけなんだ! よく思い出してくれ! ちょっとした会話で何か言ってなかったか? 明らかに食べる速度や量が桁違いだったものはなかったか?」


サエ「う〜ん……」


ミキホ「もしくは、他に知ってそうなヤツはいるか?」


サエ「いないと思う。シゲミって、心霊同好会のメンバーが人生で初めてできた友達って言ってたし、その中で一番シゲミと仲良いのが私だし」


ミキホ「くそっ! ミステリアスシゲミめ……その謎多きところもまた魅力ではあるが」


サエ「あっ、そういえば冷や奴食べてるのなら見たことある。しかも2回」


ミキホ「冷や奴……」


サエ「好物かどうかはわからないけど、嫌いではないんじゃない? 冷や奴」


ミキホ「冷や奴だな。ありがとう、サエ。今日中に情報料50万円をウチの組の者に用意させる」


サエ「わ〜い! 50万儲けた〜! 多分お父さんの月収より多い〜!」



−−−−−−−−−−



PM 1:25

 3階廊下の床に置かれた、醤油がかかった一丁の豆腐。豆腐には釣り針と糸がついており、糸は廊下の突き当たりまで伸びている。その先には、釣り竿を握りるミキホ。冷や奴を餌にシゲミを釣り上げるつもりだ。


 そのまま2時間半ほど粘ったミキホだが、釣果はゼロだった。



−−−−−−−−−−



PM 4:18

 授業が終わり、校舎内にいる生徒はほとんどいなくなっていた。シゲミも帰宅してしまった可能性が高い。が、一縷いちるの望みにかけて、ミキホは2年C組の教室へ向かう。もしかしたら教室にシゲミだけが残っていて、告白する絶好のチャンスが訪れるかもしれない。


 C組が近づくに連れ、鼓動が速くなる。鼓動に合わせて、廊下を歩く速度も上がる。


 教室の前側の扉が開いていた。中を覗くミキホ。教卓の目の前の席、上半身を机の上に乗せ、顔を右に向けるシゲミがいた。両目を閉じ、背中がゆっくりと上下に動いている。


 殺し屋であるシゲミが寝息を立てているとは、ミキホとしても想定外。まるで赤子のように無防備だ。もしシゲミを殺す仕事を請け負っていたとしたら、今こそこの上ない機会だろう。しかし、ミキホの目的はシゲミの暗殺ではない。告白すること。


 一方で、ミキホの脳裏にある考えがよぎる。



“今のシゲミになら、告白を通り越してキスすることも可能なのではないか?”



 その薄い唇はつやがあり、ミキホを静かに誘惑している。腹の奥で湧き上がる情欲が、抑えられなくなる。


 このままシゲミの唇を奪うか、起こして想いを伝えるか。きちんとした恋愛のステップを踏むなら、優先すべきは後者。だが、想いを伝えた結果、永遠にキスを交わすことができなくなることもあり得る。一瞬にしてあらゆる思考を展開するミキホだが、答えがまとまらない。


 こんなときこそ、生成AIの出番だと思い直り、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。



“気持ちはわかりますが、基本的にはNGです。


理由はシンプルで、「キス」は相手の身体に触れる行為であり、明確な同意が必要な行為だからです。告白する前は、相手があなたに恋愛感情を持っているかどうかはまだわかりません。その状態でキスをするのは、相手にとって「突然の侵害」や「怖い」と感じさせてしまう可能性があります。


つまり、「好き」の気持ちを伝えるよりも先にキスをするのは、相手の気持ちを無視した一方的な行動と受け取られるリスクが高いんです。”



 生成AIの回答は、至って冷静かつ論理的だった。しかし、人間はいつでも論理的に判断し行動するわけではない。本能に従ったことで最善の結果にたどり着けることもある。そう考えたミキホは、スマートフォンをポケットに仕舞い、足音を立てないよう慎重にシゲミへと歩み寄る。そして片膝をつき、自らの唇を、シゲミの妖艶ようえんな唇へと誘った。


 心霊同好会以外に友達すらいないというシゲミの唇は、間違いなく誰も開けたことのない神秘の門。その門に、ミキホが初めて手をかけることになる。しかし彼女は、手をかけるだけでは満足できるほど淡白ではない。門を舌でこじ開け、ねじ込み、その先にある楽園を堪能しなければ、暴走する感情は収まらない……悪い子だ。


 ミキホの脳内は、着々と「絶頂の天国ヘブン」へと変貌していった。


 あと3秒で唇と唇が触れ合う。3……2……1……ミキホの心の時計がゼロを指し示そうとした。そのとき、シゲミの両目が開いた。



シゲミ「ミキホちゃんだったのね。私の周りを嗅ぎ回ってたのは」



 ミキホの心臓が飛び上がる。その動きに連動してか、体が大きくのけぞり、ミキホの唇はシゲミの唇から遠く離れた。まるで堕天使が楽園から追放されたかのように。


 ミキホは真後ろにあった机と椅子を倒す。その音を号砲に、シゲミが椅子から立ち上がり、ミキホを見下ろした。



シゲミ「朝から誰かに監視されているような気がしていたの。ミキホちゃん、要件は何?」



 シゲミの目には、僅かに殺意がこもっている。殺し屋がターゲットを狙うときの目。ヤクザとして人の生き死に関わってきたミキホにはわかる。


 さっきまで「攻め」だったミキホの唇は震え、自分を「守る」ために動いた。



ミキホ「お、お前にか、怪異の暗殺を依頼したくて」


シゲミ「なら私の唇を奪おうとしたのはなぜ? そんなことする必要ないわよね?」



 ミキホの溢れんばかりの欲情は、すべてシゲミに見透かされていた。



シゲミ「私を校舎裏に呼び出そうとするチンピラがいたり、靴箱の仕掛けが作動していたり……誰かが私を恋愛対象として見ている。冷や奴での釣りは意味がわからなくて、仮説に対して少し疑念がわいたけど、無防備で教室にいたら本人が引っかかると思って待ってた。そしたら案の定ってわけ」



 ガチガチと歯を鳴らすミキホを見つめながら、シゲミは続ける。



シゲミ「そんな遠回りなことしなくても、素直に気持ちを伝えてくれれば良かったのに」



 その一言を聞いたミキホは安堵する。そして光の速度で立ち上がり、頭を深く下げ、右手を差し出した。



ミキホ「爆弾魔シゲミ殿! 俺は貴殿のことが好きで好きでたまらないでごわす! どうか友達の域を超えて恋人に、ゆくゆくはさかづきを交わして家族になって」


シゲミ「イヤ」



 シゲミは机の脇のフックにかけていたスクールバッグを左肩にかけ、ミキホの横をスルリと通り抜けた。そしてトムソンガゼルのごとき速さで、教室を後にする。


 これまでのミキホは、「奪う」側の人間だった。時間、金、名誉、関係、居場所、そして命……そういったものを他人から奪って生きる、ヤクザの親分だった。しかし今、ミキホが感じるのは圧倒的な喪失感。自分が「奪われた」側になったのだという感覚。誰かから散々奪ってきた、その人が大切にしていたもの。それと同じものを失う感覚を生まれて初めて、強く味わった。


 ただ立ち尽くし、涙を流す。


 教室の外で聞き耳を立てていたマメオがミキホに近づき、その背中をなでながら、「帰りましょう」と優しくつぶやいた。



<殺し屋に恋はいらない-完->

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