五つ目の空間は、あの時バーサクと戦った、現代アメリカの高層ビルが
礼安の動揺も意図して組まれたものであろう舞台であったが、礼安は浮かない表情のままであった。
「……やっぱりだ、何かおかしい」
礼安はフォルニカと対峙し、第一声がそれであった。
「おかしいって、何がだよ? 男と女が行為を重ねるなんて、普通のことじゃあないか」
そんなフォルニカの茶化しを一切意に返すことなく、悩む礼安。次第にフォルニカの表情は厳しくなっていく。
恐らく、他の舞台では戦いが始まっているであろうに、剣のひとつも交わらせない現状。
ただ、礼安は剣を交わらせることよりも大事なことがあると、確証はないものの確信していた。彼女自身の根っこの部分にあるお人よしな心が、目の前にいる男に対してセンサーが働いていたのだ。
「……これ、正直確証はないよ。でも……貴方、最初から『嘘ついてた』んじゃあないかな」
「――嘘? 今まで女を口説き落とすのに何度も使ってきたさ、どっかの吸血鬼が殺し食ってきた人間の数を問われた時に、人間に対しこれまで食ってきたパンの枚数を問うたようによォ。そりゃあもうそれは数えらんないさ」
礼安の表情は一向に変わらない。それは、彼の発言がまた『嘘』だと何となく理解していたからであった。
「……クランさんは、最初から本心で喋ってた。『死にたい』って嘘以外、何一つ嘘ついてなかったんだ。でもあなたは違う、とても苦しそう」
渋谷にて最初交戦した時のような、苦虫を噛み潰したかのような表情をしているフォルニカ。次第に彼の心の声が漏れ出す。
「……貴方、最初から嘘ばっかり。それで『人を振り回そう』としているみたい。自分の意のままに操って……本当の自分を『隠している』みたい」
「……やめろ」
礼安は捲し立てる。彼女の中で、少し足りない頭脳でも行きつける結論に、手を届かせるために。
「調子を狂わせて、それによって発揮できる力があるんじゃあないの?」
「……やめろって言っているだろ」
徐々に膨らんでいく、フォルニカの怒気と焦燥感。今まで軽口と挑発が彼の十八番であったはずなのに、煙に巻けるはずの存在に足元を掬われる。彼にとって、何よりもの屈辱であった。
それもそのはず、礼安はこうして無意識下で相対した存在の心を事実上読み取れる。これまでのいじめられっ子としての生き方ゆえ、顔色一つで当人の意志を推し量ることが出来るのだ。
そしてそれは、嘘で包み隠した本当の姿すらあぶりだす。ゆえに、礼安の前で嘘など付けないのだ。ニュアンスを読み取った上で、礼安が自動的に気遣う存在に成り代わってしまう。
どれほど、自分を取り繕うと、そんなオブラートなど意味の無いように歩み寄る。お人よしが極まった結果、読心術のような真似事すらできるようになったのだ。
現代で言う、メンタリスト。アレは基本的に相手の各主動作から深層心理まで読み取る、心理学を用いたもの。礼安はそれに似たようなもので、今まで生きてきた中で培ってきた究極の独学。この異常性が分かるだろうか。
「心を揺さぶることによって、貴方自身を嫌いにさせることによって発揮できる能力こそ、貴方の怪人としての力なんじゃあないの?」
「やめろって言っているだろ!!」
瞬間、辺りに魔力と彼自身の圧による衝撃波が、礼安とビル群を襲う。耳をつんざくほどの轟音に、息を合わせたかのように割れて、辺りに散らばる強化窓ガラス。
砕けたガラスに映る彼の表情は、今までのフォルニカであったらあり得ないほど、怒りと恥辱の色に染まっていた。まるで子供が癇癪を起こしたかのように震え、目は充血しきっていた。
「……ああそうだよ、ああそうだよ!! 俺の怪人としての能力は『
礼安が彼を見つめる瞳は、まさに助けるべき対象を見つめる庇護の瞳。彼に対して、一切の嫌悪感や不快感を無くしていた。フォルニカにとって、最低最悪の相性にあったのだ。
