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第二十九話

 衝撃の中心地は、綺麗に窪んでおり、人を寝かせるうえでは丁度良かった。礼安はその場にフォルニカを寝かせ、側で変身を解除する。

 既に人間の姿に戻ったフォルニカであったが、反撃の可能性が無いわけでもない。それでも、礼安は彼を信頼したのだ。

 敵でありながら、その牙は、爪は既に折れている。そう確信したがゆえの変身解除であったのだ。

「……いいのかよ、変身解除して」

「うん、もう貴方から敵意を感じ取れないから」

 敵意を感じなくなった、というのは半分不正解であった。流石に、雷の速度での全力の蹴りを食らったら、怪人体とはいえ死ぬことも平気でありうるためであった。故に、恐怖心による降参、がフォルニカの現状としては正しい。

 あの漆黒の球体。あれは、彼の中にある罪の意識。それを覆うとても堅い殻を割るために、ああまでの衝撃がいるのだという。

 その影響か、フォルニカの中では、彼女に対する恐怖心と、今までやってきた行いに対する悔恨の念があった。

「……不思議なもんだな、全く」

 礼安は側に座って、エクスカリバーを地に突き立てる。

「……貴方は、どうしてこんなに歪んでしまったの」

 元より、情状酌量などちゃちなものに頼ろうなどとは思っていなかった。そんなもので減刑されるなら、元から犯罪行為など行ってはいなかった。誰かに頼ろう、などとも考えなかった。真に信じるのは、自分のみ。

 それでも、礼安には不思議と話すことが出来た。罪の殻を破った張本人であるからか、ここまでフォルニカ自身と向き合った、初めての人間だからか。

「……いいか、今から俺は独り言を話す。覚えたければ……勝手に覚えな」


 男は、生まれながらのいじめられっ子であった。

 保育園、小中高大と誰かの下に居続けたのだ。しかも、底辺中の底辺。誰かに踏みにじられ、鬱憤晴らしに誰かを踏みにじることもできないまま歪んでいった。

 しかし、そんな男でも好意を抱くことはあった。初恋は、周りより少し遅い大学生。

 自身の好意をあからさまなものにしても、嫌な顔一つしない。それだけで、男は救われたのだ。

 次第に、二人きりでどこかに出かける、といったことが増えた。

 最初は大学付近の図書館、次はひっそりとたたずむ小料理屋。回数を重ねるうちに、どんどんと遠出していくようになった。

 予定が食い違って会えない日も、SNSアプリで事細かに連絡し、距離感を少しでも縮めようと奮闘していたのだ。

 いつしか、男の中には劣情が芽生えていった。会えば会うほど、より自分のものにしたいと、次のステップに踏み切りたいと考えていたのだ。

 しかし、そのような歪んだ欲望は察知されやすいもの。女は男のもとを去っていった。

 最初は自分が悪いものだと、自分を責め続けた。しかし、大学内で『性欲の獣』と言われるうちに、自分の中で嫌な予感が立ち込めてきたのだ。

 予想はすぐに当たった。

 女が言いふらしていたのだ。しかも、女には最初から本命の男がいたのだ。しかもその相手は、男の存在や人格を否定していた外道じみた存在そのものであったのだ。

 酷く罵られ続け、暴力を振るわれ続け、誰に肩をもたれることなく、精神病を患って大学を中退した。


 重い雲がかかった、薄暗い崖。荒れ狂う波に揉まれた剣山のような岩々を下に望む、飛び降りたら最後生還はあり得ないと言われる崖であった。そのせいか、多額の借金を作っただとか、男に逃げられただとかで、ここから命を絶とうとする人間はかなり多く、東尋坊同様自殺の名所と化していた。

 何も語らず、何も思わず。

 全てに絶望していた男は、死ぬ決意も早いものであった。

(最期くらい、派手に死んでやろう)

 そう思い立って、まるで階段を一段踏み外すかのような、そんな気軽さで。

 男は落ちていく――――――はずであった。

 力のない右腕を引くのは誰だと、恨みの籠もった瞳で振り返ると、そこにいたのは端正な顔立ちをした女であった。フードに覆われ、口元以外見えていないものの、年齢は推定二十台半ば。しかし、足元は透けていて、実体はほぼないような。

 人間の姿かたちをしているはずなのに、人間と認知しないとそこにあるはずの正体すら霧散してしまいそうな、どこか危うげな女であった。

「君、命を自分で絶とうだなんて、もったいないなあ」

 飄々とした女はけらけらと笑い、男を小ばかにする。その態度にむかっ腹が経った男は、効果が無いことを承知で、無力な拳で殴る。

 しかし、その拳は案の上空を切って、無情にも地面に倒れこむ。そんな無力な自分に心底腹が立って、涙が零れていた。

「まだ、悔しいって感情は消えていないみたいだ。結構結構」

 男の眼前に立ち、歪なアイテムを差し出す女。

「これはチーティングドライバー。君のような社会的弱者を救う、まるでゲーム世界で『チートを使役している』ような夢心地で意のままに力を振るえる、まさに夢のドライバーさ」

 それに必死に手を伸ばそうとするも、ドライバーを引っ込める悪戯顔の女。男を心の底からおちょくっているようであった。

「こいつは、世の中を我が物顔で占領する、クソ共に対抗するためのとびっきりだ。生半可な覚悟で使ってもらっちゃあ困るな。せめて、誠意を見せてもらわないと」

「……結局かよ、アンタも俺を見下すんだな??」

「ああ、見下してる。何せ、私は君より上位の存在だ。だからこそ、汚れたことでも、そうでないことでもやってのける、覚悟ってのを見せてもらわなきゃあならない。生半可な覚悟でこれは手にしていいものじゃあない、どうせなら目的のためには、手段を問わず何でもやるような『漆黒の意志』を見せてもらわないと」

 ドライバーを男の眼前に置き、しゃがみこんで、男の髪を力強く引っ張る。間近で女の表情を垣間見た男は、心底寒気がした。今までのどこかあどけなさを残すような年相応の表情ではなく、獲物を狙う捕食者のような瞳であったのだ。心の底を見透かすような、底冷えするほど恐ろしい瞳であった。

 それでいて、どこか漆黒に包まれた底なし沼の、さらにそこを見ているような感覚。見ているだけで吸い込まれそうな、絶望の坩堝こそその女そのものであったのだ。

 男は、どれだけ力をつけようと敵わないと、その一瞬で見抜いた。

「これを使って、君が恨んでいた身近な人間を十人、殺してくれ。君のような社会的弱者が恨む人間なんて、君以下の存在価値だよ。覚悟ある君には、わけない話だろう?」

 最初は女の話すことが欠片も理解できなかったが、深淵を湛えた瞳に吸い込まれるように、男は自然とドライバーに手が伸びていた。今まで使ったことなどないはずなのに、脳内にドライバーにまつわる記憶がなだれ込む。脳内で氾濫でも起きたかのように、大きな波でごった返していた。

 手にした後、男は笑っていた。全能感が、体中から溢れ出していたのだ。今まで無力だった存在が、偶発的に爆発的な力を得た後、やることは一つだった。

 ゆらり、と立ち上がった男は、ドライバーを下腹部に装着する。上下部をグイ、と押し込んで歪な怪人へと変貌する。

『覚悟、っての、見せてやる。幸い、恨んでいる奴はうんといるんだ』

 そう言うと、男は霧散して消えた。女は良いおもちゃを見つけた幼い子供の様に、顔を大いに緩ませた。重苦しい雲で覆われた天気の中、その曇天すら引き裂くような笑いを響かせていた。

「ああ、これだから布教活動はやめられないなぁ」


 その数時間後、とある大学にて十人が殺害、殺害された女子生徒一人に関しては強姦されたのちに殺害という、凄惨な事件が起きた。大きい教室の黒板には、『神により力を賜った弱者による復讐が始まる。神を崇めよ』と血文字で書かれていたのだ。


 色欲を司るフォルニカ。その起こりは、悪意を持った人によるものであったのだ。


 仰向きに力無く倒れているフォルニカ。空を見るその瞳は、深く濁り果てていた。全てを曝け出され、対抗する術すら砕かれ、どうしようもなかった。涙すら出ない。情けなさすらない。

「……んだよ、その目は。同情か、憐みか? 本当気味悪ィ」

「……私って、結構頑固なの。救いたいって思ったら、もう救わなきゃヤダ。子供っぽく見えちゃうかもだけど、昔っからこうなんだ」

「……んだよソレ、クソめんどくせェ」

 自身を飾ることをやめたフォルニカは、多くを語らない。無気力な瞳で、空を眺めるばかり。いつものあの口調も、全て取り繕ったもの。メイクを落としたら、飾りのないすっぴんが残るばかりである。

「……実は、私もこの性格から昔いじめられていたんだ。偽善者、偽善者って。当時の私……まあ今も変わらずちょっとお馬鹿だから、『偽善者』の意味が全く意味わからなかったけど……今思うと、中々酷いよね」

「……や、案外当たってんじゃあねえか? お前の場合、偽善者より質の悪い……根っからのお人好しなだけなんだろうが」

 「酷いなあ」とだけ呟くと、変身を解除して袖を捲り、自身の右肩辺りをフォルニカに見せる。そこにあったのは、無数の痛々しい切り傷痕や打撲痕、煙草の根性焼きの痕。どれもこれもかなり前の物であったが、誰であれ心が締め付けられるものである。

「皆してさ、しっかり捲らないと見えない場所ばかりに傷をつけるんだ。身体も、心も痛かったよ」

 そういう彼女の瞳に、曇りや陰りは一切ない。薄気味悪いほどに、清々しかったのだ。

「……何で、お前はそこまでされてんのに……人を助けようとするんだよ!? 人の醜悪極まりない面すら知っているのに、人を死ぬほど恨んだって、何なら俺みたい腹いせに殺したって良いだろうに!! なのに何で――――」

「だからこそだよ」

 青々と広がった空を眺めながら、礼安は言葉を遮った。そういう礼安の表情は、想いを馳せるようなものであった。

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