「……確か、私の力もそうだけど、何かしらのコンプレックスによって生まれるもの、だったよね。貴方のソレも……」
「ああそうさ、嫌というほどの迫害を受けた俺だからこそ成立した! 誰も助けちゃあくれない、誰も手を差し伸べちゃあくれない!! だから私怨も込みで組織からあのゲーム内で殺していいって指令を受けた時から最高だったさ!! だからこそ、復讐するためにも……こいつが俺の支えだったんだ……!!」
すると、フォルニカは思い切り拳を振りかぶり、礼安の顔面を捉える。鼻の骨や頬骨に、鈍い音と共に罅が入る。
「お前は大馬鹿野郎だ、だからこそ、こうしたほうが俺を嫌う可能性が圧倒的に高い……!! テメェを傷つけさえすりゃあ少しは不快に思うだろ!! 俺と同じ目に合えばよォ、精神面が少しは歪んでくるだろォ!!」
フォルニカは、礼安だけでなくアーサー王のゲーム内に入った英雄に対し、予め嫌われておくことによって、後の戦いを大いに有利にすることばかりを考えていた。現に、礼安のトラウマを抉るような、あのゲームの舞台を引っ張り出してきたのだ。
必ず、瀧本礼安は自分を嫌う。そう信じていた。
しかし、礼安は拳を優しく払って、変わらず彼の心の底まで見透かすような慈愛の瞳を向けていたのだ。フォルニカは、心底気味悪く、そして絶望を感じていた。手前でいくらトラウマを抉ろうが、一回弱さを見せてしまったが最後、彼女にとっては救う対象となっていたのだ。
その瞬間に、眼前の存在に能力が通用しないことが分かってしまった。渋谷で初めて交戦した時は通用した策が、相手が狂人の域に辿り着いたお人よしであるがゆえに、特段対策をしてないのにも拘らず、無意識で対策されたのだ。
「貴方の嘘に気づいちゃったら、それは見過ごせないよ。私という人間を、少し甘く見てたね」
そう言いつつも、微笑して見せたのだ。敵対している男に、怪人化していないとはいえありったけの力で殴られたのにもかかわらず。
恐怖した心は、すぐさまもう一度、どころか何度も害すことを選んだ。いつか、自分の思い通りになる。一抹の希望を捨てきれずにいたのだ。
何度も、何度も殴りつける。重なる恐怖によって力は弱まっていく。彼女自身の血によって拳が滑り、中途半端なダメージに終わるものもある。しかし、ダメージは確実に入っているはずなのに、彼女は聖母のように攻撃を受け続けたのだ。
「何でだよ……何でだよ!! 俺を嫌えよ!! 顔と髪は女の命だろ!? 何でお前の心の色は変わらないんだよ!!」
頭からも血が零れ落ちる中、額で拳を受け止めた礼安は、まるで何事もなかったかのようにニッと笑って見せた。敵に向ける表情では無かったものの、礼安の目の前にいるのは、救うべき対象。礼安にとって、彼に向けるべき表情がこれであると、心の芯で理解していたのだ。
「私は、貴方を憎まない、嫌わない、見捨てない。その代わり、貴方が犯した罪を憎むし、嫌うよ。文字通り、罪を憎んで人を憎まず、だよ」
彼女のオーラに気圧されたフォルニカ。後ずさりし、恐怖した。知らぬ間にライセンスを手に取って目の前にいる薄気味悪い存在を、何としてでも殺してやろうと防衛本能が騒ぎ立てていたのだ。
礼安は、目の前にいる悲哀を帯びた保護対象の中に巣食う、どす黒い罪とその意識を摘み取るべく、後ろへと飛び退いてライセンスをデバイスに認証させる。
究極の聖人を目指すがあまり狂人に近づいた英雄と、狂人に成りきれなかった怪人くずれ。
「貴方を、必ず救って見せると約束するよ」
「嫌え……俺を嫌え!! そして思い通りに動け!! カースト最上位がよォ!!」
自己犠牲の究極系と、自己防衛の究極系。
「「変身」!!」
歪な、それでいて悲しい戦いが、始まった。